新型コロナ実名報道を考える:私たち一人一人が「パブリック」を構成している

「実名報道を考える」では、共同通信編集局特別報道室の澤康臣編集委員(当時。4月から専修大学文学部ジャーナリズム学科教授)に聞いた現場の話を数回に分けて紹介している(澤氏の経歴は記事の最後に付記)。

今回は、実名報道に関連して、「公(おおやけ)」の意味について、澤氏に聞いてみた。

なお、同氏の話はあくまで個人的見解であり、所属組織とは関係ないことを付記する。

susanjanegolding/flickr:編集部

公の場での議論を土台とする、英社会

―少し広い視点での質問です。筆者は、実名・匿名報道で、2つの論点において、もやもやしたものを感じています。なかなか、うまく表現できないのですが。そのうちの1つは、「実名」と「公・パブリック」の考え方です。

筆者が住むイギリスでは実名原則ですが、社会の一人一人の構成員が公正に扱われ、オープンな場で裁かれる・議論されることを土台とした社会の成り立ちがあるようです。この流れで、実名報道=歴史の記録の1つ、という考え方があるように感じています。

日本では、この「パブリックのため」、あるいは「議論の公的空間」という意識がイギリスとはまた違うような気がしています。「人の気持ちを傷つけない」ことを非常に重要視する社会が日本であるようです。何かご感想があれば、お願いいたします。

この「パブリック」に関する考え方は市民と社会との関わりに大きく関係していると思います。市民が何を担うのか、ということでもあります。ところがパブリックという概念がうまく日本では取り入れられていないように感じています。

パブリックは日本語では「公(おおやけ)」「公共」などと訳されます。そこで「パブリック・ドキュメント」をそのまま「公の文書」「公共文書」と訳したら、官庁など政府機関の文書という意味合いが非常に強く出ないでしょうか。

パブリック・ドキュメントは官庁の文書という以前に「公共公開の文書」「誰でも読めるように扱われている文書」という意味合いが非常に強いですよね。政府の文書という意味合いを出したいときは「オフィシャル・ドキュメント」という方が良いと思います。「公共機関」という日本語も自治体や政府というニュアンスが強く出ます。

でも、英語のpublicはピープルと関係が深い言葉で、市民みんな、という感覚ではないでしょうか。だから公開とか共有とか、そういう意味に使われるのだと思います。そして、私たち一人一人もまたパブリックの一員です。

日本語の新聞記事で「人が倒れているのを通行人が見つけ、110番した」というときの「通行人が」というのは、英語の新聞記事だとしばしば「a member of the public」と表現されています。パブリックの一員だから、みんなのために行動するという感じが出ますよね。これが「滅私奉公」になるのが封建社会の発想ですが、民主主義であればこれは「自治と参加」の根幹となることだと思います。

「パブリック」をめぐる、「官」と「民」の関係

パブリックを日本式に「官」のニュアンスで受け止めれば、私たちは自分自身をパブリックの一員とは思わないのではないでしょうか。そういう公共のことをするのは「官」であって「民」ではない、という空気が日本には濃く流れているように思えてなりません。

「民」は公共のものごとを担う側ではなく「お客さん」。お客さんだから、政治や行政に「苦情」はいろいろ言うけど、じゃあ自分で何かやってみよう、自分で変えるアイデアと行動にとりくもうという発想もなかなか生まれにくいのかもしれません。あるいは、「そんな立場じゃないから意見も差し挟まない」だったり…。となると、英語ではa member of the publicだったはずが日本では「しもじも」みたいに思えてきます。

私たち自身こそ公共、だから社会のルール制定者や運営者の一部だという意識は、日本においてはなかなか希薄だと思います。誰もが少しずつ公人であって、それは望むか望まないかと関係ないことも多々あると思います。何か公共的、社会的な出来事や場面にたまたま自分の意思と関係なくかかわることも、人生の中で当然あります。私たちは誰もが言葉本来の意味で「社会人」、つまり社会と政治の運営・参加者だと思います。

そう思ったときに、人は誰もがオープンな社会に責任を持って参加するものであって、それは基本的には公的に実名でなされるものだと思うのです。ただ、これは多くの場面でとても酷なことだし、負担の大きいことでもあるとも思います。

自分だったら嫌だということと、しかし社会の仕組みや在り方としてそうある必要があるということとは、相当程度にわたって両立します。「当事者の希望どおりにすることが、社会制度として良好なものになる」とはいいきれないでしょう。

目立たずに生きたいひとはそうすべきだ、それぞれの幸せだ、というのも一つの真理かも知れないのですが、私はそれをあまり強く言うことにはいささか抵抗があります。

意見を言ったり意見を求められたり、そんなにして目立つ必要はない、それが配慮だという発想に陥ると、本来の民主主義の在り方から逸脱し、「お上」まかせのパターナリズム(親心による庇護の関係)、エリート主義、お任せ主義に堕していく危険を感じるのです。

「世の中の人はだいたい信用できる」に同意した人の比率が極端に低い日本

名乗って社会で行動するということは、他の人に見られ、知られるということですが、それが怖い気はします。私自身も他人に知られざる人生を送る、いわば匿名人生の心地よさは感じます。でもこれも日本的な「他の市民への不信、恐れ」かもしれません。総務省の調査(2018年版情報通信白書)で「世の中の人はだいたい信用できる」という考えに「そう思う」と答えた人は、アメリカ、ドイツ、イギリスともだいたい18~20%程度です。ところが日本だけは2.8%なんですよ。

「2018年版情報通信白書」166ページより)

他の人が信じられない、つまり何されるか分からない、そんな社会に実名で出るのは怖いと思いますよね。他の人との相互信頼とかコミュニケーションが薄い感じです。実際、日本ではバスや地下鉄に乗って人にぶつかったりしても何にも言わない人も多いです。知らない他人に注意を促すときにやたら怒ったような言い方をする、困っている人がいてもみんな知らんぷり、なども日本の怖い、嫌なところだと思います。

ニューヨークの地下鉄駅でちょっと困った顔をしていたら誰かしら声を掛けてくれるし、普通のコンビニみたいなお店やバスの中で見ず知らずの人が「そのカバンいいね」「あんたのジャケット素敵だね」と言ってくるなんてのはよくあることです。電車に乗っているとホームレスのおじさんが「私はホームレス、非常に厳しい人生を懸命に生きている」といってカンパを求めて回り、お金を出す人は普通にいます。市民同士、声を掛け合って生きている感じがあります。

「現場や被害者のことを見ないようにする」配慮が行き着く先は

日本だと、駅や電車内で犯罪被害などトラブルが起きたら市民同士声を掛け合って、つまりメンバー・オブ・ザ・パブリックの行動をするというよりも、むしろ「係の人」を呼ぶと思います。

もちろん、係の人はどこの国であっても結局呼ばなければなりませんが、それにしても一般市民はしゃしゃり出ない方向なら、現場や被害者のことを見ない、知らないようにするほうが良い配慮かも知れませんね。それも善意から出ていることは全く確かだし、それこそが「匿名報道」の思想かもしれません。

他の市民が信頼できる、ということにならないと、市民みんなでものごとを決める民主主義の仕組みより、立派な「係の人」にお任せするエリート主義のほうが信頼できるということになりはしないかと思います。裁判の公開をはじめ、情報をオープンにすること、オープンに議論することも、もちろん報道でいろんな情報を共有することも意味は乏しくなってしまうでしょう。

日本の報道倫理の議論の特徴は、取材先や記事に出てくる人に「迷惑を掛けていないか」がそうとう強く問われることです。

英語圏だと「市民により良い情報をきちんと提供出来ているか」が重視されるのに対し、日本では情報が公表される過程で傷つく人が出ることを非常に重大にとらえる。誠実さの一つの形だとは思いますが、「市民が情報を得ること」が比較的に重視されないわけでもあります。情報を「知られる」という意識と、情報を「知る」意識のバランスーーいってしまえば「一般市民もナマ情報を知り、だから議論・検証できる」という主権者意識とのバランスが他国と違うのではないかという気もします。一般市民にナマ情報がなくても、お上が首尾良くやってくれる安心感があるのではないでしょうか。

これは、民主主義になじんでいるかどうかということと深くつながるように思います。「文化の違い」ですませるにはいささか重すぎるように感じます。(続く)

澤編集委員は社会部で司法取材を長く担当し、英オックスフォード大学ロイタージャーナリズム研究所への留学を経て、『英国式事件報道 なぜ実名にこだわるのか』(文藝春秋、現在は金風舎から「イギリスはなぜ実名報道にこだわるのか」としてペーパーバック版で発行)を上梓。その後、ニューヨーク支局に勤務し、アメリカや世界のジャーナリズムの現場を体験した。パナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」から流出した機密文書「パナマ文書」の国際的な調査報道に参加し、「グローバル・ジャーナリズム 国際スクープの舞台裏」(岩波新書)を出版。4月から専修大学文学部ジャーナリズム学科教授。


編集部より;この記事は、在英ジャーナリスト小林恭子氏のブログ「英国メディア・ウオッチ」2020年4月9日の記事を転載しました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、「英国メディア・ウオッチ」をご覧ください。