去る8月30日をもって初当選から10年、政権交代から10年が経ちました。
これまでいろんなことがありましたし、引き続き、いろんなことがありますが、粘り強く応援いただいている皆様に、まずもって心から感謝申し上げます。
万年与党と万年野党が繰り広げる緊張感のない政治ではなく、政権交代可能な緊張感のある政治システムを作りたい。
そう思って、政治の世界に飛び込みました。
その思いはいささかも変わっていませんが、今の政治は、もっと緊張感のないものになっています。
その責任の一端は民主党政権の失敗にあります。大きな期待を国民の皆さんにいただいたのに、裏切ることになってしまい、本当に申し訳なく思っています。
政権交代からちょうど10年経って、民主党政権の何が問題だったのか、今、改めて自分なりに整理し、反省しています。
実は、これまでも何回となく民主党政権の総括は行われてきました。2014年7月25日の「民主党改革創生会議」の報告書がその典型ですが、残念ながら、今はその存在すら忘れ去られています。
例えば、以下のような提言があり、今なお真摯に受け止めるべき内容です。
・穏健中道のフェアウェーのど真ん中を捉えなくてはならない
・地方に根ざした政党に生まれ変わる
・「何が国益なのか」を見極める冷厳な現実主義でなければならない
・党としていったん決めたことは全員で守り抜く組織の規律が必要である
ただ、こうした提案も十分に生かされることなく、民主党は民進党へと名前を変え、そして分裂してしまいました。
私は、個人的に、民主党の名前を変えたことを残念に思っています。
だからこそ、民主党、民進党の法的な後継組織である国民民主党としては、民主党政権に対する批判も正面から受けとめ、次に生かす責任があります。反省と対策がなければ次の展望は開けません。
自民党は野党に転落しても名前を変えたりしませんでした。その点は、悔しいですが、安倍総理の批判に耳を傾けたいと思います。
その上で、私なりの民主党政権時代の反省点を述べたいと思います。
民主党改革創生会議などで取り上げられたガバナンスや組織の問題点については、これまでもよく指摘されてきたので、少し異なる観点から、3点ほど述べます。
1.マクロ経済政策の観点を欠いていた
まず、民主党政権時代の政策は、マクロ経済政策の視点を欠いていたと思います。「税金の無駄づかいをなくす」「事業仕分け」「大型公共事業の見直す」マニフェストで掲げたこれら個別の政策や理念は間違っていませんし、国民からの期待が高かったのも事実です。
しかし、今振り返ってみれば、政権交代直後の時期は、リーマンショクの影響が色濃く残り、そこからの経済回復を確実なものにしなければならないときでした。そして、何よりデフレの真っ只中にいたわけです。よって、マクロ経済政策の視点で見れば、あの当時は、明らかに金融政策も財政政策も積極的に発動すべき時期でした。
当時、白川日銀総裁の下で量的緩和もそれなりに行われていましたが、もっと大胆な金融緩和を政権交代直後からやるべきでした。そして何より、財政政策は、徹底的に積極財政を行うべきでした。今となっては後の祭りですが、国債を大量発行してでも約束した政策はすべてやるぐらいで、ちょうどよかったのではないかと思います。
財源がないことを理由に約束した政策をしなかったことが、つまづきの第一歩になりました。また、デフレが進んでいたのに、需要を喚起する政策より、供給サイドの改革に力を入れたことは反省しなければなりません。特に、デフレ下での消費税増税は、消費を冷え込ませ、経済成長にとってマイナスになりますし、政治的にも「約束していないことをした」というレッテルが貼られる決定打になったことは、真摯に受けとめなくてはなりません。
2.外交・安全保障に弱かった
もう1つは、やはり外交・安全保障に弱かったということです。総理大臣や政権の仕事の半分以上は外交だと言っても過言ではありません。しかし、政権をとった後の外交・安全保障政策をどれほど準備していたのか、正直、疑問が残ります。一部に外交や安全保障に強い議員もいましたし、マニフェストにもある程度、記述はありました。
しかし、私が申し上げたいのは、野党時代から、議員外交等を通じて関係国との人脈づくりや国際的な潮流の把握が党全体でどれほどできていたのかということです。また、少なくとも外交・安全保障の分野では、自民党や公明党からの引き継ぎや情報共有の仕組みをつくるべきでした。それができていれば、漁船衝突事件ももっとうまく対応できたでしょう。
現在の安倍政権の堅調な支持率は、対外的な安定性から来ていると思います。安倍外交も100点満点ではありませんが、少なくとも、今の野党に外交、安全保障を任せられないと多くの国民が思っています。野党側も、単なる批判だけではなく、相手国ともよくコミュニケーションを取りながら、現実的な外交・安全保障政策を出していかなくては信頼感は生まれません。
政権を担うとは、外交・安全保障を担うことと同義です。少なくとも、米国、中国と今後どう向き合っていくのか、信頼できる方針を示さなければ、国民は政権を任せてはくれないでしょう。
3.地方に根ざした政党に十分なれなかった
民主党は都会型政党として成長してきました。県庁所在地のある「1区」でまず議員が生まれ、首都圏や大阪、名古屋、福岡といった大都会、そして、北海道で勢力を拡大してきました。私が民主党から出馬したときには、逆に、そういった「通りやすい」選挙区はほとんど埋まっていて、どちらかというと自民党の牙城のような「郡部」の地域から出馬する候補者が増えてきた時代でした。そして、2009年に政権交代。
しかし、政権についてからも、都会型政党であるという性質は変わりませんでした。幹部に、当選回数の多い都会出身議員が多かったことが、なかなか「全国政党」になりきれなかった一因かもしれません。その中でも、異色の政策だったのが「農業者戸別所得補償制度」です。
この政策によってはじめて民主党は地方にも支持される政党になったと分析していますが、これも残念なことに、農業や地方政策に熱心な議員はそれほど多くなく、戸別所得補償制度についても、党内に、自民党議員と同じように「バラマキ」だと批判する議員がいたことは残念でした。
また、政策だけでなく、自治体議員づくりや県連をはじめとした地方組織の強化もそれほど熱心に行われなかったと感じます。自民党は野党に転落したときも、地方議員がしっかり活動しており、それが政権奪還の大きな原動力になりました。地方を重視しない限り政権は取れないと思い知りました。
以上、3点述べましたが、当時、1年生議員でしかなかった私に見えていた風景はごく一部であって、政権を担った先輩議員たちは必死で政権運営をされたと思います。その意味では、失礼な記述になっている部分も多々あるかもしれませんが、なんとかもう一度政権を担いたいとの思いで述べたもので、お許しいただければと思います。
いずれにしても、マクロ経済政策、外交・安全保障政策、地方政策の3つの政策について、明確なビジョンを示さなくてはならないし、これらは、安倍政権の政策にほころびが見えはじめている分野でもあります。だからこそ、野党側に新しいビジョンが求められているのです。
政権交代から10年。
野党に転落してから約7年。
悔しさを忘れたことはありませんし、
万年野党をやるつもりもありません。
政権を担える野党をつくるのが、今の私の使命です。
失敗を糧に、反省すべきはしっかり反省し、
再び政権を担えるよう、臥薪嘗胆、がんばってまいります。
これからも、どうかよろしくお願い申し上げます。
編集部より:この記事は、国民民主党代表、衆議院議員・玉木雄一郎氏(香川2区)の公式ブログ 2019年9月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はたまき雄一郎ブログをご覧ください。