敵基地攻撃能力を議論するなら、核保有の議論にも踏み込むべき

河野防衛相が停止を発表したイージス・アショア(防衛省サイトより)

河野防衛大臣は6月15日夕刻の記者会見でイージス・アショア計画の停止を表明した。その唐突な会見の経緯が、6月24日にNHKが報じた「イージス・アショア 配備停止 極秘決定はなぜ?」と題する7000字の長文記事にまとめられている。

計画停止の説明を河野大臣は、山口・秋田両県知事に事前に電話でした。知っていたのは総理と官房長官だけで、自民党や米国にも知らされていなかった。大臣が「候補地だった両県知事にもし事前に漏れたら、今後一切、防衛省・自衛隊への協力は得られない」と考えてのことだったという。

迎撃ミサイルのブースターを「演習場内に確実に落下させる」、との地元との約束を果たすことが技術的に困難と判ったことが停止の理由だという。200kgのブースターと核ミサイルのどちらが脅威かとの論もあった。が、筆者はこれを機に「敵基地攻撃」が議論の俎上にのぼったことを好ましく思う。

およそミサイル防衛では、着弾に近づくに連れ難易度が上がるというのが定説。ならば、地上配備型迎撃ミサイル「PAC3」≦高高度迎撃ミサイルシステム「THAAD」<イージス・アショア迎撃ミサイル「SM3」≦イージス艦迎撃ミサイル「SM3」<敵基地攻撃ミサイル、の順に確実性が上がるのだろう。

安倍総理はその後の記者会見で、「相手の能力が上がる中で、今までの議論の中に閉じこもっていていいのか、という考えの下に自民党の提案が出されている。そういうものを受け止めなければならない」と述べ、「敵基地攻撃能力」の保有を求める意見が党内にあり、議論する考えを示した。

自民党は2017年に「北朝鮮の脅威が新たな段階に突入した」として、弾道ミサイル防衛の強化についての提言をまとめたことがある。この中で、イージス艦などによる従来のミサイル防衛能力の強化と共に、「敵基地反撃能力」の保有を検討するよう求めていた。

鳩山一郎(Wikipedia)

この考えの基礎になるのが56年2月の鳩山一郎総理の答弁だ。鳩山一郎が「ハトポッポ由紀夫」の、そして答弁を代読した船田中防衛長官が自民党ハト派の船田元(15年の憲法審査会で敵を参考人に招致する大ポカ)の、それぞれ祖父というのは何という歴史の皮肉だろうか。

我国に対して急迫不正の侵害が行われ、その侵害の手段としてわが国土に対し、誘導弾等による攻撃が行われた場合、座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とするところだというふうには、どうしても考えられないと思うのです。

そういう場合には、そのような攻撃を防ぐのに万やむを得ない必要最小限度の措置をとること、たとえば誘導弾等による攻撃を防御するのに、他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地をたたくことは、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるというべきものと思います。

この4日には、東京新聞の記者がミサイル防衛に関する自民党提言について河野大臣に、「中国や韓国の理解を得られる状況ではないのでは?」と質問し、大臣が「中国がミサイルを増強しているときに、なぜその了解がいるのか」とマスクを外して気色ばむ出来事があった。

真顔で聞いたらしいこの記者には呆れる。が、筆者は国民の多くがこのように考えているとしても不思議はないようにも思う。なぜなら戦後75年、日本国民はGHQのWGIP(war guilt information program)によって、このような思考を持つことに慣らされてきたからだ。

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9日の産経は、中国は目下、前年比1割増の約320発の核弾頭を保有している(ストックホルム国際平和研究所)とし、また5月には環球時報の胡錫進編集長が「より多くの核兵器保有によって米国の戦略的野心を抑止しなければならない」として、核弾頭を1千発まで増やすよう訴えたと報じている。

同記事は、非核保有国への核兵器使用を否定する中国だが、実態は不透明であり、米軍準機関紙「スターズ・アンド・ストライプス」が17年に、中国がゴビ砂漠に米軍横須賀基地や沖縄の嘉手納基地などを攻撃対象に模したミサイル実験場を設置していると報じたことにも触れている。

北朝鮮も目下、10~20発(最大60発とも)の核弾頭を保有するとされ、それを運搬するミサイルも、日本のほぼ全域に届く中距離の「ノドン」や、米領グアムを狙う「ムスダン」など多様な弾道ミサイルを数百発も保有するとされる。(*9日の産経別記事)。

核実験を指導する金正恩氏(2017年、朝鮮中央通信より)

このような現状に鑑みれば、「敵基地攻撃能力」などむしろ当然で、さらに「核兵器保有」をも視野に入れなければ、我が国の防衛は覚束ないのではなかろうか。すなわち、金正恩が先月27日の朝鮮戦争休戦67周年で次のように述べたことが参考になる。

核抑止力により、わが国家の安全と未来は永遠に堅固に保証される。頼もしく効果的な自衛的核抑止力により、この地にもはや戦争という言葉はない。

5日のロイター「世界を一変させた原爆投下、『広島』から75年」は、世界には核兵器が14,000発近くあり、米国が6,185発、ロシアは6,490発(すぐ使えるのは3割)、そのほか英仏中印パ、イスラエル、北朝鮮に各々数十から数百発あるとの米ワシントンの軍備管理協会の推計を載せている。

今年も広島と長崎の原爆式典では、これまで同様に核兵器のない世界が希求され、そして日本が核兵器禁止条約の締結国になるようにとの訴えがなされた。だが、戦後75年間、核兵器がなくなるどころか、核保有国はむしろ増えた。だが、核兵器は広島・長崎以降、一度たりとも使われていない。

この事実は、先の金正恩の発言が正鵠を射ていることの証左ではあるまいか。「核兵器のない世界」が訪れるに越したことはない。が、果たしてその日は来るだろうか。ならば「核兵器が使われない世界」はどうか。それならあり得るということを、金正恩の北朝鮮はいみじくも証明している。

独自に核を持つか、米国との共同運用にするか、方法論は様々あろう。が、「防衛」の意味しかないイージス・アショアから、「抑止」の意味をも有する「敵基地攻撃能力」の議論に踏み込むなら、この際「抑止のための核保有」も議論に含めてはどうか。

コロナ予防には、マスクよりワクチンによる免疫獲得の方がきっと効果的なのと似ていなくもない。議論だけなら予算も要らないから秘密にやれば良い。米国の核開発は、ルーズベルトが死ぬまで副大統領のトルーマンにすら知らされなかった(参照拙稿)。