サムスンはなぜ中国からフッ化水素を調達したのか?(特別寄稿)

宇佐美 典也

① 本稿の趣旨

前々回に続き前回の寄稿も好評を得たようなので、今回も引き続き一連の半導体材料の輸出管理見直しに関する分析記事を書かせていただこうと思う。

今回は随所で報じられている「サムスンが中国産のフッ化水素のテストを始めた」というニュースの背景について考察したい。

サムスンNewsroomより:編集部

本件については、特に今回の輸出管理見直しに関して疑問を持つ立場の方から、「ほら見たことか、韓国企業が代替材料を探し始めたじゃないか。だから言わんこっちゃない」というような趣旨の反応が多いように思えるが、仮に中国産の純度の落ちるフッ化水素をラインに使おうものなら工場の歩留まり(製造量に対する定格合格品の比率)は大幅に落ちざるを得なく、企業経営としてはかなりのマイナスになる。少し待てば日本から個別輸出許可が降りてフッ化水素が入ってくる見込みが十分あるのだから、本来現段階でそれほど無理をする必要はない。

それにも関わらずサムスンがフッ化水素を中国から調達した背景には、もう少し複雑な事情があるので、その事情について概観していくこととする。

② 行方不明のフッ化水素についての論点整理

まずはフッ化水素に関する論点整理から入りたい。

大前提として問題の発端を確認すると、プライムニュースの小野寺五典元防衛大臣の発言で、この番組で小野寺議員は

「韓国にフッ化水素100を渡しても、工業製品に使うことの確認が取れたのは70くらいで、残り30を何に使うか聞いても韓国は返答しなかった」

と述べた(出所:デイリー新潮)。この発言自体は本人の立場を考えると政府内部からの情報と考えられ、また小野寺氏自体の政治家としての見識はこれまでの実績から疑うまでもないので、信じるに値するだろう。

サムスン西安工場(同社HPより:編集部)

この行方不明のフッ化水素について一部では「北朝鮮へ横流しされている」という根拠薄弱な風説が飛び交っていたが、私からは前回の記事で「北朝鮮が超高純度フッ化水素を必要とする理由はなく、日本のフッ化水素は韓国資本の中国の半導体工場に流れている可能性が極めて高い」という趣旨の問題提起させていただいた。

するとこの点について中国向け貿易商社社員の五十嵐哲也氏が統計的に裏付けを取ってくださったようである。

五十嵐氏の調べによると事実として、中国は電子部品向けのフッ化水素を韓国から大量に輸入しており、その内訳はサムスン西安のある陝西省が69%、SKハイニックス無錫のある江蘇省が29%で、合計98%を占めている」とのことで「韓国企業が中国へ日本のフッ化水素を再輸出している」という仮説については「裏が取れた」と言ってもいいだろう。五十嵐氏に感謝を申し上げる。

なおインテル大連は台湾からフッ化水素を調達しているようであるが、日本から台湾へのフッ化水素の輸出はなく、これは日本政府の承認を得てステラケミファの台湾工場から中国へ輸出されたものと考えられる。

③ ホワイト国外しによる仲介貿易の「違法化」

このように韓国企業が日本のフッ化水素を中国へ輸出していることについてはほぼ確認が取れたと言ってもいいのだが、では今度は韓国企業のこうした行為、専門的には「仲介貿易」という、が日本の外為法上でどのように捉えられるか確認してみよう。

結論から言えば、上図のように日本の外為法では「ホワイト国の仲介貿易」は規制していないが、「非ホワイト国間の仲介貿易」を許可対象としている。つまり現状では韓国企業の仲介貿易は「合法」であるが、8月下旬以降韓国がホワイト国から外されるとそれ以降韓国の無認可での仲介貿易は「違法」となる。逆に、日本政府としては、仲介貿易を管理しようとするならば韓国をホワイト国から外さなければならない、ということになる。

このことはサムスン・SKハイニックスにとって当然重大な意味を持つ。おそらく両者はこれまで半導体材料に限らず日本からの半導体関連部材/装置の一部を中国へ仲介貿易し続けていたのだろうが、今後はそれができなくなる可能性が高い。少なくとも困難にはなる。

そして、現在日本からの個別輸出許可の対象となっているのは3品目に留まっているが、8月下旬以降に韓国が非ホワイト国になるとその対象は一気に拡大する。

これは中国工場の稼働にとっては危機的状況である。ここで対策として真っ先に考えられるのは「研究開発に投資して、韓国国内で戦略物資/機械を自前で生産できるようにする」という選択肢であるが、残念ながらこの選択肢は時間がかかる上、上手くいっても問題がある。それはアメリカとの関係である。

現在アメリカは「中国製造2025」対策のため半導体製造装置の中国への輸出制限を順次拡大している。韓国はアメリカの同盟国であるから、当然今後韓国から中国への半導体にまつわる先端部材/装置の移転は外交上難しくなっていくだろう。したがって仮に韓国国内で製造技術を育て上げたとしても、それが将来的に中国で使えるとは限らないのである。

④ サムスンが中国企業からフッ化水素を調達する意味

サムスン製5Gモデム(同社NewsRoomより:編集部)

こうした構造を理解した上で、冒頭に紹介した「サムスンが中国からフッ化水素を調達した」というニュースの意味を考えると、単なる「代替品の調達」という言葉では納まらない意味が見えてくる 

おそらく仮に韓国がホワイト国から外れたとしても、韓国国内の製造拠点で使う分のフッ化水素に関しては、引き続き日本から安定して調達し続けられることになるだろう。

もし日本が輸出しなければそれこそWTO違反である。他方で中国工場で使うフッ化水素に関しては別である。仲介貿易が許可対象になる以上、日本から安定的に調達することはかなり難しくなるだろう。 

また仮に韓国国内で代替技術を開発したとしても、アメリカとの関係から中国にその技術を移転できるとは限らない。必然的に韓国企業としては、中国での工場の稼働を確保するためのオプションとして、中国で使う半導体材料/装置を、中国で国産化することを検討していかなければならなくなる。つまりは韓国企業は「中国製造2025」にコミットせざるを得なくなるのだ。

これまでの議論をまとめると

①韓国企業が日本の部材を中国に対して「仲介貿易」しているのは、統計的に確認が取れる。

②今後韓国がホワイト国から外されると、こうした仲介貿易は日本の経済産業省の許可の対象となる。(逆に言えば日本は「仲介貿易の許可対象化」を目的とするならば、韓国をホワイト国から外さなければならない)

③仲介貿易が許可対象になると、韓国企業は中国工場で日本から半導体材料を安定的に調達することが難しくなる。

④また韓国で半導体材料の国産化を進めても、その成果を中国で活用できるかどうかはアメリカとの関係上必ずしも保証されない。

というところである。

ここで冒頭のニュースに戻るが、おそらくサムスンはここまでの構造を理解した上で、中国の半導体材料メーカーを育成することを選択肢として本格検討していると思われ、そのための第一歩として中国からのフッ化水素の調達が始まったのだろう。

おそらくは当面在庫のフッ化水素を中国工場に固めて稼働を確保し、その間に中国材料企業の育成、プロセスとの適合を図ろうという方針をとるのであろう。現状サムスンが取りうる選択肢としては最善のものであり、さすがの判断と言わざるを得ない。 

ここからは私見であるが、一連の輸出管理見直しの報道発表があってから、これまでのサムスンの行動は常に全て迅速で理にかなったものであった。これを準備なしでできるとは考え難い。おそらくは、韓国政府と違って、サムスンの現場には今回のような事態を事前にシミュレーションして対策を描いていた幹部級の人材がいたのであろう。

個人的には、対策を立てた現場、その対策を迅速に実行に移す経営陣、双方の高い能力に驚嘆している。やはりサムスンという企業は韓国の宝である。今後の日韓経済外交の主役になるのは、右往左往して何も進められない韓国政府ではなく、このサムスンという企業なのかもしれない。

宇佐美 典也   作家、エネルギーコンサルタント、アゴラ研究所フェロー
1981年、東京都生まれ。東京大学経済学部卒業後、経済産業省に入省。2012年9月に退職後は再生可能エネルギー分野や地域活性化分野のコンサルティングを展開する傍ら、執筆活動中。著書に『30歳キャリア官僚が最後にどうしても伝えたいこと』(ダイヤモンド社)、』『逃げられない世代 ――日本型「先送り」システムの限界』 (新潮新書)など。