安倍首相の一斉休校要請を巡っては、専門家会議にも諮らず、WHOの最新報告などエビデンスに基づいた政治決断だったか、日を追うごとに微妙になっているのは池田信夫や駒崎弘樹さんの指摘のとおりだ。
一斉休校を巡る「菅外し」と今井氏の暗躍
個人的には、菅官房長官が政策決定に関与したのか微妙に思っていた。秋田から集団就職で上京した苦労人で、横浜市議出身。最高権力のなかで、生活者感覚を割と持ち合わせている菅氏が、親御さんたちの就業に影響が出ることを認めたのか不思議だったのだ。
案の定、休校要請の直後から朝日新聞などは、菅官房長官は決定ラインから外れ、さらには萩生田文科相が異論を唱えていたことを報じていた。そして、一斉休校の要請を進言したのが今井尚哉首相補佐官兼秘書官だったとされている。
さらに昨日になって週刊朝日の電子版が、より踏み込んだ“ずさんな内幕”を報じた。
【新型コロナ】「高齢者を殺す気か」の声も 安倍首相、休校要請の支離滅裂
週刊朝日が自民党幹部の話として伝えたところでは、感染拡大が深刻な北海道の鈴木直道知事が全小中学校の臨時休校を要請したことが、評判がいいと官邸で話題になって今井氏が進言。鈴木知事の後見人である菅氏、腹心の萩生田氏が止めに入ったのは朝日本紙の既報どおりだが、危機管理を専門とする警察庁出身の杉田和博官房副長官も菅氏とともに制止していたというから、首相と今井氏の前のめりぶりが尋常ではない。クルーズ船の対応が後手に回って内閣支持率が急落していたことへの焦りもかなり大きかったのだろう。
一般紙でも露見しはじめた官邸内の内輪揉め
もちろん、密室の出来事だけに誤報の可能性は残る。ましてや反安倍政権の朝日新聞系の報道だから、記事を読んだ直後は半信半疑ではあったのだが、安積明子さんの取材でも事実だった可能性が強まっているようだ。
もし大筋で報道どおりだとすると、背景として思い浮かぶのは安倍首相と菅氏の距離が広がっていることだ。そして同時に取り沙汰されていた菅氏と今井氏ら官邸官僚との権力闘争だ。
周知の通り、昨年秋の内閣改造で菅氏が引き入れた菅原一秀経産相と河井克行法相が早々に不祥事で辞任。入閣を後押しした目玉の小泉進次郎環境相もメッキがはがれて人気が急落し、「令和おじさん」として次期首相候補にも名前が上がり始めた菅氏の株は暴落した。
年明けからFACTAなど複数の雑誌報道で、菅氏が、今井氏や北村滋国家安全保障局長との折り合いが悪くなっていると伝えられていたが、とうとう朝日新聞のような一般紙でも露見したのだろう。私自身もコロナの問題が起きる前だが、永田町で関係悪化の話は耳にしている。
今井氏は安倍政権の石田三成 !?
国家的な危機を目の前に内輪揉めをされてはたまったものではないが、野党も最弱グループばかりで、絶対的支配が長期化し、確たる後継者も見当たらないという中では、エネルギーを内向きに使ってしまうのは世の常だろう。
あるメディア関係者が、こんな喩えを言っていたので膝を打ったのだが、いまの安倍政権を豊臣政権に当てはめると、能吏たる今井氏は石田三成に位置付けられるというのだ。
今井氏が三成であれば、菅官房長官は歴戦の軍師・黒田官兵衛、党人派の萩生田氏は加藤清正のような武断派といったところか。
豊臣秀吉が天下を統一すると、戦国乱世の有り余った戦いのエネルギーを朝鮮への外征に向け、あるいは内部の権力闘争は秀吉の身内を巻き込んで激化した。
(時代劇や俗説のイメージなので呉座さんに怒られそうだが)官兵衛と三成は対立していく。官兵衛は平和になって戦の出番が減ったこともあり、政権内の影響力が削がれていった。
一方、三成は筆頭奉行として、検地など豊臣政権の統治の実務を主導。朝鮮出兵の折には官兵衛だけでなく、清正、福島正則ら武断派との確執が深まった。やがて秀吉が、養子にしていた関白の秀次が謀反の疑いで粛清すると、跡目が幼子の秀頼になってしまうわけだが、秀吉自身の老いとともに政権が急速に不安定化する要因になった。
三成の忍城攻めと今井氏の一斉休校
三成と今井氏の“共通点”のように思えることがある。
映画「のぼうの城」でおなじみだが、三成は行政仕事は得意だが「戦下手」であったことも有名な話だ。天下統一総仕上げの北条攻めの際、三成はいまの埼玉県内にある忍城攻略の指揮を取った。そして秀吉、官兵衛がかつて備中高松城攻めで行った壮大な水攻めを真似たはいいものの、結局、忍城は落とせなかった。ちなみにこれは大軍に勝る豊臣方が北条方の城で唯一陥落させられなかったケースだ。
これは想像だが、三成は平時の行政仕事で辣腕ぶりを発揮するうちに万能感に陥って、戦(有事)でも結果を出せると過信、あるいは実績を残したいという欲があったのではないだろうか。
そして今井氏が安倍政権の三成だとすると、昨年9月から首相秘書官に加えて異例の補佐官を兼務しはじめるくらいだから、官僚心理としては位人臣を極め万能感のピークに陥ってもおかしくはない。
本来は専門ではない“合戦”(=危機対処)にまで口を出すようになった。おまけに政権の求心力維持という政略的な思惑も強くにじませてしまう。その結果、新型コロナウイルスという強敵を相手にした大戦(おおいくさ)で、“菅官兵衛”、“萩生田清正”らの諫言もはねのけ、乾坤一擲(と自分では思っている)「一斉休校」策を進言、“安倍太閤殿下”が「えいや」で下知をくだしてしまった…という構図では、与太話にしても笑えない。
「桜」が示唆する政権末期 !?
そういえば、書いているうちに気づいたが、最晩年の秀吉と史上最長在任の安倍首相にも“共通点”があった。秀吉は死ぬ前に醍醐寺や一帯を大改修し、突貫工事で醍醐山の山腹や伽藍全体に700本の桜を植樹。1300人を招き一世一代の花見の宴を行ったという(参照:Wikipedia)。そして令和の初頭、安倍首相が桜を見る会と前夜祭でお騒がせしているのは言うまでもあるまい。
絶対的な権力者と桜の因縁がある、ここでも共通点が!…と喜ぶのは朝日新聞の天声人語に任せておくが、絶対権力の末期という点でいくつかの類似点を想起させるほど、懸念があるのは確かだ。
他方、豊臣政権末期の頃といまの永田町で決定的に異なるのは、徳川家康のような政権交代可能な競合が見当たらないことだ。怖い仮想敵が存在しないとなると、政権内はますます内輪揉めをしやすくなりそうでげんなりする。安倍政権はどういう終わり方をするのであろうか。