喪中だが、今年も夜露死苦。私の持論だが…。年始に意識高く今年の抱負を述べる人は、残念な人だ。今日も夢、目標に向かって、短期の悲観と長期の楽観を胸に、全力でロックするだけだ。
それはそうと、昨日の第70回NHK紅白歌合戦はなかなか「残念」だった。ラグビー、五輪関連の特集、映像が多すぎで、肝心の歌がかすんでしまった。もう、何の番組を見ているかわからなかった。
スポーツはもともと、特に国家の代表が挑むイベントは、ナショナリズムの色を帯びがちではある。2019年から2020年に向かう今、ラグビー、五輪は避けては通れないものであるし、国民的音楽番組が国民的スポーツイベントを取り扱う理由もよく分かる。ただ、やや過剰ではないかと思った次第だ。ネトウヨ番組か、と突っ込まれたらどう答えるのだろう。だから、白組の大勝利を気持ちよく祝う気分になれなかった。率直な感想である。
令和になっても続く紅白歌合戦だが、特に平成の半ば以降、根本的、普遍的な矛盾を抱えているし、それに非妥協的に立ち向かい続けている。音楽と、そのファンが多様化する中、さらには、国民的ヒットというものが稀有なものになりつつある中、国民的音楽番組として存在し続けるという模索を、どう番組は続けている。
披露宴で栄光の架け橋がかかるときほど、複雑な気分になる瞬間はない。結婚は栄光ではなく、始まりなんだってば#紅白歌合戦 #NHK紅白歌合戦 #NHK紅白歌合戦2019 #NHK紅白 #白組優勝
— 常見陽平 (@yoheitsunemi) December 31, 2019
誤解なきように言うと、私は今回の紅白に期待していた。毎年恒例のTwitter実況ももちろんやった(tsudaるって言葉があったね、そういえば、ググってね)。実際、新たなチャレンジが多数だった。
オープニングを飾ったレコ大歌手フーリンの「パプリカ」は、キレキレのダンスだったし、グローバルな広がりを見せた。続く、郷ひろみの「2億4千万の瞳」も、彼らしい華、お祭り騒ぎ感に満ちていて痛快だった。山里亮太の結婚を祝うaikoの「花火」も、彼女の包容力と相まってナイスだった。
竹内まりやの「いのちの歌」は優しさに満ちていた。田舎の暴走族のような髪型で登場した菅田将暉は存在自体が「まちがいさがし」だったし、チイ兄ちゃんこと福山雅治も今年もキレッキレのパフォーマンスだった。
神龍に乗った氷川きよしは、ポスト小林幸子の筆頭だと感じた。いきものがかりの「風が吹いている」は「嵐」に対するエールだと受け取ったし、その嵐も、松潤メンバーの大学生が風呂場で入れたようなメッシュが可愛らしいし、櫻井メンバーもナイスな司会。欅坂の卒倒劇もあったが、初出場の日向坂にも、実はここで刺し違えるほどの覚悟を感じた。King Gnu、髭男など、話題のロックバンドを登用するのもナイスだったし、RADWIMPSもネトウヨ臭が消えていてよかった。
これだけ充実したのにも関わらず、過度なラグビー、五輪推し、さらには、日本応援の押し付けは、音楽をむしろ壊していたと感じた次第だ。実に残念だ。
もっとも、音楽とはスポーツ同様、利用されるものである。数年前、SEALDsの奥田氏がフジロックに出た際には「ロックに政治を持ち込むな」と賛否を呼んだが、今度は紅白に過度な愛国を持ち込まれた感があった。前者に関していうと、もともとロックは政治との接点があるものだし、後者も国民的な音楽番組ではあるのだけれども。
このような状況に対して、いちいち冷静さと情熱をもって接する感性と体力が必要だと感じた次第だ。その気付きがあったという点では、むしろ紅白に感謝したい。
今年は、私も、音源を、リリースする。メロディックデスメタルバンド、けだものがかりのメンバーとして活動してきたが、今年は、労働問題を中心に社会問題について警鐘を乱打するハードコアパンクバンド、カニコウセンとして音源をリリースする。「サービス残業」「表現の不自由」などマテリアルは揃いつつある。あまりにも攻撃的なので、紅白は無理かもしれないが、ロックフェス出演目指して頑張る。
さ、今年も楽しくいきますかね。
編集部より:この記事は常見陽平氏のブログ「陽平ドットコム~試みの水平線~」2020年1月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。