フランスのマクロン大統領、イギリスのジョンソン首相、ドイツのメルケル首相は、「ウイルスとの戦争」と言った言葉を使って、危機的状況に対する対策への理解を求めた。トランプ大統領でさえ、戦時中の大統領のようだと現在の状況をたとえた。そして、G7サミットの6月米国開催を中止すると発表した。「オーバーシューティング」という新しい言葉で、イタリア、フランス、ドイツの状況が紹介されているが、本当にあっという間に感染が拡大されている。
イタリアでは医療崩壊状況で、どの患者に人工呼吸器をつけるべきかといった命の選択に迫られている状況が報じられている。「もうこの患者さんは救えそうにないので、呼吸器をはずし、救命できそうな他の患者さんに利用することに迫られている」のだ。米国でも朝鮮戦時中にできた法令で、人工呼吸器の生産を進めていると報じされていた。
今週号のNature誌のEditorialとして「Coronavirus: three things all governments and their science advisers must do now」というタイトルで、コロナウイルス感染に対して、すべての政府が今なすべき3つのことが紹介されていた。
この論評は「六十数年前、チャールズ・スノーは、第2次世界大戦時に採用された科学的なアドバイスには、エビデンスが欠けていたと指摘した」という文章が冒頭に来る。そして、世界的な課題となっているコロナウイルス感染に対して、政権幹部にアドバイスしている人たちは、エビデンスに基づいているのかと疑問を呈している。
エビデンスを明確に示さないままに、自粛要請し、レストランは営業禁止となり、国境は閉じられている。これらの決定は秘密裏に決められ、突然、国民に戦争時のような状況を強いている。そして、米国や英国がWHOの示した3つの原則「(1)検査をして、(2)陽性者が見つかれば、濃厚接触者を追跡し、(3)隔離する」を実施していないことに苦言を呈している。
日本は(2)と(3)に関しては非常によくできていると思うが、孤発例が多くなってきている今でも、(1)の検査をすることについては、疑わしきものに枠を広げて検査することには消極的だ。日々に発表されるPCR検査数は大きく振れ、調べた件数に対する陽性者率は、2桁くらい違っているありさまだ。これでは、日本の疫学統計が信頼されなくて当然である。
そして、昨夜の専門者会議の会見は、ヨーロッパの首脳たちの切迫感のあるコメントと比べると、どうすべきなのかがわかりにくいファジーなものだった。結局、「各地域の判断に任せる?」では地域は戸惑うだけだ。集会をして何もなければOK、感染の拡大に火をつければ袋叩きにされるのが、目に見えている。経済的な影響を責められて委縮しているのだろうが、感染の抑え込みに責任を持つのは国の役割だと思う。
会見は、後日、感染が爆発的に広がっても責任を追及さないような布石を打ちつつ、怖れを抱かさないような形で終わってしまった。欧米に比べると指示が明確でない、如何にも日本らしいオブラートに包まれたものだった。その一方で、大阪・兵庫の往来を3連休にはできる限り止めて欲しいと要請している。これも、誰が要請したのか、あいまいなままだ。本当に不思議な国だ。
大阪府知事は、専門家会議のメンバーから、4月3日までに2府県で感染者数が3000人を超える可能性を指摘されたと述べていた。おそらく最悪のケースだろうが、この根拠もいまひとつ、よくわからない。
何もしなければ、オーバーシューティングで患者数はどのように増えるのか、どんな対策をすればどこまで感染拡大が抑えられると期待できるのか、だから、ここまで制限する方が望ましいと、仮定の話でも数字を挙げて説明できないものなのか。感染制御は科学的に行われるべきであり、必ず数字が伴うべきだと思う。未知の感染症なので、予測幅は大きく振れる可能性はある。そして、日本のリテラシーの低いマスメディアは、数字が異なると鬼の首をとったかのように攻撃するので、あいまいなままがいいと政府は考えているのだろう。
しかし、症状の軽い患者、無症状の感染者がどれくらいいたのかは、日本の統計から欠落していることは確実だ。このまま終息に向かうことを願うだけである。
編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2020年3月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。