石井正則
(原子力学会シニアネットワーク連絡会会長)
1. はじめに
雑誌「選択」の2019年11月号の巻頭インタビューで、田中俊一氏(前原子力規制委員会(NRA)委員長)は『日本の原発はこのまま「消滅」へ』と題した見解を示した。そのなかで、日本の原子力政策について以下のように述べている。
- 日本の原子力政策は嘘だらけ。いまだに核燃料サイクルに拘泥し、使用済燃料を再処理して高速増殖炉でプルトニウムを増やすことにより、数千年のエネルギー資源が確保できるという嘘を言い続けてきたことが最大の問題。
- 核燃料サイクルは商用レベルで実用化できる可能性はない。現に米国、英国、フランスが断念、多くの国は使用済燃料を直接処分する道を目指している。世界で再処理をやろうとしているのは日本だけ。
- 実用化できない核燃料サイクルを放棄し、再稼働した原発を安全に運転することに専念すべき。
- 人材育成や安全性向上のための技術基盤の開発に投資すべき。今のままでは原発は一回なくなる。
この見解の基底にあるのは、田中氏個人のエネルギー基本計画ならびに再処理政策を否定するものである。退任したとはいえ、規制行政を牽引、原子力行政の一翼を担った立場の方が、軽々しく原子力政策に反対し、原発消滅を示唆するような言動が許されるのであろうか?
以下にいくつかの問題点を示す。
2. 「日本の原子力政策は嘘だらけ」は暴言である
2018年7月に制定されたエネルギー基本計画(第5次)は、原子力政策再構築の項で「我が国は、資源の有効利用、高レベル放射性廃棄物の減容化・有害度低減等の観点から、使用済燃料を再処理し、回収されたプルトニウム等を有効利用する核燃料サイクルの推進を基本的方針としている」と述べている。
政府・民間の意見を集め多くの人の合議で決められた基本方針である核燃料サイクルを否定し、原子力政策を嘘呼ばわりするのは暴言といえよう。
人類はこれまで様々なエネルギー資源を利用してきた。これからもエネルギー資源の利用は続く。化石燃料はいずれ枯渇すると言われる今日、その後のエネルギー供給の選択肢を整備することは、エネルギー資源の恩恵にあずかってきた現世代の責務である。
核燃料サイクルは長期にわたりエネルギー資源を確保する有力な選択肢である。核燃料サイクルを「千年、二千年分の資源を確保するという罠に囚われたまま」との決めつけは、この責務を放棄するものと言えよう。
3. 世界では核燃料サイクルの実用化がすでに始まっている
田中氏の「米国、英国、フランスはサイクルの商用化を断念している」「核燃料サイクルが商用レベルで実用化できる可能性がない」という認識は誤りである。
フランスは再処理施設を運転しており、再処理済みのプルトニウムを原子力発電の燃料とするMOX燃料はフランス、ドイツ、スイスなどで使用されている。ロシア、中国、インドでは高速炉の実用化に向けた準備が着々と進んでおり、米国やフランスも次世代炉の選択肢には高速炉が含まれている。
たとえば米国では2026年には多目的試験炉の運転開始計画がある。因みにこれらの国は過去に試験研究などで高速炉の運転実績(米国7基、英国2基、フランス3基、ドイツ1基)があり、いつでも再開できる技術力を持っている。
使用済核燃料を直接処分するか再処理するかは各国の資源事情による。我が国のような資源の少ない国にとって、核燃料を最大限に活用するのは必然の選択である。
少なくとも百年、二百年先のエネルギー供給を安定的に確保する努力の放棄は、無責任と言わざるを得ない。
新興国は活発に原子力導入政策を掲げており、このままでは今世紀後半にはウラン価格の上昇を招きかねない。今世紀中頃には高速炉と核燃料サイクルを確立することが望まれる。
4. 再稼働原発を安全に運転するだけが原子力政策なのだろうか?
田中氏は「日本の原発は一回なくなる」「この国の原子力はフェードアウトの道を歩んでいる」と言っているが、原子力がなくなった時にどういう事態となるのか、考えたことがあるのであろうか?
我が国のエネルギー政策では2030年はもとより、2050年においても原子力を脱炭素電源として期待している。今後二酸化炭素の排出量削減は一層厳しくなるので、原子力の役割は2050年以降も高まりこそすれ、なくなることはない。
原発は消滅してはならないのである。このためには運転期間が終了した既存発電所の閉鎖を補充する以上の新規原子力発電所の建設が必要不可欠である。エネルギー政策における原子力発電の役割は再稼働だけではないのである。
5. 田中氏がNRAに残したひずみ
田中氏はNRAが発足した2012年(平成24年)9月から5年間委員長を務めた。NRAは行政の一翼を担い、その運営は適正、公平、迅速、効果と効率性(安全性向上の程度と負担の適正化の考慮)が求められる。
委員長在任中の「審査に合格しても安全とは言わない」との発言や以下に示す事例からは、原子力の安全性を確保する原子力規制の意義とは裏腹に、原発を消滅に向かわせる姿勢が伺える。
事例1 審査の長期化
田中氏は、当初審査期間は6ヶ月と言ったが、今日まで再稼働したのは9基に過ぎない。標準処理期間を定める行政手続法に則り、審査の迅速化、効率化に努めるべきであるが、このような姿勢がみられず、2030年におけるエネルギーミックス計画の達成が懸念される。
事例2 独善的なもんじゅ退場勧告
もんじゅについてNRAは事業主体の変更を要求、文部科学省は廃止を決定した。田中氏の核燃料サイクル否定論を見ると、巧妙なもんじゅ廃止誘導であったといえないであろうか?
事例3 なかなか収束しない断層問題
地震評価を巡って設置した有識者会合は、過去に審査に参画した権威あるメンバーを排除し、これまで原子力に批判的な学者を登用、事業者との間で軋轢が生じた。有識者委員の特異な主張に惑わされることなく、中立で科学的な判断に導く姿勢に欠けていたと言っても過言でない。
6. おわりに
2012年の田中氏の委員長就任を推挙したのは民主党政権である。民主党政権を指導した菅直人元総理は現在脱原発活動を積極的に展開している。田中氏の『日本の原発はこのまま「消滅」へ』を読むと、菅氏の脱原発活動と連動しているように見えるのはうがち過ぎだろうか。
エネルギー基本計画では原子力は脱炭素電源として一定の役割が期待されており、我が国は決して原子力消滅を目指してはいないのである。
現在の規制委員会には、我が国の原子力政策を実現するため、規制行政を効率的に推進することを願う。