コロナより怖い政治的リーダーの判断ミス

中村 仁

楽観視の米国、過大視の日本

コロナ危機に対する緊急事態宣言が全面解除となりました。この2,3か月、私は国別の死者数の格差があまりにもはっきりしており、「なぜだろう」と、考えない日はありませんでした。多くの論点がある中で、政治的な判断のミスがコロナ危機を増幅したという印象を強く持ちました。

トランプ米大統領はコロナ危機を「民主党が政治的に利用している。メディアのフェーク(偽)ニュースだ」と軽視し、対策に乗り出すのが遅れました。秋の大統領選を控え、コロナ感染が拡大しては不都合だという政治的動機に勝てなかったのです。

The White House/flickr:編集部

米コロンビア大学が「対策1週間、早ければ死者は2万9000人、2週間、早ければ1万人で収まっていた」との推計を出しました。トランプ氏の判断ミスが惨禍を招いたと言えます。米国の過少評価で経済危機を招き、日本は逆に深刻に考えすぎた判断ミスから、経済危機を招いています。

世界最多の米国の死者が約10万人、最小レベルの日本は830人で、大差がつきました。驚いたのは解除宣言の記者会見で安倍首相が「日本モデルの力を示した」「日本ならではのやり方で、わずか1か月半で今回の流行をほぼ収束させることができた」と、冒頭に断言したのです。

「あれっ、日本モデルなんかあったの」と皆が思い、多少詳しい人は「わずか1か月半というけれど、緊急事態宣言の前から収束に向かっていたはず」と、疑問に思ったことでしょう。政治家は結果がよければ自分の功績にし、悪ければ他人の責任にするという人たちです。

4月7日に7都府県に緊急事態宣言を出した直後の16日、首相は全国を対象にした宣言に拡大しました。その前のある日、関係閣僚や次官を集めた会議で、首相は「宣言を全都道府県に拡大すればいいじゃないか」と発言し、出席者はあっけとられます(読売5/26朝刊)。首相からすると、危機拡大を印象づけ、自分が陣頭に立っているとの構図を作れるとの計算でしょう。

菅官房長官らは対象外になった県の不満を汲んで「対応を厳しくすれば経済がまひする」ことを恐れた(同)。首相の独断は、2月下旬に学校の一斉休校を打ち出した時もそうでした。医学的理由を考えず、政治的動機を優先させたと言われています。コロナ危機に立ち向かう首相の姿を演出したい誘惑にとらわれたのでしょうか。

 

5月4日には、宣言を月末まで延長することを決めました。この頃には、新規感染者数は急速に落ち込んでおり、「延長の必要はなかった」という専門家は多い。実際に、14日に39県で宣言を解除、21日には関西3府県で解除、そして25日に首都圏を含め全面解除です。延長の必要はやはりなかった。

緊急事態宣言延長を説明する安倍首相(5月4日、官邸サイトより:編集部)

「日本モデル」の実像はそんなところです。「わずか1か月半で収束」はどうでしょうか。コロナ問題で異彩を放った言論プラットフォーム「アゴラ」では、代表の池田信夫氏が感染数・死者数のデータの各国比較を根拠に「緊急事態宣言は必要ない」「米国では死者220万人もとかいう衝撃的な数字。それが逆輸入された」「西浦教授が日本でも死者40万人と言い出した」と、早くから指摘していました。

政治的指導者が極度の悲観論を強調し、それと闘う政治家像を印象づけようとしたのではないか。その経済的代価は途方もない金額に上ります。首相は会見で「第二次補正予算と合わせ、事業規模は200兆円を超える。世界最大の対策で100年に1度の危機から日本を守り抜く」と。政治的ポーズです。

日本の死者数は欧米の100分の1で、国際的に「日本、韓国、台湾、中国などはなぜこんなに少ないのか」という声が上がるなかで、日本におけるコロナ危機を拡大解釈し、そのために経済活動を過剰に自粛させ、救済策に200兆円を投入する。その費用は将来、国民が負担する。負の連鎖です。

日本などの死者数がなぜ少ないのか。検証すべきテーマです。新聞は「医療水準高さの、マスクや手洗いの習慣、日本人に多い遺伝子のタイプがウイルスに強い」(読売)、「政府の機能が機能したわけでなく、専門家もうまく説明できていない」(日経)と、言葉少なです。

この間、ネット論壇では「BCG接種国では感染数、死者数が圧倒的に少ない」「ヒト白血球抗原(HLA)のタイプによって感染しやすいか、しにくいが分かれる」など、免疫力や遺伝子から「日本の謎」を解く多数の論考が登場し、伝統的メディアを圧倒しました。

正体不明のウイルスですから、過剰反応をしても、判断ミスをうやむやにできる。それにしても、コロナ危機に対する過剰反応を指摘する新聞論調を見かけないのは不思議です。記者会見で検証の必要性を問われ「油断できないし、検証するという段階ではない」と、首相はかわしました。違うのです。第一波を検証しておくことが第二波、第三波の対応で不可欠なのです。

「解除の判断を急いだ政権」(朝日)、「解除を急いだ首相」(読売)、「東京も早くと急いだ首相」と、どこも右へならえの政権批判です。違う。「日本にとっての危機の深さを見誤り、過剰に経済社会活動にブレーキをかけ、その結果、巨額の経済対策が必要になった」と思うのです。

経済の萎縮で失業率が1%、高まると、自殺者が1000人から2000人も増えるという相関関係があるそうです。3月の失業率は2.5%で、それが6%まで高まる。隠れ失業者(休業状態の人)を含めると11%との予想があります。現在のコロナ死より、自殺者の数が上回りかねない。

国の政策としては、コロナ死と失業による自殺者を合わせた数字を最小化するのが正解です。新聞論調は「感染予防と経済活動の両立を」と、これも右へならえです。そう言っておけば、どちらに転んでも批判されないからです。正しくは「両者の死者数の合計の最小化」なのに、そう書くと、「経済再起動ために、コロナ死が増えてもいいのか」という批判を受けるのが怖いのです。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2020年5月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。