WHOのテドロス事務局長は11日、新型肺炎の感染状況を「パンデミック」とした。中国国外の感染者の急増を受けてのことだ。とりわけ欧州の2月末から3月12日までの増加は、イタリア14,225人増を筆頭に、ほぼゼロだったフランス2,281人増、スペイン2,933人増、ドイツ2,316人増が目立つ。
イタリアの死者は1,000人を超え、スペイン84人、フランス48人後半、ドイツ3人に比べ突出する。こうした状況は筆者に14世紀の「黒死病」を想起させ、30年余り積んだままの『疫病と世界史』(W.H.マクニール著 新潮社。以下「前掲書」)を読み始めた。
クルーズ船の件では「検疫」が話題に上り、識者から「Quarantine」はイタリアが発祥で「40日」を意味する、などの蘊蓄も披歴された。その辺りも前掲書に詳しいので、ここ数日のイタリアの特殊な中国との関わりの報道と合わせ、以下に紹介してみたい。
パンデミックといえば2002~03年の「SARS」と1918~19年の「スペイン風邪」が思い浮かぶ。「SARS」騒動では、当時仕事で頻繁に行った台北でビルのエレベータのボタンが悉く壊れていた。見ると、感染を恐れて皆が「キー」で押していた。
その時の経験が今回の台湾の防疫に役立っていると聞く。他方、「MERS」で痛い目にあった韓国は、その時に学んで備蓄した大量の検査キットが却って仇になったとする報道もある。皮肉なことだ。
前掲書は「スペイン風邪」なる名称を使っていないが、「1918~19年には、米国、欧州、アフリカの軍隊が北仏で合流したため、未曽有の規模を備えた疫病が出現する環境が整った。…流行は全世界に広がり、地球上の殆ど全ての人間が感染、二千万人あるいはそれ以上が死んだ」とある。
戦争は大量の人間を短期間に長い距離を移動させる。病原菌にはこれが好都合らしく、2度の世界大戦以外にも、古くはモンゴル帝国の大遠征やナポレオン戦争などが浮かぶ。後藤新平による日清戦争後の検疫のことはひと月前に書いた。
ナポレオン戦争は「欧州がそれまで経験した最も激しい戦争に属した」が、「戦闘での死者の数は、感染症とくに発疹チフスによる死者に比べれば遥かに少なかった」らしい。が、天然痘に関しては、ナポレオンが命じた種痘が「彼の戦争の良き副産物となった」とのことだ。
モンゴル帝国支配下の交通が、「中央アジアの砂漠を横断してオアシスの間を辿る」古代からのシルクルードに加えて、「隊商や兵士の群れ、悍馬に跨った飛脚らが荒漠たる大草原をも通った」ことが、疫学的に重大な結果をもたらした。
つまり「草原地帯各地の齧歯類小動物が未知の感染症の保菌者と接触することとなり、そしてその病気には恐らく腺ペストが含まれていた」。腺ペストとは、クマネズミなどの齧歯類がその保菌者となり、それにたかった「ノミ」が人間に感染させる「黒死病」のこと。
1347年の欧州で「黒死病」は猛威を振るった。黒海に面した通商都市カッファを包囲していたモンゴル軍に腺ペストが突発したのだ。軍は引き上げを余儀なくされたが、悪疫は市内に侵入していて、そこから船舶によって全地中海、そして欧州全域に広がった。
衝撃は凄まじく、すぐに共同体がいくつか完全に消滅した。4年間の欧州の死者は人口の3分の1に上るといわれる。「黒死病」は最初の猛威の後も消え去ることはなく、新たな死者は前回の感染から回復した免疫保有者でない、若い年齢層に集中した。
腺ペストを媒介するクマネズミがアフリカから欧州に渡ったことにもイタリアが関係した。1291年にジェノヴァのある提督が、ジブラルタル海峡の自由な航行を妨げていたモロッコ軍を破り、キリスト教徒の船にこの海峡が初めて開かれた出来事だ。
■
そこで「Quarantine」。「隔離検疫」の考えは、聖書の癩病患者の隔離規定に由来する。最初に制度化されたのは、イタリア半島とバルカン半島に挟まれたアドリア海の1465年のラグーサ(ユーゴ)と1485年のヴェネチアで、やがて地中海全体に広がった。
疑いのある港からの船は遮断された場所に投錨し、40日間陸上との交渉を断つことを要請された(強制でない)。40日間という日数は、「感染の連鎖を燃え尽きさせてしまうに充分な長さだったから」で、「ちゃんと理屈に適っていた」そうだ。
それでもネズミとノミにとって上陸は容易だったらしく、ペストは中世から近世初期まで欧州で人口動態に大きな影響を及ぼし続けた。例えばヴェネチアでは1575年~77年と1630年~31年に発生し、市民の3分の1かそれ以上が死んだ。
スペインでは1596年~1602年、1648年~52年、1677年~85年に大流行した。そのことが、スペインが経済的政治的な力を喪失していった重要な要因の一つと見做さざるを得ないとする。疫病が一国の盛衰にまで影響したということだ。
が、同書は「隔離検疫」など公衆衛生上の措置だけがペストの発生を全面的に抑え込んだとは信じられておらず、それと気付かずにペストを遠ざける変化が生じたとする。
例えば、木材不足から石造りの家が増えてネズミと人間との距離を遠くし、また1666年の大火を機に屋根が藁から瓦に葺き替えられたロンドンで、屋根のネズミやノミが人間の上に落ちてくることが減ったことを挙げている。
今回のコロナ騒動でも、手洗いやマスクやハグや頬ずりなどの習慣の有無が関係するとの論がある。また、要請でも国民挙って従う国もあれば、処罰があっても聞かないといった国民性も云々される。確かに蔓延度合いに差が出ることだろう。
■
そこで今日のイタリア。「隔離検疫」の発祥国で、「黒死病」も経験したのになぜ感染爆発が起きたのか。どれも明確な証拠があるいう訳ではないが、ここ最近の報道からイタリアの事情を探ってみる。
BBC日本語版は連日イタリアの状況を伝える。8日から北部地域で始まった封鎖は全人口の25%の約1600万人が対象で、1000万人を擁するロンバルディア州では「医療システムの負荷が深刻化」し、「大勢が病院の廊下で治療を受けている」とある。医療崩壊ということか。
コンテ首相は9日、その移動制限措置を10日から全土に拡大した。同首相は社会の中で最も弱い立場の人々を守るためだと説明、イタリアの「習慣は変わらなければならない」とし、自宅に留まることが最善の方法だと述べた。
面会停止に受刑者が反発して暴動を起こし、3人が刑務所で、3人が移送後に死亡した。うち2人はヘロイン代用薬メサドンを目当てに刑務所病院を襲撃した後、薬物の過剰摂取で命を失ったらしい。何とも凄まじい国柄だ。
11日の読売新聞は、イタリアでの感染拡大で中国との関係を指摘する声が上がっているとし、「一帯一路」に参加した昨年の中国人観光客が前年比100万人増の600万人に達し、「因果関係は不明」としつつ、「1月末の最初の感染者は湖北省武漢市から来た中国人夫婦」とのロイター記事を載せた。
また、イタリアの中国系住民が約40万人に達し、その7割は「感染が深刻な浙江省温州市出身の繊維関連の工場で働く労働者が多い」としている。この関係では、11日の大紀元にも「今こそ中国共産党と決別せよ」との強烈な記事が載っている。
それによれば、台湾のある元県長が2月27日、イタリアの繊維業生産地プラートの中国人が感染源の可能性があると指摘した。世界有数のファッション都市ミラノを支える同地のグッチ、アルマーニ、プラダなどの、数千ともいわれる縫製工場のオーナーや従業員の多くは浙江省温州市の出身者だそうだ。
目下の感染者は中国で8万人、中国以外で5万人を超え、中国で3000人を超えた死者は、中国国外で2000人に迫る勢いだ。中国がいかに隠そうとしても、そのどれもが源を辿れば中国に行き着くことを世界中が知っている。