第二次世界大戦を終結させたポツダム宣言は、少し詳しく事実関係を調べてみると、その作成過程や体裁および公表の仕方のみならずその受諾に至る経過も、時々刻々と変化する状況と関係各国内外の当事者らの思惑とが錯綜した極めて特異なものであったことが判る。
筆者は、ポツダム宣言の受諾による降伏が、日本が冀った「名誉ある講和」や「交渉による講和」ではなかったものの、通説となっているような、またドイツが受け入れたような、いわゆる「無条件降伏」ではなかったと3月に「EテレのAKB発言に疑問:日本は無条件降伏したのか」に書いた。
そのことは措いて、本稿ではポツダム宣言の発表から受諾までの出来事を時系列に沿って追ってみたい。時間は断りない限り米国東部戦時時間EWT、日本時間はJSTとしている(一部に混淆あり)。
宣言の発表から受諾までの経過
①発表 1945年7月26日21時20分(JST7月27日午前4時20分)
宣言の発表はポツダムの米国代表団宿舎で報道陣に対して行われたのみで、日本への送達も中立国などの公式ルートを介しては行われなかった。米国国内へも、ホワイトハウスや国務省宛にではなく、戦争の宣伝広告を担当していたOWI(戦時情報局)に送られて政府機関や報道に情報が流されるという極めて異例な流れだ。これは日本にポツダム宣言を軽視させることを狙ったものと筆者は考えている。
②日本への送達(JST1945年7月27日午前6時頃)
日本側は、OWIが各基地の短波送信機を使いJST27日午前5時から開始した放送を、外務省情報室が27日午前6時頃に傍受してポツダム宣言の内容を知った。それ以降、鈴木貫太郎首相がこれを‘黙殺’したことが原爆投下に繋がったとして人口に膾炙する約2週間の時が流れるのだが、その間に日本国内では宣言受諾の可否に関し「国体の護持」を巡って激しい議論が展開された。
③鈴木貫太郎首相の会見と新聞報道(JST1945年7月28日午後)
鈴木首相のこの時の正確な発言記録は存在しない。新聞報道と鈴木貫太郎本人と周辺にいた者らの回想記が残るのみだ。政府は27日と28日に報道機関に対し「論説不可、個々の条件の内容是非論議不可、但し、日本の名誉と存在に触れる点については、反駁、冷笑は可」といった趣旨の縛りをかけた。
これを受けた28日の朝刊報道で例えば朝日新聞は、「米、英、重慶 日本降伏の最後条件を声明、三国共同の暴力放送」「政府は黙殺」「多分に宣伝と対日威嚇」との見出しを付けた。鈴木貫太郎は回想記に「この宣言は重視する要なきものと思う」と言ったと書き、当時同盟通信の海外局長だった長谷川才次は、「総理ははっきりしたことは何も言われなかった」と回想録に記している。
日本の報道を注視していた米国の反応はと言えば、後年トルーマンはその回想記に、「7月28日の東京放送は、日本政府が戦いを継続する意向である、と発表した。米国、英国、中国が共同で出した最後通告への正式回答ではなかった…」と書いている。つまりこの時点では、日本側は「この宣言は重視する要なきもの」と受け取ったのだ。宣言の公表のなされ方からは当然の帰結、米国側の反応もまた然り。
④日本の回答(JST1945年8月10日。以下もJST)(以下は断りない限り拙訳)
当初「重視する要なきものと思う」と考えたポツダム宣言の受諾に日本が動いた理由は二つ。一つは広島(6日午前8時15分)と長崎(9日午前11時2分)への原爆投下であり、一つは最後まで望みをかけていたソ連の和平仲介に対して、ソ連から8月8日午後5時に宣戦布告を以て回答がなされたからだ。斯くて9日午後11時からの御前会議で、日付が変わった午前2時過ぎに「ご聖断」が下された。
翌10日、スイス日本大使館から米国側にスイス政府を経由して以下の内容が伝えられた。すなわちポツダム宣言の12項「前記の諸目的か達成されて、かつ日本国国民の自由に表明された意思に従って、平和的傾向を持ち責任ある政府が樹立されたならば、連合国の占領軍は直ちに日本国から撤収されるであろう」という文言の解釈について、次のような前提の下で受け入れる旨を日本側は回答した。
日本国政府は、米国、英国および中国の首脳によって、ポツダムにおいて1945年7月26日に発せられ、そして後にソ連政府によって署名された、その共同宣言の中に列挙された前提を、その宣言が統治者としての天皇陛下の大権を損なういかなる要求も含んでいないと了解して、受け入れる用意がある。
⑤米国からの日本側回答への返答:バーンズ回答(JST8月11日)
下記回答は日本のそれの逆を辿りバーンズ米国務長官からスイス政府経由で日本側に届いた。日本側は、JST12日午前零時45分に米国ラジオ放送によってその内容を知った(スイス政府から日本政府に何時に送達されたかは不詳)。が、以下の内容を含むため軍など徹底抗戦派は拒否を求めた。最終的にここで外務省が歴史的な誤訳を意図して行ったことで、受け入れ、となった。
From the moment of surrender the authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander of the Allied powers who will take such steps as he deems proper to effectuate the surrender terms.
降伏の時点から、天皇および国を治める日本国政府の権限は、降伏条件を適切に実施する義務を有する者として行動する連合国最高司令官に従属する。
外務次官松本俊一はこの「従属する」という部分を「制限の下に置かれる」と穏やかな意訳をし、東郷外相の承認を得て、それを外務省の正式訳文として天皇の裁可を仰いだ。すなわち「降伏のときから天皇および日本国政府の国家統治の権限は、降伏条件を実施するため、その必要を認むる措置をとる連合国最高司令官の制限の下に置かれるものとする」とした。
⑥日本政府に対する通知(8月11日)
追ってバーンズ国務長官からスイス経由で、以下の通知が日本に対してなされた。日本国内の意訳などの内情を知る由もないバーンズは、ポツダム宣言と11日付のバーンズ回答が、日本側に受け入れられた前提で事を運んでいる。
米国政府、中国、英国およびソ連を代表して私が、貴兄を通じて日本国政府に8月11日に送った通信に対する、ポツダム宣言および1945年8月11日の私の声明の完全な受け入れとして私が見做すところの、日本政府の回答を送達する本日付の貴兄の通信に関して、米国大統領が、次の声明書が日本国に送達するために貴兄に送られることを指示したことを貴兄に報告することを私は光栄に思います。
⑦日本の最終受諾(JST8月14日)
日本政府は、8月14日にスイス政府を通じてポツダム宣言の受諾を連合国側に通知した。スイス政府による米国への通知の書き出しは次のようである。以下の日本政府の表明の詳細は省略するが、「天皇の権限」に関する特段の言及はない。
日本国政府は、彼らが最も切望しているポツダム宣言の条項の確実な履行に関して、米国、英国、中国およびソ連各政府に声明することをお許し願いたいと望んでいます。このことは署名の時点になされるでありましょう。しかし適切な機会が得られないことを危惧して、彼らは失礼を顧みず、スイス政府の善良な政権を通じて、四強国政府に表明しています。
こうしてポツダム宣言は受諾され、日本は降伏した。この2週間の“黙殺”の間に2個の原爆が投下された。が、縷説したようなこの間の経緯を見ると、筆者には、米国がわざと日本が宣言を軽視するように仕向けて原爆を投下する時間を稼いだ、としか思われない。その理由は次回で述べる。
高橋 克己 在野の近現代史研究家
メーカー在職中は海外展開やM&Aなどを担当。台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。
【参考文献】
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「私の見た東京裁判 上下」(冨士信夫 講談社学術文庫)
「東京裁判 日本の弁明」(小堀桂一郎 講談社学術文庫)
「国際シンポジウム 東京裁判を問う」(細谷、安藤、大沼 講談社学術文庫)
「秘録 東京裁判」(清瀬一郎 中公文庫)
「パール判事の日本無罪論」(田中正明 小学館文庫)
「東京裁判 勝者の裁き」(リチャード・マイニア 福村出版)
「東京裁判」(日暮吉延 講談社現代新書)
「東京裁判 上下」(児島襄 中公新書)
「ディベートから見た東京裁判」(北岡俊明 PHP研究所)
「東京裁判を批判したマッカーサー元帥の謎と真実」(吉本貞昭 ハート出版)
「真珠湾の真実 ルーズベルト欺瞞の日々)」(ロバート・スティネット 文藝春秋社)
「日本人を狂わせた洗脳工作」(関野通夫 自由社)
「滞在十年 上下」(ジョセフ・グルー ちくま学芸文庫)
「落日燃ゆ」(城山三郎 新潮社)
「昭和の精神史」(竹山道雄 講談社学術文庫)
「日本経済を殲滅せよ」(エドワード・ミラー 新潮社)
「なぜアメリカは日本に二発の原爆を落としたのか」(日高義樹 PHP研究所)
「太平洋戦争とは何だったのか」(クリストファー・ソーン 草思社)
「昭和史を読み解く」(鳥居民 草思社)
「日米開戦の謎」(鳥居民 草思社)
「昭和二十年 第一部・12」(鳥居民 草思社)
「アメリカの鏡・日本」(ヘレン・ミアーズ 角川学芸出版)
「マオ 誰も知らなかった毛沢東」(ユン・チアン&ジョン・ハリディ 講談社)
「コミンテルンとルーズベルトの時限爆弾」(江崎道朗 展転社)
「歴史の書き換えが始まった!コミンテルンと昭和史の真相」(小堀桂一郎・中西輝政 明成社)
「ヤルタ-戦後史の起点」(藤村信 岩波書店)
「ホワイトハウス日記1945-1950」(イーブン・エアーズ 平凡社)
「ポツダム会談」(チャールズ・ミー 徳間書店)
「黙殺 上下」(仲晃 日本放送出版協会)
「戦後秘史 ②天皇と原子爆弾」(大森実 講談社)
「日本人はなぜ終戦の日付をまちがえたのか」(色摩力夫 黙出版)
「奇蹟の今上天皇」(小室直樹 PHP研究所)
「天皇ヒロヒト 上下」(レナード。モズレー 角川文庫)
「宰相 鈴木貫太郎」(小堀桂一郎 文春文庫)
「GHQ歴史課陳述録 終戦史資料 上」(原書房)
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「VENONA」
「アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか」(ロナルド・タカキ 草思社)
「ダブル・ヴィクトリー」(ロナルド・タカキ 星雲社)
「トルーマン回顧録」(恒文社)
「ハル回顧録」(中央公論新社)
「ハルノートを書いた男」(須藤眞志 文春新書)
「外交回想録」(重光葵 中公文庫)
「昭和の動乱」(重光葵 中公文庫)
「侍従長の回想」(藤田尚徳 講談社学術文庫)
「機関銃下の首相官邸」(迫水久常 ちくま学芸文庫)
「第二次世界大戦1-4」(チャーチル 河出文庫)
「ヤルタ・ポツダム体制と日本の戦後レジームを考える」(芦田茂 文芸社)
「米国の日本占領政策 上下」(五百旗頭真 中央公論)
「東京裁判」(レーリンク 新曜社)
「東京裁判、戦争責任、戦後責任」(大沼保昭 東信堂)
「東京裁判、戦争責任の思想」(大沼保昭 東信堂)
「鈴木貫太郎自伝」
「ダレス兄弟」