このブログでも、科学メディアのリテラシーの欠如を再三指摘してきたが、今回は当事者となってあきれ返っている。これまでも、日本国内でノーマークの研究者が受賞して、突然の大騒ぎになったことがあるが、それは日本国内にしっかりとした評価制度がないことの裏返しでもある。
私はノーベル賞の候補者としてピックアップされたのではなく、論文の引用回数という指標を通して、医学研究への貢献がクラリベイト引用栄誉賞として認められただけの話である。どこで話がすり替わってしまったのか?
がん研究会の広報や私の秘書に多くの問い合わせが来ているが、10月5日の夕方以降は静かになることが確実だ。昨日、内閣府人工知能ホスピタルプロジェクトの評価委員への説明会もあったので、先週半ばから週末にかけては結構忙しかったうえに、この状況で時間が取られて、疲れが蓄積している。それにしても、この狂騒はどうしたものか?
引用栄誉賞の受賞では記者会見もしたし、質問にも応じた。「私はその場にいなかったので、改めて聞かせてほしい」と言われても、私の体はひとつしかないので、すべての要望にお応えすることなどできるはずもないのだ。記者会見の模様は、クラリベイトのウエブを通してアクセスできるので、ぜひ、それを見ていただきたい。
米国シカゴでの6年半、この種の予想屋のようなばか騒ぎは全く耳にしなかったし、自分自身が騒ぎの渦中にいたことがなかったので、不思議な現象としか映らない。客観的評価のできない日本という国の象徴でもあるかのような摩訶不思議な姿が見えている。あと5日もすればこの喧騒は過去のものとなり、静かな生活が戻るので、それまではと思うものの、これ以上は勘弁してほしい。
編集部より:この記事は、医学者、中村祐輔氏のブログ「中村祐輔のこれでいいのか日本の医療」2020年9月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。