株式相場などでアノマリーと呼ばれる現象がある。理論的裏付けが必ずしもあるわけではないが、経験則として知られている値動きのくせだ。
例年8月の株式市場は夏休みで参加者が少なくなることによって、値動きが荒くなりがちだが、何年かに1回は8月に大きな株価の下落がある。
1971年8月15日には、ドルと金の交換停止などを宣言したニクソンショックがあり、東証株価は大幅に値下がりした(なお、ニューヨーク証券取引所の株価はニクソン大統領の政策を歓迎して上昇した)。
1998年8月17日には、ロシアが財政危機のために対外債務の90日間支払い停止を宣言してルーブルが暴落、これに巻き込まれてアメリカのノーベル賞経済学者達が参加していた有力ヘッジファンドのLTCMが実質破綻し、世界の株価が暴落した。
2007年8月7日には、フランスのBNPパリバ銀行傘下の3つのミューチュアルファンドが償還停止を発表して世界の市場に衝撃が走ったが、これはその翌年5月のアメリカのベアー・スターンズ証券の消滅、そして9月のリーマンショックへとつながるサブプライムローンバブル崩壊の第一幕だった。
2015年には、8月11月から13日にかけて、その年6月以降上海の株式市場が暴落する中で、中国人民銀行が3日連続して人民元の為替レートを切り下げて輸出企業のテコ入れを図ったが、これに中国経済の不振を感じ取った世界の株式市場は暴落した。
8月に株式市場が暴落することは毎年のことではなく、大きな変動がない年も多く、逆に株価が上昇する年もある。また、8月以外でも1987年のブラックマンデーや1929年のウォール街の大暴落のように10月に市場の変動が起きることもある。だから8月に株価が暴落することをアノマリーと呼べるかどうかわからない。
しかし、今年の8月の世界の状況を見ると、米中貿易戦争はもちろんのこと、ブレグジット、イラン情勢、香港のデモ・ゼネストなど、不安要因がてんこ盛りとなっている。
特に米中貿易戦争の行方は気がかりで、8月1日にトランプ大統領が、中国に対して第4弾となる3000億ドル相当の中国製品に10%の関税を賦課することを宣言したのに対抗して、中国人民銀行は、これまでは資本流出が激化する懸念と、アメリカから元安誘導批判を受けることを避けるために1ドル=7元の壁を超える元安は意識的に控えていたが、ここに来てあっさりと1ドル=7元超えを容認して輸出の後押しをして経済を下支えしようとしている。しかしこれに対してアメリカ財務省は、中国を1994年以来25年ぶりに為替操作国に認定して、米中間の争いはヒートアップしてきている。
そうした中で、ビットコインの相場が8月に入って急上昇している。ビットコインは4月以降それまでの低迷から急回復して6月26日には13,000ドル近くまで上昇した後、7月に入って下降を始め、下旬には9500ドルから10000ドルの水準まで下がっていた。それが8月1日にトランプ大統領が対中関税第4弾を宣言したとたんに、再度上昇を始め、8月6日現在では11,700ドル近辺にまで達している。
ここに来てビットコインが急上昇する要因は、米中間の貿易摩擦以外に目ぼしいものは見当たらない。現在ドル建ての金価格も急上昇中なので、不安に駆られた世界のマネーが金やビットコインなどの安全資産に逃避しているのだろう。
古くから言われていることだが、鉱山では危険を早期に察知するために、空気の状態に敏感なカナリアの籠を持って坑道に入ったと言われている。最近のビットコインの動きは坑道のカナリアのように世界経済の異変を告げているのかもしれない。
有地 浩(ありち ひろし)株式会社日本決済情報センター顧問、人間経済科学研究所 代表パートナー(財務省OB)
岡山県倉敷市出身。東京大学法学部を経て1975年大蔵省(現、財務省)入省。その後、官費留学生としてフランス国立行政学院(ENA)留学。財務省大臣官房審議官、世界銀行グループの国際金融公社東京駐在特別代表などを歴任し、2008年退官。 輸出入・港湾関連情報処理センター株式会社専務取締役、株式会社日本決済情報センター代表取締役社長を経て、2018年6月より同社顧問。著書に「フランス人の流儀」(大修館)(共著)。人間経済科学研究所サイト