ソニー下克上の現実味、元社員も嘆く御手洗キヤノンの惨状

長井 利尚

キヤノンのトップは、御手洗冨士夫代表取締役会長CEO(84)だ。同社公式サイトの「会社概要」のページには、冨士夫氏の名前はあるものの、代表取締役社長COOの真栄田雅也氏(66)の名前は記されておらず、冨士夫氏のワンマン経営であることが垣間見える。

toshi ba/flickr:編集部

冨士夫氏は、1935年大分県出身。大分県立佐伯鶴城高校から転学して東京都立小山台高校を卒業後、1961年3月に中央大学法学部を卒業し、同年4月に伯父・毅氏が創業者の一人(※ 追記あり)であったキヤノンに入社している。1979年にキヤノンの米国現地法人社長に就任した。

御手洗肇氏(キヤノン公式サイトより:編集部)

1995年、冨士夫氏より3歳年下で、第5代キヤノン社長を務めていた従弟の肇氏(マサチューセッツ工科大学大学院で電子工学を修めた技術者)が社長在職中に亡くなった後、第6代キヤノン社長に就任している。冨士夫氏は社長就任後、キヤノンの財務体質強化、収益性の低い事業の切り捨て、生産性の高いセル生産方式の導入などを実行し、1995年から2006年の社長時代に素晴らしい結果を出すことができたと評価すべきだろう。

2006年、冨士夫氏は、日本経団連会長に就任し、キヤノン会長になった。第7代キヤノン社長には、内田恒二氏(京都大学工学部精密工学科を卒業した技術者)が就任した。2012年、内田氏が社長を退任すると、冨士夫氏がキヤノン社長に復帰した(会長兼社長)。

2016年には、第9代キヤノン社長に真栄田氏が就任し、冨士夫氏自身はキヤノン会長兼社長から会長になったものの、キヤノンで圧倒的な権力を持つ御手洗家出身の冨士夫氏より17歳若い真栄田氏は、冨士夫氏から見れば「小僧」にすぎない。

冨士夫氏の第6代社長時代(1995〜2006)、キヤノンは、間違いなく優良企業だったと言えるが、冨士夫氏が日本経団連会長に就任したあたりから、経営がおかしくなっていった。世界トップシェアを誇ったデジタルカメラは、スマホに侵食されて売り上げが落ち込み、プリンターの販売も低迷した。半導体製造装置ではASMLに完敗した。家庭用ビデオカメラ市場からは撤退に追い込まれた。業績は目標を下回り続けた。

世界初のミラーレス一眼を、パナソニックがマイクロフォーサーズ規格で発売したのは2008年。ミラーレス一眼が市場に投入された直後は、技術的に未熟な面が多々あったので、プロやハイアマチュアが本気で使うカメラとしては不十分であった。しかしながら、その後、様々な改良が急速に進んだことにより、最早、最高のカメラを求める層でも十分に満足できる水準にまで到達した。一方、一眼レフは、その欠点を克服できず、長所をこれ以上伸ばすことも難しい。

一眼レフの重大な欠点を2点指摘しよう。

1点目は、ミラーが物理的にカメラ内で上下するため、ミラーショックが発生し、それに伴って解像度が落ちてしまうのだ。以前の記事にも書いた通り、一眼レフでは、ミラーアップという、非常に面倒で特殊な撮り方をしない限り、イメージセンサー本来の解像度を引き出すことはできない。

2点目は、オートフォーカスの焦点を合わせるポイント(フォーカスエリア)が、ミラーレス一眼のそれに比べて著しく狭いため、構図の制約が大きいことだ。ソニー「α9」のAFセンサーのカバー範囲と、キヤノン「EOS-1DX Mark II」の「61点レティクルAF」の測距エリアを見比べていただきたい。後者は、前者に比べて、画面中央付近に集中しており、画面の周辺にはないことが一目瞭然だ。

「α9」のAFセンサーのカバー範囲(ソニー公式サイトより:編集部)

「EOS-1DX Mark II」の「61点レティクルAF」の測距エリア(キヤノン公式サイトより:編集部)

キヤノンが、フルサイズより一回り小さいAPS-Cセンサーのミラーレス一眼の初号機「EOS M」を発売したのは2012年と、かなり遅かった。私は、この「EOS M」を買って様々な試験を行ったが、ミラーレス一眼で先行している他社製品より、2012年の発売当初の時点で既に負けていた。ミラーレス一眼は、一眼レフの既得権益を脅かす存在なので、「ミラーレス一眼なんて、おもちゃですよ。本気で写真を撮りたい人は、一眼レフを使ってください」というキヤノンからのメッセージを感じた。

キヤノンEOS M(公式サイトより:編集部)

ところが、2013年に、空気を読まないソニーは、世界初のフルサイズミラーレス一眼「α7」を市場に投入してきた。2003年の「ソニーショック」で地獄を見たソニーは、現実を直視し、大きく生まれ変わった。顧客の声に真剣に耳を傾ける会社になっていたのだ。

本稿を執筆する前に、キヤノン(本体)に愛想を尽かして退社した、元社員の方にインタビューを行った。その方によれば、キヤノンの工場の生産性は高いものの、長期政権を敷く冨士夫氏が、新しいコンセプトの商品開発を妨害するので、志の高い社員の多くは退社してしまい、茶坊主だけが残ったそうだ。

以前の記事にも書いた通り、私自身は、キヤノンの一眼レフカメラを30年以上使い続けてきた、キヤノン製品の支持者だった。しかしながら、近年のキヤノン製品には、昔日のキヤノン製品に備わっていた魅力が感じられない。非常に残念なことだ。技術屋の肇氏が存命であったなら、現在のキヤノンの惨状を嘆いたことだろう。

新しいカメラが発表されると、私は、各社のショールームなどで試用してみる。自分の求めているものがあれば買うし、足りなければ、カメラメーカーの説明係の方に要望を伝える。ソニーは、顧客の声を真摯に受け止め、それを新商品の開発に反映させてきた。一方、近年のキヤノンは、顧客の声を無視し、長年同社製品を愛用してきたユーザーの離反を招いている印象を受ける。

今では、サードパーティー製マウントアダプターがあるので、キヤノンEFレンズを、ソニーEマウントを採用したミラーレス一眼で使うことが可能であり、キヤノンEFレンズを多数所有している人が、ソニーEマウントレンズを買うことなく、新型「α9 II」を使うことも可能なのである。

ソニーα9 II(公式サイトより:編集部)

このままでは、5年後、カメラ市場に生き残っているのはソニーだけになる可能性さえ排除できない。技術の目利きができないのに、田園調布の豪邸に居を構える虚飾に満ちた老害経営者を引退させられないキヤノンに、まともなガバナンスは期待できない。

一眼カメラという、唯一高収益を期待できるカメラ市場で、まんまと「イノベーションのジレンマ」に嵌ったキヤノンが、市場から見限られる日は近づいている。私は、キヤノン製品のファンだったので、キヤノン株主の方々には、冨士夫氏の代表取締役会長CEO解任を強くお願いしたい。複数の企業が切磋琢磨することで、市場は活性化するのだから。

※編集部より追記(11日11:30)メディア関係者から「御手洗氏は創業家ではない」と指摘がありましたが、キヤノンの前身の精機光学研究所は、内田三郎氏によって創業され、キヤノン(社名変更前の精機光学工業株式会社)の初代社長は御手洗毅氏です。議論の本筋と離れるので割愛したものの、間違いと指摘されるのは本意ではないので念の為、記載します。

長井 利尚(ながい としひさ)写真家
1976年群馬県高崎市生まれ。法政大学卒業後、民間企業で取締役を務める。1987年から本格的に鉄道写真撮影を開始。以後、「鉄道ダイヤ情報」「Rail Magazine」などの鉄道誌に作品が掲載される。TN Photo OfficeAmazon著者ページ