慰安婦報道訴訟:植村元朝日記者の敗訴確定と映画「血と砂」に思う

高橋 克己

来年いよいよ古希を迎える筆者の高校同級生で、数年前にメールグループを作った。大半がリタイヤして時間を持て余し、懐旧の情を湧かす者も多かろうとのことからだ。グーグルに設けた共有アカウントにクラスの約7割30余名が登録し、それぞれが近況などやり取りする。

目下のコロナ禍、同じ話題のワイドショーや再放送番組ばかりで面白みが激減したテレビに代わり、筆者の娯楽はもっぱら古いモノクロ映画だ。そこで、おそらく同じ心境のクラスメイトに最近興味深く観た日本映画2本、本日休診」と「血と砂を紹介した。

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井伏鱒二の小説で知られる「本日休診」は1957年制作。善良な老町医者がある休診日、近所で次々に起こる騒動に巻き込まれながらも、楽天的に自然体でそれらに対処、解決してゆく姿に、何となく安心感を覚える映画で、原作とまた一味違う感じがした。

「血と砂」は1965年の芸術祭参加作品だ。生死紙一重の大陸を舞台にした戦場で、若い楽団兵士たちが逞しく変わってゆく様子や、主人公(三船敏郎)の将校に好意を抱く一人の朝鮮人慰安婦(団玲子)が、如何に兵士らの憧れの的で自由だったか、そして兵士との恋愛もあったことが描かれている。

筆者は紹介メールに、「血と砂」が「日韓国交正常化がなった1965年の作で、慰安婦問題がまだ云々されていない頃なので潤色する必要がない。なので、これが『反日種族主義』の中で韓国の李栄薫教授らが書いている慰安婦の実像に近いのではないか」と書き添えた。

すると、昔から生真面目で今でいうリベラルだったクラスメイトから、「慰安婦の話は物語でしょう」とのメールが到来した。そう考える日本人が多いのは事実だろうと思うから、ことさらグループメールでこの話を深めることもなく、事は済んだ。

そこへ今月19日、元朝日新聞記者の敗訴確定 最高裁、慰安婦記事巡り」(産経の見出し)とのニュースが舞い込んだ。

元朝日新聞記者の植村隆氏が、「従軍慰安婦」について書いた自身の記事を「捏造」とされ、名誉を傷つけられたとして、櫻井よしこ氏と出版社に損害賠償などを求めた訴訟で、最高裁第2小法廷が18日、植村氏の上告を退ける決定をしたのだ。

植村記事の核心部分は次のようだ。

「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、(略)体験をひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近く経って、やっと開き始めた」

桜井氏は主にこの部分について「捏造」や「意図的な虚偽報道」などとする論文を公表、これを植村氏が「事実に基づかない中傷で激しいバッシングを受け、家族も含め危険にさらされた」と提訴していた。

だが、1審札幌地裁は「櫻井氏が、記事の公正さに疑問を持ち、植村氏があえて事実と異なる記事を執筆したと信じたのには相当な理由がある」として植村氏の請求を棄却し、2審札幌高裁判決も本年2月にこれを支持、今般これに最高裁がお墨付きを与えた。

朝日は2014年9月、当時の木村社長が会見で慰安婦報道の一部を謝罪したものの、植村記事には「事実のねじ曲げなどはない」とした。しかし、同年12月に同社の第三者委員会による指摘を受けて、「この女性が挺身隊の名で戦場に連行された事実はありません」と訂正した。

朝日が執拗に取り上げた、済州島で多くの無辜の女性を日本の官憲らが暴力で拉致して慰安婦にしたとの吉田清治氏の話が全くのデタラメだったことを、朝日はその会見で認めて記事を取り消した。それこそ真実の硬い蕾が、記事から四「半世紀近く経って、やっと開き始めた」。

横須賀で育った筆者の幼少期、近所には戦後その種の職業に就いていたと知れる女性が米兵のオンリーさんとして何人か暮らしていた。が、「体験をひた隠しに」する訳でなく、筆者の母なども何の分け隔てなく接していた。そういう時代であり、土地柄だった。

戦後も永らく米軍が進駐していた韓国にもきっと同じ光景があったろう。ましてそう遠くない時代まで妓生(キーセン)文化があった国柄だ。請求権交渉の当時は言い出せなかった、などと言うことではなく、日本と同様そういう時代と皆が理解していたのではなかろうか。

関連して1965年の日韓国交正常化交渉に触れるなら、日本の保守派の識者の中にも、いわゆる元徴用工の件は、韓国が日本からの有償無償5億ドルの中から補償することでこの時決着しているが、慰安婦問題は交渉過程で話が出なかった、とする者が少なくない。

しかし交渉過程を具(つぶさ)に追うと、慰安婦の話もちゃんとされていた事実がある。それは1953年5月19日に行われた第2次会談。公開されているその日の議事録には、韓国側の張基栄代表による次のような質問が載っている。

韓国女子で戦時中に海軍が管轄していたシンガポール等南方に慰安婦として赴き、金や財産を残して帰国してきた者がある。軍発行の受領書を示して何とかしてくれと言って来るので社会政策的に受け取りを担保にして金を貸したこともある。

客の日本兵が対価を軍票で払ったのだろうか。質問を受けて日本側は「南方占領地域慰安婦の預金、残置財産」の問題としてこれに誠実に対応した。この質問から、両国間で慰安婦の存在が共有され、彼女らが対価を受け取っていたことが判る。性奴隷などでは断じてなかったということだ。

このように慰安婦がいたことや、その不幸な身の上が同情すべきなのは、血の通った人間なら等しく認めるところだ。だが植村氏の「挺身隊の名で戦場に連行」や吉田氏のいわゆる「慰安婦狩り」の嘘がまかり通れば、我々の父祖や日本の言われない汚名を子や孫が背負い続けることになる。

菅政権が今やるべきことは、96年の「クマラスワミ報告書」に対する政府の「幻の反論文書」(産経14年4月1日記事)を改めて国連に提起し、また慰安婦に対する日本政府の謝罪を求める07年6月の米下院121号決議の無効化を米国に要求して、国際社会の誤解を解くことと筆者は思う。