米国のポップアイコン、カニエ・ウエストも応援する“BLEXIT”とは①

安田 佐和子

“BREXIT”と言えば英国の欧州連合(EU)離脱を意味し、あまりにも有名ですよね。その一方で、“BLEXIT”という言葉をご存知ない方は多いのではないでしょうか。

BLEXITとは2018年秋頃に生まれ、“Black(黒人)” と“Exit(出口)”から成り立ちます。同名の非営利団体の創設者、キャンデイス・オーウェンズ氏の言葉を借りれば「黒人を民主党支配と長年の被害者意識から解放する」ための運動なのですよ。“アファーマティブ・アクション(差別撤廃を目指したマイノリティ優遇措置)”を始め、黒人には救済策が必要と“洗脳”させた民主党から袂を分かつべきとの主張で知られます。黒人の保守派層の拠り所であり、多くはトランプ支持者です。

同じくトランプ支持者で、ポップ・アイコンとして黒人の若者から絶大な人気を誇るカニエ・ウエスト氏もオーウェンズ氏を支援し、BLEXITのグッズ関連のデザインを提供したほどです。

そもそも、黒人はなぜ民主党支持者が圧倒的多数なのでしょうか?1865年に奴隷解放宣言を行ったリンカーン大統領のほか、黒人にも選挙権を認めた合衆国憲法修正第15条を加え、且つ黒人の公民権侵害への処罰を盛り込んだ法律が制定された1870年当時のグラント大統領も共和党出身です。また、1870年に初の黒人の米上院議員に選出されたハイラム・レベルズ氏も共和党に属します。

一方、民主党の黒人上院議員が誕生したのは1993年で、キャロル・モズリー・ブラウン氏まで待たねばなりませんでした。同議員が共和党候補に敗北して1999年に退任してから、後に大統領に就任するオバマ氏が上院議員に選出される2005年まで、黒人の民主党上院議員はゼロだったことも、記憶に新しいですよね。

画像:ブラウン氏は民主党として初だっただけでなく、黒人女性として初めての上院議員に就任。

(出所:Jeremy Wilburn/Flickr)

黒人の投票権をめぐる歴史に視点を戻すと、修正第15条成立後に合衆国に復帰した南部の州で黒人差別が再燃した結果、19世紀末から徐々に州法を通じ黒人の投票権が奪われていきました。黒人に投票権を認めた憲法で、財産や読み書き能力において資格を問うことを禁止していなかったためで、州法が黒人の選挙にハードルを課してくことになります。

黒人が州政府に妨害されず有権者登録が可能になるまで、民主党のケネディ政権下で公民権運動が盛り上がりを見せた1965年に“投票法”が可決する必要がありました。当時の大統領こそ、民主党出身のジョンソン氏なのですよね。ケネディー・ジョンソン政権以降、黒人票は投票権の奪回を受けて民主党に傾き、ワシントン・ポスト紙によれば黒人の得票率を10%以上獲得した大統領候補はほぼ存在せず、2016年のトランプ氏の場合も6~8%程度だといいます。

では、なぜいま黒人差別撲滅運動ブラック・ライブズ・マターの陰でBLEXITの動きが台頭しているのか。それは次回、ご紹介していきます。


編集部より:この記事は安田佐和子氏のブログ「MY BIG APPLE – NEW YORK –」2020年10月12日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はMY BIG APPLE – NEW YORK –をご覧ください。