国民が皇室に求めるものは、法の前に「徳」

宮内庁サイトより:編集部

「結婚は認めるも、納采の儀は行えない」

この秋篠宮殿下のご発言を、どう理解すべきなのか?

納采の儀とは、一般で云うところの「結納」ということらしい。一般であるならば、結納無しで結婚してしまうことは珍しくはない

それを重ねると、ご結婚を認めるのなら納采の儀をするかしないかなんてどういう意味があるのかしらんと、大変僭越ながら、ふと考えた。

そこでハタと気がついたのが、「法の前に、“徳”。日本の場合、“徳”の背骨は“和”」という文脈だった。

先のご発言、改めて思うに、たぶん「結婚の条件は、“憲法”に定められている」が、「“徳”の空間にある皇室では、納采の儀を行わずして皇室としての婚礼はありえない」ということなのではないかと、拝察した次第。

皇室に生じるご成婚は、これまで祝い事として扱われてきた。「祝う」という気持ちは、徳と同じく心の領域だ。法の域ではないのである。

殿下は「国民に祝ってもらえるような状態」となることを念頭に置かれておられる。それは、つまりは小室氏には法ではなく、法の前にある「徳」の視点からの説明が求められているということではないか。

最近、殿下のご体調は優れず、投薬治療まで付されていたという。

徳を取るか、法を取るか?

拠って立つところを変えるというのは、宗旨替えと似ている。そんなご気分にあるとするならば、殿下の体調不良も分かる気がする。

「一連の問題が起きてからというもの、眞子さまは両親との間に見えない壁を作り、一時は食事も別々に取るほどだった。秋篠宮さまがこのたび結婚を条件付きながら『認める』としたのも、このままでは家族がおかしくなると思ったから。殿下の心労は相当です」  気丈に振る舞ってはいるものの、秋篠宮さまはストレスにより身体に変調をきたし「一時投薬治療をしていた」(同)という。

(参考)宮内庁長官が小室圭さんに異例の〝最後通牒〟 背景に秋篠宮さまの体調問題

宮内庁も、小室氏に説明を求めているという。

法の域ならいざしらず、生活に余裕のある者の「徳」の領域で、“「時効」により借金棒引き”などという不実に映る考えを持つ者との結婚を、「生きていくために必要な選択」などとする、眞子様の徳の領域は、いかばかりかと人々には映っているのではないか。