前回書いたように、英国GWPF研究所のコンスタブルは、英国の急進的な温暖化対策を毛沢東の「大躍進」になぞらえた。英国政府は「2050年CO2ゼロ」の目標を達成するためとして洋上風力の大量導入など野心的な目標を幾つも設定し、これを規制・税による強制や補助金のばらまきで実現しようとしているが、コストは極めて高くなり失敗は必定である、という。
国民がどの技術を使うべきか政府が決定する統制経済的な方法は必ず失敗する。
ではこれを他山の石として、日本はどうすれば良いか。
技術開発に注力して、「アフォーダブルなCO2削減技術」を生み出すことだ。
いま世界でCO2削減が進まないのは、そのコストが高過ぎるからだ。アフォーダブルな技術さえ出来ればCO2は問題なく減らせる。
例えばLED照明はいま実力で普及しており、白熱電灯や蛍光灯を代替することで、大幅にCO2を減らしている。
またシェールガスは実力で石炭を代替して米国の発電起源のCO2を減らしている。
同様の展開が将来にも期待できる。
バッテリーは全固体電池の開発などにより、確実に今よりも安くなり性能も上がる。そうすれば、ガソリン自動車の禁止といった極端な規制や高額の補助金など無くとも、電気自動車は実力で社会に普及する。これこそが目指すことだ。
太陽電池も確実に今より安く性能が良くなる。これには例えばペロブスカイト太陽電池などの新技術が有望視されている。ゆくゆくは太陽電池とバッテリーとの組み合わせがアフォーダブルなものになり、僅かな政策的後押しで普及できるかもしれない。
ではこのような「アフォーダブルなCO2削減技術」はどうすれば生まれるか。
必要なのは「イノベーティブな経済」だ。
最新の技術は、特定の政策ではなく、経済全体の協同から生まれる。鍵となるのは、市場の力と裾野の広い製造業基盤である。
市場の力が必要なのは、技術進歩には現場での試行錯誤が不可欠だからだ。たとえばバッテリーは、モバイル機器用途、自動車用途、電力需給調整用途など、さまざまなマーケットで鍛えられて進歩を続けている。
裾野の広い製造業基盤は、最新技術の母体である。ふたたびバッテリーを例にすると、まず材料には全固体電池ひとつとっても無数のバリエーションがあり、これの製造技術(薄膜製造、粉体技術等)や計測技術(電子顕微鏡、光学散乱等)も数多くある。計算技術(スーパーコンピューター、AI、量子計算機)も駆使されて材料が分析され、設計される。こうした技術を全て有している人は誰もおらず、製造業全体の中に幅広く分布しており、その総合力で新技術が生まれる。
政府がなすべきこととして、民間だけでは不足する基礎研究や実証試験への投資がある。だが一方で、未熟な技術を任意に選び、規制による強制や補助金のばらまきで強引に普及させてはいけない。
日本は太陽光発電を強引に普及させて、結果として電気料金が高騰した。これは経済に悪影響を与え、製造業基盤を損なった。
CO2削減を名目とした政府の経済統制は、イノベーションを阻害するので、むしろCO2削減のためには逆効果なのだ。
以上を図としてまとめておこう。日本が採るべきは「上げ潮シナリオ」であり、避けるべきは「大躍進シナリオ」である。
よくある反論として「これで確実に2050年にCO2はゼロになるか?」というものがある。そんな約束は、もちろん出来ない。そもそも「2050年CO2ゼロ」自体が、毛沢東の大躍進の数値目標と同様で、科学、技術、経済を無視した、荒唐無稽な目標に過ぎない。
だが上げ潮シナリオは、大躍進シナリオよりも、イノベーションの本質に根差し経済的・技術的・科学的に優れた方法だ。
それに、アフォーダブルな技術さえあれば、世界中で容易にCO2を減らせる。日本のCO2排出は世界の3%に過ぎない。その程度を日本発の技術で相殺するぐらいのことは期待出来る。
厳密には、菅首相は2050年CO2「実質」ゼロを目指す、と言った。この「実質」の意味は、「アフォーダブルな技術の開発を通じて、世界全体でのCO2削減によって」目指す、と解釈すべきであろう。そうすればあながち不可能な目標でもなくなる。
「上げ潮シナリオ」について、さらに詳しくは拙稿、拙著(注:上げ潮シナリオは旧称「二重の迂回戦略」として議論してある)をご覧いただきたい。