7月28日の朝日新聞朝刊に経済同友会の小林喜光前代表幹事(三菱ケミカルホールディングス会長)のインタビュー記事が掲載されていた。彼は次のように語る。
「やがてAIが人間を凌駕する時代が来ます」「ゲノム編集技術で遺伝子操作をすれば、ある種の超人とすることだってできてしまう。そうなると、イスラエルの歴史学者ハラリが言うように、AIを駆使し、ひと握りの人だけが富裕層になり、残りは全部無用者階級になる」
小林氏は科学技術の未来に強い不安を抱いている。科学技術の成果でビジネスしてきた三菱ケミカル会長とは思えない。インタビューの最後で「日本の経営者がやるべきは、日本の技術が必要とされる分野で稼いでいるうちに、バーチャルな社会と日本の強みを結びつけたビジネスにつくりかえることです」と言っているが、AIを過剰に警戒する経営者がそんな転換をリードできるとは思えない。
AI開発に関係している人々は、法律や倫理の専門家の助けも借りて、AI原則を作り出してきた。その努力が、OECDでAI原則に各国が合意するという成果に結び付いた。人間を中心に据えて、信頼に足るAIを作り社会に提供していこうと原則に書かれている。AI関係者は「ひと握りの人だけが富裕層になり、残りは全部無用者階級になる」のを目指しているわけではない。
我々は自動車の利便と事故の危険を共に理解した上で、自動車交通の社会的利益を享受している。一方、18世紀の人々は自動車を理解せず、ひたすら脅威を感じ、最高速度を6km程度に抑える超過剰規制も行われていた。小林氏の姿は、そんな18世紀の人々に重なる。
ICTの多くは今の成人が大人になってから登場してきたものだ。スマートフォンなど10余年の歴史しかない。だから、多くの大人は危険を抑えて利便を享受する方法を知らない。それが、たとえば「子どもにはスマートフォンはいらない」といった意見に結びつく。その先にAIへの過剰な警戒論がある。それは、ICTの利便をフルに享受する経済社会の実現を阻むものだ。
AI原則を普及させることで社会の理解を高めていこうというAI関係者の努力に無用な警戒論は水を差す。小林氏をはじめ多くの大人には、まずはAI原則をバックグラウンドも含めて読んでいただきたい。
山田 肇