日本に戻って1年と少し。気持ちは梅雨空のようにどんよりしている。1年前は酷暑だったが、この国を変えたいとチャレンジする気持ちに満ち溢れていた。しかし、今は平均日照時間2時間で、立ち枯れのような状態だ。特に、辛いのは、ワクチン療法に否定的な医師が、患者さんたちに浴びせる言葉の暴力だ。
多くの患者さんの相談に乗っているためか、「標準療法以外の治療法の可能性を質問した時」の主治医との人間関係の悪化を憂慮する声、あるいは、すでに恫喝のような言葉を浴びせられた患者さんや家族の苦悩の声、悲痛な叫びが増えてきたような気がする。
しかし、標準療法という名の治療法を提供すれば、自分の責任を果たしていると信じている医師のなんと多いことか?「治癒は期待するな。延命しかない。」「私の指示に従えないなら、どこにでも勝手に行けばいい。」が正義であり、それに背くことは悪であると思っている医師が少なくないのだ。
自分の親、連れ合い、子供が同じ状況になっても、「じたばたせずに、標準療法を受けて死ぬのを待て」と言えるのだろうか?私は、この標準療法至上主義の医師たちの発する言葉を受け止めるだけの感性の鈍感さは持ち合わせていない。0%の絶望と、0.001%の可能性。わずか0.001%の差であっても、「生きる希望」という観点で見れば、患者さんや家族にとっては、0と100の違いに思えることがあるはずだ。
ご飯の味がどれだけ違うのか?吉本騒動でお笑いがお笑いでなくなったが、0の希望で心の底から笑うことができるのか?何かに真剣に打ち込むことができるのか?心の弱い私は、何もできなくなるだろう。QOLの重要性が課題となって久しいが、長く生きることだけが医療の質ではないはずだ。人生の質を考えた医療が重要だと思う。医薬品の価値、特に抗がん剤治療の価値は、長く生きること(時間)だけで比較され、優劣が決められてきた。
免疫チェックポイント抗体やCAR-T細胞療法などの免疫療法が生まれ、患者さんの持つ免疫力やがんの免疫環境を評価することに注力が注がれている。外科的手術も、かつては、がん細胞は残らず取りきる拡大外科手術が推奨されたが、今は、できる限り小さな手術を行うようになってきた。
がん細胞が流れていくリンパ節には、がんを叩くリンパ球がいる可能性を、シカゴ大学在籍時に示した。患者さんの体内にはがん細胞を叩くことのできるリンパ球が存在しているのは確実だ。1年前に米国がん研究所のローゼンバーグ教授たちは、乳がん組織に存在していたリンパ球を利用して体中に広がっていたがんを完全に消して見せた。
患者さんの免疫力の重要性が示されているにもかかわらず、標準療法と称する、がん細胞だけでなく、患者さんの免疫力を叩くことが正しいと信じてやまず、患者さんや家族の生きたい、生きていて欲しいという気持ちを恫喝で抑え込む医師がいる。悲しいかな、この国は。これでいいのか日本のがん医療は????
編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2019年7月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。