ルーマニア「チャウシェスク処刑」から30年目

長谷川 良

ルーマニアで24日、大統領選の決選投票が実施され、中道右派「国民自由党」(PNL)が支援した現職のクラウス・ヨハニス大統領(60)が左派の社会民主党(PSD)党首のビオリカ・ダンチラ前首相を破り再選された。先月、ダンチラ政権は不信任案が可決され崩壊したばかりだ。

ところで、ルーマニアで24年間君臨した独裁者チャウシェスク大統領が反体制勢力によって処刑されて来月で30年目を迎える。

チャウシェスク夫妻(Wikipediaより編集部)

同大統領夫妻の処刑シーンは全世界に放映され、それを見た北朝鮮の金日成主席、金正日総書記親子が当時、「次は俺たちかも」と思い、震え上がったという話は有名だ。

ルーマニア全土を掌握してきた独裁者チャウシェスク大統領の政権が崩壊する最初の一撃を加えたのは同国トランシルバニア地方の改革派キリスト教会のラスロ・テケシュ牧師、当時37歳だ。ルーマニアの少数民族マジャール系(ハンガリー人)の牧師が主導する、少数民族への弾圧政策に抗議する運動が改革の起爆剤となったことから、同牧師はルーマニア国民から「12月革命の英雄」と称えられてきた。

▲ルーマニアの12月革命の英雄・テケシュ牧師(1990年2月、ブタペストで撮影)

▲ルーマニアの12月革命の英雄・テケシュ牧師(1990年2月、ブタペストで撮影)

当方はチャウシェスク政権崩壊2カ月後、ハンガリー訪問中のテケシュ牧師と会見した。12月革命から30年目が経過する機会にもう一度、牧師との会見内容を振り返ってみた。

牧師は、「独裁者チャウシェスク大統領に不満を持つ人々が自発的に立ち上がったものだ。その発火点はチミシュアラ市民だった。12月の出来事は革命というより反乱だと考えている」と述べる一方、「国民は何のための蜂起かを理解していなかった。国民には民主主義に対する認識が決定的に欠けていたからだ」と説明。

民主化直後に急造された新政権(「暫定国民統一評議会」)に対して批判が続出していることについては、「チャウシェスク体制の負の遺産が残っているし、社会が民主化していない状況では当然だ」と指摘し、国民に「寛容と忍耐」を求めている。

テケシュ牧師は、「国民は目下、民主主義を模倣している段階だ。民主化プロセスが成功するためには、西側民主諸国と密接な関係を築く必要があるだろう。西側の民主主義のいい面を吸収できれば、我が国の民主化はゆっくりとしたテンポではあるが、成功すると信じている」と強調した。

――秘密警察が全土を支配している中、牧師は命の危険を顧みずに立ち上がり、民主化の起爆剤となったが、その原動力は何か?

「キリスト者としての信仰と、不義な者に対して逃避してはならないといった確信があった。多くの国民も、人間として自由でありたいという願いは、生命を失うかもしれないという恐れより強かった」

北朝鮮の独裁者・金正恩朝鮮労働党委員長が聞いたら恐れを感じるセリフだろう。恐怖と粛正が支配する独裁社会でも命を懸けて立ち上がる人間が一人でも出てくれば、独裁体制は崩壊してしまうことをルーマニアは世界に示したからだ。

あれから30年の年月が過ぎる。ルーマニアは現在、欧州連合(EU)と北大西洋条約機構(NATO)の加盟国だが、国内の民主化は依然、多くの課題を抱えている。

ルーマニアで2016年12月11日に実施された総選挙に圧勝した与党中道左派「社会民主党」(PSD)は昨年1月15日、中道右派「自由民主主義同盟」(ALDE)と連立政権を発足させた。紆余曲折があった後、昨年1月29日、ダンチラ首相が就任した。

PSDは公式には社会民主主義を標榜しているが、実際はニコラエ・チャウシェスク独裁政権時代に仕えてきた政治家や閣僚の末裔であり、“腐敗政治家、ビジネスマンの寄せ集め集団”ともいわれる。

ルーマニア各地で昨年8月10日、11日の両日、社会民主党(PSD)現政権の退陣、早期総選挙の実施などを要求する大規模なデモ集会が行われた。首都ブカレストの政府建物前で開催された10日夜のデモ集会では、警察部隊が催涙ガスや放水車でデモ参加者を強制的に追い払い、その際、452人の負傷者が出た。(「ブカレストで大規模な反政府デモ」2018年8月13日参考)。

テケシュ牧師の「民主主義を学ぶには時間が必要だ」は正しい予測だった。EU加盟国の中で最貧国という汚名を付けられたルーマニアだが、30年前に独裁者チャウシェスク大統領を自発的な人民の蜂起で打倒した国だ。欧州の代表的な国として世界に誇れるルーマニアを築いてほしい。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年11月27日の記事に一部加筆。