G20開幕とベルサイユ条約100周年

篠田 英朗

今日6月28日から大阪でG20が開催される。日本にとっても貴重な国際会議のホスト役の経験になる。成功を期待する。

サラエボ事件当時の新聞の挿絵(Wikipedia:編集部)

ところで6月28日が何の日か熟知したうえで、この日程が組まれたのだろうか。今日は1919年6月28日、第1次世界大戦の終結を記したベルサイユ条約が調印されてから、ちょうど100年の日だ。ちなみに第一次世界大戦の端緒となったサラエボ事件が起こったのも、1914年の6月28日だった。

2014年6月28日には、サラエボ事件100周年を記録する式典がヨーロッパでは行われていたように思うが、今回は主要国の指導者がそろって大阪に集結してしまっているので、何もヨーロッパでは開催されないのだろうか。それとも大阪でベルサイユ条約100周年を記念する瞬間が計画されているのだろうか? 今のところそのような話をメディア報道で見ることはない。誰かのスピーチで触れられるくらいのことは考えられているのだろうか?

ベルサイユ条約の重要性については、日本では過小評価されている印象があるだけに、大阪が理由で100周年に誰も触れなくなるのだとしたら、残念だ。

ベルサイユ条約の一部として国際連盟規約が締結された。実質的に国際連盟の活動が始まったのは翌年の1920年だとしても、国際連盟規約の枠組みが成立したのは、今日からちょうど100年前の1919年6月28日だ。日本で開催されるG20が理由で、人々がそのことを思い出さなくなるのだとしたら、いささか残念である。

日本は戦前に「ベルサイユ体制の打破」を唱えるドイツのヒトラーと共鳴して、第二次世界大戦の過ちを引き起こした。そもそも国際社会の強い期待を集めて設立され、1920年代にはそれなりの成果を出しているとみなされていた国際連盟が、崩壊に向けて進み始めるようになったのは、日本が引き起こした満州事変によってだ。日本人が意識している以上に、ベルサイユ体制/国際連盟がたどった運命と、日本の歴史は、密接に連動している。

パリ講和会議にて。左からロイド・ジョージ英首相、オルランド伊首相、クレマンソー仏首相、ウィルソン米大統領(Wikipedia:編集部)

ベルサイユ条約は、特に国際連盟は、1918年に「14か条の平和原則」を打ち出していたアメリカ大統領ウッドロー・ウィルソンのリーダーシップによって、生み出された。1919年の韓国の3・1独立運動も、中国の5・4運動も、ウィルソンが表明した民族自決の思想への期待から生まれてきたものだ。

ウィルソンは「Constitution(通常は「憲法」と訳すが原義としては「政治共同体の根本原理」)of the League of Nations(国際連盟)」の草案を携えてパリに乗り込んだが、最終的な文言は、ヨーロッパ人たちの意見をだいぶ取り入れたものになった。しかしそれでもアメリカの覇権的な力を背景にした国際社会の構造転換は、やはり1919年から始まったと考えるのが、正しい。

国際連盟規約は、次のような文言から始まる。

締約国は戦争に訴えざるの義務を受諾し、各国間における公明正大なる関係を規律し、各国政府間の行為を律する現実の基準として国際法の原則を確立し、組織ある人民の相互の交渉において正義を保持し且つ厳に一切の条約上の義務を尊重し、以って国際協力を促進し、且つ各国間の平和安寧を完成せむがため、ここに国際聯盟規約を協定す。

1928年不戦条約及び1945年国連憲章で発展していく戦争違法化の思想は、前文における宣言という形ではあったが、すでに国際連盟規約において高らかに謳われていた。

日本の1945年日本国憲法は、1919年国際連盟規約や1928年不戦条約、及びそれらの継承発展条約である1945年国際連合憲章の影響下で作られたものだ。

日本の憲法学者たちは70年余にわたって、その事実を隠蔽するか、最大限に過小評価するための社会運動を組織し続けてきた。戦争を否定しているのは、ただ日本国憲法だけであり、世界の諸国は戦争を肯定し、交戦権を行使している、といった乱暴なプロパガンダ運動を行い続けてきた。しかも公務員試験や司法試験や国立大学教員人事などの権威的なチャンネルを通じて、せっせと日本社会にプロパガンダを広げる努力を続けてきた。

しかし、憲法学者に盲目的に付き従う気持ちを整理して、客観的かつ素直に歴史を見てみれば、1919年国際連盟規約、1928年不戦条約、1945年国連憲章と連なる国際法の系譜の延長線上で、1946年日本国憲法が起草されたことは、否定しえない事実なのである。疑いの余地はない。

日本の国家体制も、実は1919年6月28日に規定されている。憲法学者になろうとしたり、司法試験や公務員試験を受験しようとしたりするのでなければ、そのことに気づくのに、特段の努力は不要である。

日本国憲法によって国際法を否定するというガラパゴスな社会運動のために、日本は、戦後の長きにわたって、ベルサイユ条約を誤解し、国際連盟規約を誤解し、そして日本国憲法を誤解する国になってしまった。

ベルサイユ条約/国際連盟規約から100周年の今日は、「ベルサイユ体制の打破」を唱えた戦前の日本のイデオロギーだけでなく、国際法を愚弄し続けてきた戦後の日本の憲法学のイデオロギーを、客観的に反省し直すために、最も適した日であるかもしれない。

篠田 英朗(しのだ  ひであき)東京外国語大学総合国際学研究院教授
1968年生まれ。専門は国際関係論。早稲田大学卒業後、ロンドン大学で国際関係学Ph.D.取得。広島大学平和科学研究センター准教授などを経て、現職。著書に『ほんとうの憲法』(ちくま新書)『集団的自衛権の思想史』(風行社、読売・吉野作造賞受賞)、『平和構築と法の支配』(創文社、大佛次郎論壇賞受賞)、『「国家主権」という思想』(勁草書房、サントリー学芸賞受賞)など。篠田英朗の研究室