「9月入学」急浮上は良いが、改革をサボるな(上)

鈴木 寛

新型コロナウイルス感染拡大の長期化に伴い、学校の9月入学論が急浮上しています。安倍総理も4月29日の衆議院予算委員会で「前広に様々な選択肢を検討していきたい」と踏み込みました。

9月入学への移行はすでにご承知のように、海外留学がしやすく、また逆に外国人留学生の受け入れもスムーズになるメリットは非常に大きいと思います。さまざまな価値観に刺激されることは重要です。

知らない土地、違う文化、言葉の壁などで悪戦苦闘するもの。しかし、それが「財産」をもたらすのです。私の学生時代で一つ大きな後悔があるとすれば、1年ほどの長期留学をしなかったことです。留学未経験の私がそう言えるのは、社会に出て30歳になる前、ジェトロに出向し、オーストラリアでシドニー大学の研究員として1年駐在する機会がありました。

当初は寮に1人住まいだったのですが、英語力向上も目的に、当時の日本では珍しかったシェアハウス形式の住居に引っ越しました。2人のルームメイトと過ごし、語学力はもちろん外国人との意思疎通できることの自信も培えました。この1年の経験は、役所、議員、大学教員と舞台を変えても世界各地のキーパーソンと直接やり取りできる武器をもたらしました。

9月入学については、第29代濱田前総長が東大総長に就任されたのが2009年4月、私も、その年9月に文部科学副大臣に就任しました。濱田前総長が熱心に進められておられた東京大学の学部生の9月入学については、私は大賛成でしたので、バリバリの9月入学論者と思われているようですが、今回の「9月入学」議論に両手をあげて賛成かといえば、いくつか意見があります。

まず、私は、大学の議論と小中高の議論を分けるべきだと考えます。大学については、すでに大学の判断で9月入学にすることができるようになっています。現に、慶應SFCでも、東大の大学院でも、9月入学生と4月入学生が入り混じってうまくやっています。理想は、今の4月、9月並立型です。学生も、大学には、むしろ半年ギャップイヤーを経て、入ってくることも意味がありますし、大学入試の後期日程も、高校卒業後にもできるので、高校の学事日程が入試日程で邪魔されるとの公立の校長たちがよくおっしゃる問題も解決されます。なので、必ずしも、高校の卒業と大学の入学が同期している必要はありません。大学の方は大変ですが、高校生にとっては、一年浪人ではなく半年後にチャンスがあるのも、悪くありません。

あとは、各大学が判断し、あとは、足並みを合わせるのか合わせないのかは、国立大学協会、私立大学連盟、私立大学協会などで議論すればいのです。一方、いつまでもこうした業界団体で完全に歩調をあわせる時代でもないので、何か決め事をするというよりも、議論をするくらいでいいのだと思います。大学についての政策論議はすでに終わっているのです。

編集部撮影

さて、小中高です。私がまず申し上げたいことは、9月入学の是非はともかく、思いつきや素人考えで議論することはやめたほうがいいということです。私の提案は、「小中高の校長に、意見を集約してもらいましょう。外野は、その議論をじっと見守りましょう。」ということです。当然、校長たちには、保護者、児童・生徒、教職員の意見もよく取材してもらって決めてもらいます。

これまでも、何度となく、秋入学は検討されてきました。文部科学省の倉庫にいけば、いくらでも検討資料は眠っています。もちろん、今のグローバル化、新型コロナの状況を踏まえてアップデートする必要がありますが、主な論点は現場の校長ならば、わかっているはずです。文部科学省の顔色を伺うのではなく、自ら考え、行動する校長になってください。今の状況を冷静に分析し、問題を解決するのに、9月入学制が必要ならば、やればいい。

ただ、9月入学制にしたらしたで、新たな負担や混乱も生じます。そのトレード・オフを見極めて、判断してください。校長たちが出した判断ならば、どんな結論であっても、みんなで応援しましょう。

ただ、今回の9月入学を、政治家や一部の首長たちが提起し、メディアが乗っかっているのは、論点ずらしだったり、視聴率狙いのネタづくりのような気がしてなりません。

つまり、長らく教育にしっかり投資してこなかったツケがこの局面で回ってきていているのです。平成後半にやるべきだった改革をサボってきた責任をうやむやにする論点ずらしにしか、私には、見えないのです。

下に続く


編集部より:このエントリーは、TOKYO HEADLINE WEB版 2020年5月7日掲載の鈴木寛氏のコラムに、鈴木氏がアゴラ用に大幅加筆したものを掲載しました。TOKYO HEADLINE編集部、鈴木氏に感謝いたします。