アゴラに寄稿し始めてから7年になるが、さすがに自分の名前をタイトルに入れたのは初めてだ(笑)。ただ、この問いはここ数年、自分自身が世間(アゴラの愛読者以外)のイメージと微妙にズレも出来ているのを感じているというか、編集長5年目に突入したアゴラのポジショニング的なことも含めて、何を模索し、悩んでいるのか、この場を借りて独白させてもらいたい。
突然、こんな記事を書くに至った理由は、(告知の意図は否定しないが)、森ゆうこ氏の質問騒動について書いた記事が、今週発売された2つの月刊誌、「Hanada」と「正論」に相次いで掲載されたためだ。いわずもがな両誌とも、メディア業界的には「保守論壇」にカテゴライズされている。
では、私が「保守論客」なのか、といえば、イエスでもあり、ノーでもあると思う。
たしかに森ゆうこ氏のような万年野党の政治家・政党、朝日新聞のような偽善的左派メディアには、私は常々厳しく当たっている。安全保障政策も、憲法改正と集団的自衛権容認を支持し、軍事大国として膨張する中国、歴史問題に粘着する韓国にも強硬な意見を持っている。
既存メディアの論者分類テンプレに悩む
ただし、保守論壇誌的なノリについていけないことも少なくない。
たとえば今週、「Hanada」と同時に発売された競合誌の「Will」の目玉記事は、櫻井よしこさんと和田政宗議員の対談、タイトルも「皇居に奇跡の虹が」だ。言うまでもなく、即位礼正殿の儀の当日、それまで降っていた雨が儀式の直前に止み、首都の空に七色のアーチをかけた“奇跡”を物語っているわけだが、そういうエモーショナルに皇室を持ち上げるノリはちょっと苦手だ。
誤解をされないように補足すると、櫻井さんも和田さんもリスペクトしている。なにより、天皇制の持つ歴史的な重み、日本人に敬愛されているシンボルとしての唯一無二の無形の力には言葉に言い表せないものがある。代替わりの今年は一連の皇室行事の伝統の織りなす力に感動もし、日本社会の底流に息づく皇室のたしかな存在を痛感した。
まとめると、(左派の人よりは絶対に)尊敬・敬愛はする。だから「あいちトリエンナーレ」で展示されるような作品は嫌悪する。しかし、天皇家を戦前のように過度に神格化することには違和感があるというスタンスだ。
一方で、日本の既存メディアは、保守 or リベラルで色分けした場合、「安全保障は保守的だが、弱者政策はリベラル的」といった“まだら”模様に寛容ではないのではと思う。もしかしたら私の偏見かもしれないが、保守の論壇誌で地位を築きたければ、ある種のテンプレートに迎合しなければいけないのではないかという怖さもある。
池田信夫と橋下徹はテンプレに入らない!?
その点は界隈の人物評にも当てはまる。旧来型のテンプレから外れた論客が出てくると、敵視とは言わないまでも仲間には思われないらしい。数年前、ある保守系団体の関係者や“同志”のマスコミ人との宴席にお招きいただいた際の出来事が印象に残っている。
それは参加していた某メディアの記者が酔いも手伝ってか「池田信夫と橋下徹は信用できない」と言い放ったことだった。理由を尋ねると、2人は慰安婦問題では韓国や朝日新聞に厳しいことを言うが、突然リベラルみたいなことを言うこともあるからだという。
たとえば、靖国神社について池田は「明治政府が国家護持したのは、キリスト教のような一神教がないと国民を戦争に動員できないからだ」などとして、「偽の伝統」と評する。明らかに靖国神社を神格化する保守ではない。ただし、国家のために命を捧げた軍人たちの慰霊施設の意義は尊重するあたりは、朝日新聞的なリベラルとは明らかに異なる。
橋下氏も、安倍政権を基本的に評価した上で、行政改革や規制改革に甘いところや公文書管理がずさんなことなどは徹底批判する。これも旧民主系の野党とはスタンスが違う。
先述の記者の言葉に唖然とした私に、団体のおじさんが「池田さんも橋下さんもリアリスト。いいことだと思うよ」とフォローしてくれた。なるほど。伝統や歴史を背負った保守的な人からすると、そうみえるのかなと。「不都合な真実」を厭わずに世に問う2人は、伝統的な政治勢力やメディアのテンプレにハマらないのではないかとそのときに得心した。
と、同時に、アゴラの編集長として自分の立ち位置が「保守」の人たちとの微妙な差異があることも感じ、以来、試行錯誤が続いている。
新しい論壇の流れを紙からも作れないか
そういう意味では、ネットメディアの世界は既存の論客テンプレにとらわれず、自由度は高い。
ただ、この5年でネットメディアの社会的プレゼンスが急速に増したとはいえ、ネットで届く層はまだまだ都市部が中心。年功序列の日本社会で、意思決定層の多いシニアにも拙論を届ける意味では、紙媒体の力はまだまだ侮れない。ネットで白熱した森ゆうこ氏の問題だが、既存メディアの桜を見る会報道にかき消されてしまっている。
その意味で貴重な機会をくださったHanadaの花田紀凱、正論の田北真樹子、両編集長にあらためて御礼申し上げたい。
ちなみに、リベラルの人はお二人を誤解しているかもしれないが、今回、森ゆうこ問題の論考オファーにあたり、花田さんが「野党がだめになりすぎるのは日本の民主主義によくない」と仰られた。田北さんも「与党側にも問題がある」と述べられ、旧態依然とした国対政治が国会改革や霞が関の働き方改革の遅れにつながっている点で私と意見は一致している。日頃の媒体を運営する側から、一人の書き手に回ることで大先輩方から得るものは多い。
保守 or リベラルの二極化、テンプレ化という悪弊から一歩踏み出した論壇の流れを、紙媒体からも新たに作ることはできないか。かつてSPAの巻頭連載を持っていた勝谷さんに一歩でも近づく野望として、「右でも左でもなく前へ」なスタンスで、いつか時事ネタのコラム連載を持ってみたいものだ。近い将来の目標のひとつにしたい。
それはともかく、各誌の皆さま、これからもよろしくお願いします。
…というわけで「Hanada」と「正論」ぜひお手に取ってください。拙稿以外にも読み応えある論考が多数載ってございます。
新田 哲史 アゴラ編集長/株式会社ソーシャルラボ代表取締役社長
読売新聞記者、PR会社を経て2013年独立。大手から中小企業、政党、政治家の広報PRプロジェクトに参画。2015年秋、アゴラ編集長に就任。著書に『蓮舫VS小池百合子、どうしてこんなに差がついた?』(ワニブックス)など。Twitter「@TetsuNitta」