デジタル化で切り開く地方自治直接民主制への道

清水 隆司

写真AC

今に始まったことではないが、地方自治の腐敗が甚だしい。

世間的に最も記憶に鮮明なのは兵庫の「号泣県議」あたりだろうが、似たような汚職は日本のどこかで毎年のように報告され、ついぞ絶えたことがない。

なぜか立件されないが、公職選挙法違反で逮捕・起訴された自民党の河井夫妻から金銭を受け取っていた地方議員らの存在も、地方自治の腐敗を示す顕著な例といえるだろう。

地方選挙の投票に赴く際、誰でも一度ぐらいは疑念を抱いた経験があるはずだ。
地方自治の在り方は本当に今のままでいいのだろうか——と。

今年地方議会の腐敗を描いたこんなドキュメンタリー映画『はりぼて』が公開され、評判になっている。約1分半の予告編動画だけで充分笑えるので、ぜひ観てほしい。

まったくの偶然(たぶん)で、市と県の違いはあるのだが、今月初めアゴラが同じ富山でこんなスクープ記事「【特報】富山知事選、県職員が現職の選挙準備関与? 「証拠」独占入手(追記あり)」をものにしている。

このような状況下でも、なお地方自治の自浄能力を信じられる国民の数は、いったい有権者全体のどの程度を占めているのだろうか。

自身、地方議員の高橋富人氏がアゴラに寄稿した記事「監査機能だけなら地方議員はいらない」を興味深く読んだ。高橋氏によれば、地方議員の仕事は以下の3つの役目を果たすことらしい。

  1. .市の予算と行政を監査する。
  2. 選挙民の要望・意見を聞き、議会の重要な決定事項に関する議員個人の賛否とその理由を伝える。
  3. 政策の提案と形成。

1.について高橋氏は監査法人に職責を委託する提案をしている。監査法人でなくとも、公認会計士の有資格者で実務経験のある人物を一定数選挙で選ぶのでもいいかもしれない。

ただ、高橋氏は、監査法人導入の有用性を唱えてはいても、地方議員、地方議会の存在意義までは否定していない。やる気のある現職議員の矜持、というところだろうか。

しかし、普通の有権者は、個々の議員の志が地方自治の問題を好転させる、とは信じていない。

事実、高橋氏自身も記事の中で地方議会を巡る現状についてこう述べている。

「そもそも地方議会は不要じゃないか?」という、いま日本に蔓延している「議会不信」の根っこを、あなたも共有しているのだと思います。つまり、「議員は自分の代表とも思えないし、彼らが作った政策なんて、聞いたこともない」、という白けた不信感です。それが、投票率の低さや、議会への関心の低さにつながっている。

  • 選挙民の地方議会に対する根源的な不信感
  • 地方自治における自浄能力の欠如
  • 特定議員の志や努力では払拭できない地方議会の根深い腐敗

これらに加え、地方自治にはまた新たな難題が浮上している。高齢化に伴う地方議員のなり手不足だ。

2017年、毎日新聞は、高知県の大川村が村議会を廃止し、代わりに「町村総会」の設置を検討する、と報じた。だが、どうやら記事は、誤報でこそないが、内容と必ずしも整合しないかなり誇張された見出しを付けていたらしい。

そのことについて、当の大川村村長、和田知士氏の反論記事がウェブ上のオピニオンサイトiRONNAに掲載されている。

大川村長が語る毎日新聞「議会廃止検討」報道への反論

和田村長は、同記事の中で、東京都八丈小島旧宇津木村の先例を引き合いに出して、規模の違う大川村で同様の村民総会を開くことはできない、と吐露してもいる。

不意に疑問が生じた。本当にできないのだろうか。

言葉のニュアンスから察するに、村長は実際に大人数を1か所に集めて開く総会を脳裏に浮かべているように思う。つまり別な見方をすると、今日的な方法——それとは異なるアイデアは端から考慮されていないようなのだ。オンラインで行う総会——村民総会のデジタル化という選択肢のことだ。

いちおう前もって断っておきたい。都道府県や市において直接民主制的手法を実施する場合には、地方自治法の法改正が必要になってくる。地方自治法には以下の条文があるためだ。

第八十九条 普通地方公共団体に議会を置く。

他方、町村に関しては、同じ地方自治法にこういう条文がある。

第九十四条 町村は、条例で、第八十九条の規定にかかわらず、議会を置かず、選挙権を有する者の総会を設けることができる。

東京都八丈小島旧宇津木村の実例が生まれたのは、この条文に基づいている。
町村と市を単純に人口の観点だけで区分すると、人口「五万人」を超えるか、超えないかが基準になる。

「五万人以下」——この数字をどう見るか。地方議会をデジタル化する最初の実証実験を行う人口規模としてはまさにうってつけ、という感じを受けないだろうか。思想家ルソーは、著書『社会契約論』の中で直接民主制を推奨している。それこそが真の民主主義だ、と。

では、もし本当に地方議会をデジタル化し、直接民主制へ舵を切るとしたら、具体的にはどう進めればいいのか。

政策の立案から予算の作成まで個々の住民が行うのは、むしろ非効率的な気がする。やはり首長は選挙で選ぶべきだろう。首長が優れた政策を打ち出せるように補佐する政策秘書官のような存在も必要になりそうだし、首長から提出された政策・予算を住民投票にかける前に一般住民より一段高いレベルで審査する役割も必須かもしれない。

高橋氏のアイデアを拝借して、選挙で選ばれた監査法人(または複数の公認会計士)による監査でもいいし、地方自治の政策を評価する新たな国家資格を作って、その有資格者を一定数選挙で選んで、任に充てるのでもいいだろう。そういった《専門人》による一次審査を経た後、初めて住民によるオンライン議決へと進む。

課題は当然あるだろう。

地域によるIT環境の格差。個人ID(マイナンバー)の普及。投票内容の高度な暗号化。最大の課題になりそうなのが「高齢者のデジタル化」だろうか。身近な地方自治のデジタル化を掲げることで、自治体による高齢者に向けた啓発活動が盛んになれば、行政コストの削減や利便性の向上のみならず、すでに「シルバー民主主義国家」である日本に好ましい変革を産む呼び水になりそうな予感がするのだが、どうだろう。

SNSなどを通じて政治が日常的に語られるようになり、無意識に先送りされていたこの国の政策課題について、断絶している世代間でのコミュニケーションが始まるきっかけになり得る、と考えるからだ。

ちょうど菅新総理の看板政策は日本社会のデジタル化。前例踏襲を好まない総理が宣言通りの成果を出した時、永らく低迷していた日本は大きく動き出すように思う。

地方自治のデジタル化がその始めの一歩にならないか、と密かに期待している。

清水 隆司 
大学卒業後、フリーターを経て、フリーライター。政治・経済などを取材。