学術会議問題で記者の質問力の劣化を痛感

中村 仁

伝達するだけのリポーター

日本学術会議の会員人事問題は、菅政権と会議側が全面対決する構図になっています。学者側も一枚岩でなく、見解の対立があるようです。かれらの言い分を聞いて、どちらに分があるのか判断するのは難しい。

こういう時こそ、新聞などが判断材料を発掘して提供すべきなのです。首相の会見では、発言の曖昧模糊とした部分を粘って追及しなかったのか。記者はレポーター(報告者、連絡員)と違うはずです。

菅政権に対峙する記者たちの「質問力」は?(官邸サイトより)

9日には、河野行革相が「予算、機構など、学術会議のあり方を検討する」と、発言しました。会議のあり方を検討した上で、新会員の任命可否を決めるのが民主的な手順です。記者はそのことを追及したのでしょうか。

複数の大学学長、学術会議の元会長らが政府批判の声明、見解を発表しています。学術会議側には「3年ほど前からの政権との対立をなぜ明らかにしてこなかったのか」「学問の自由(憲法23条)の侵害というのは過剰反応ではないか」の問題がある。そのことを記者は質しているのでしょうか。

まず、菅首相とのインタビュー(記者会見とどう違うのか不明)です。「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から今回の任命(6人を排除)も判断した」との発言は、意味をぼかした政治言語です。記者たちは「総合的、俯瞰的」の意味を突っ込んで聞こうとしなかったのか。

首相はさらに「今回の件は『学問の自由』とは全く関係がない」と発言しました。記者は「関係がないという理由は何か」と聞かない。6人を含め、自由な学問研究の機会を奪われていませんから、憲法違反とは言えないでしょう。記者には、そうした答えを引き出す必要があります。

「学問の自由の侵害」は、学者側の過剰反応だと、私は思います。重大な争点ですから、記者は首相から、その説明を引き出さねばなりません。それをしないから「首相は理由を言わず」が新たな争点に浮上してしまう。

首相は「推薦された人をそのまま任命してきた前例を踏襲していいのか考えた」とも、発言しました。会員は特別職の公務員ですから、首相に任命権(憲法15条)があります。それなら今回の任命拒否の前に、そうしたスタンスを明らかにしていなかったのはなぜかを聞くべきです。

首相の任命は「政府が行う形式的任命にすぎない。推薦通り任命する」(中曽根発言、83年)が公式見解でした。それを新首相が変更することはできる。変更は合法的な行為なのに、任命拒否の前に新しい基準を明らかにしていないのが問題です。記者はそのことを質問していない。

一方、学者側がどうしても「学問の自由の侵害」と主張したいならば、違憲訴訟を起せばいい。安保法制の整備の際も「政府の解釈改憲は憲法違反」と反対する憲法学者がいたのに、違憲訴訟を起こさなかった。

学術会議の大西・元会長は「16年の補充人事から官邸による人事介入が始まった」と、証言しています。その段階で官邸との事前協議に入ればいいのに、今ごろになって、「実は」と発言をする。

川勝静岡県知事(元静岡文化芸大学長)は「学問立国に泥を塗るようなことだ。菅首相の教養レベルが露見した」と、口汚い批判です。こんな発言をする人物の見識が疑われます。感情的すぎます。

官邸は人事政策の変更を明示しておくべきでした。学術会議側は、「官邸が介入を始めた」というのなら、そのことを公表し、事前協議に持ち込むべきでした。双方の不透明な態度が問題をこじらせているのです。

内閣府は「83年の任命基準は、その前提として憲法15条(公務員の任命権は首相にある)があった」などど、今ごろになっていう。波紋広がってから突然「学術会議のあり方を検討する」と言い出すのも脅しに近い。

学者側の「学問の自由の侵害」は過剰反応です。そうした発言が政府を刺激し、対立が深まる。コロナ危機が収まらす、景気への影響が深刻です。しかも米大統領選の結果を受け、日米関係に起きるであろう変化に備えなければならない。その最中に泥試合を始めているのです。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2020年10月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。