朝鮮人は日本に同化して「皇民」になった

池田 信夫

日本と韓国の問題は本質的には歴史認識、特に日韓併合をめぐる認識の違いである。その答は、国際法的には明らかだ。1910年の日韓併合条約は大日本帝国と大韓帝国の間で合法的に結ばれ、英米にも承認された。それが武力による威嚇の結果だという証拠は何もない。

日韓併合が不当な「植民地支配」だったという人もいるが、 植民地は悪ではない。当時は「民族自決」などという言葉はなく、朝鮮の伝統に独立国という概念はなかった。

植民地はキリスト教によって未開の地を文明化する制度だ、とヨーロッパ人は考えていた。日本の植民政策の指導者だった新渡戸稲造や矢内原忠雄が、クリスチャンだったことは偶然ではない。

では日本の支配は過酷なものだったのだろうか。 最近の実証研究では、朝鮮総督府が暴力的に支配した形跡はほとんどない。1919年の三・一事件では軍が暴動を鎮圧したが、その後は暴動は起こらなかった。

朝鮮人を無理やり同化させて、民族のプライドを傷つけたという人もいるが、それは逆だ。彼らは積極的に日本に同化したのだ。それがわかるのが、1940年の「創氏改名」である。

これは一般には、日本が朝鮮人の名前を強制的に日本名に変えたと思われているが、そういう法令は出ていない。たとえば朴正煕は「高木正雄」に改名したが、これは彼の届け出によるものだった。

総督府が義務づけたのは「創氏」であって「改名」ではない。それまで朝鮮半島には、男系親族集団を示す「姓」(結婚しても変わらない)はあったが、日本の民法の家を示す「氏」はなかった。彼らにすべて氏を与え、内地と同格にしたのが創氏だった。

創氏は何もしなくてもよかった。朴正煕が1940年8月の締め切りまでに新しい氏を届け出なければ、彼の氏は自動的に朴となり、朴正煕のまま暮らすことができた。そういう人もいたが、半年間に総戸数の63%の朝鮮人が、日本式の氏を届け出た。

それが「事実上の強制」だったという人もいるが、その反証はこの時期に日本式の「子」のつく名前に改名する女の子が増えたことだ。これは強制ではありえない。彼らは日本人になりたかったのだ。

このとき朝鮮姓は戸籍の「姓及本貫」の欄に別記されたので、戸籍を見れば朝鮮人とわかった。これは同じ姓で結婚しない慣習に配慮したものだが、「普通の日本人と同じ戸籍にしてほしい」という不満が朝鮮人には強かったという。

日本の朝鮮統治が平和に続いたのは、朝鮮人が「皇民」になろうとしたからだ。これは中国に支配されてきた朝鮮の事大主義の伝統で、主人を日本に変えただけだ。それはイギリスに対してたびたび大規模な反乱が起こったインドとは違う。

しかし日本にとっては、日韓併合は失敗だった。イギリスがインドを「ムガール帝国」として支配したように、日本も大韓帝国を保護国のままにしておけばよかったのだ。それを領土にしたので、内地と同等にするために莫大なインフラ投資をし、それは1965年の日韓基本条約ですべて放棄させられた。

朝鮮半島を無抵抗で併合したため、陸軍はその後も満州を併合しようとし、そこから中国大陸に南下して自滅した。朝鮮人があまりにも弱かったことが、軍部の誤った成功体験になったのだ。

このように朝鮮の歴史を考えることは、日本の歴史を考え直すことでもある。来月から始まるアゴラ読書塾「東アジアを疑う」では、国や韓国を鏡にして日本の歴史を考えたい。