働く現役世代に犠牲を強いるコロナ対策は疑問、新聞・テレビとネット論壇に差異

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新型コロナの感染拡大が止まず、菅政権の支持率が急落し、政府は重い腰を上げて、1都3県を対象に非常事態宣言を再開する流れです。無症か軽症で済む若年世代は「高齢者を守るために、われわれの雇用や仕事場、所得が奪われる」と不満を感じているはずです。

12月半ばまでの「勝負の3週間」の効果がなく、政府は「大都市における感染を抑制しなければ、全国的に感染が拡大する」と、国民に協力を求めてきました。実質的な対象者になる若年層や現役世代は「われわれは無症か軽症がほどんど。なぜそこまで協力を求められるのか」と不満でしょう。

コロナによる死者は80歳以上が全体の60%、70代が26%、60代が9%です。死者の95%が60歳以上です。重症者も80%が60歳以上です。

日本の年間死者数のうち、60歳以上の死亡者は94%(2019年)です。高齢化が進んでいる結果であるにせよ、乱暴に言えば、「コロナに感染してもしなくても、高齢になると、同じような比率で亡くなる人は亡くなる」ということになるのでしょうか。

コロナによる死者は3600人(4日現在)です。一方、「院内感染(病院滞在中に感染した疾患)は昔からあり、年間8000人が死亡していると推定される。コロナ死だけを騒ぐのはおかしい」(アゴラ「緊急事態宣言より「院内感染保険」の創設を」)との指摘もあります。

コロナ対策の核心部分は「感染死数は圧倒的に高齢者が多い。高齢者を守るために感染拡大を止める対策をとると、若年世代、現役世代が犠牲になり、経済的に苦しめることになる。どちらを選ぶか」です。

一方、「現役世代の若年層に犠牲を求めないようにすると、感染拡大で高齢者の死者が増えてしまう。ワクチンが未開発の現在の医療レベルでは、二者は二律背反の関係にある。現役世代と高齢者のどちらに優先順位をおくか」の選択に迫られるのです。

もう一つの核心部分は「東アジアなどでは、感染数、死者数が欧米などに比べて極端に少ない。欧米と同じような強度の対策をとる必要はどこまであるか。コロナ感染に過剰に反応してはいないか」です。

医療専門家や政治関係者の多くはそのことを理解しているはずです。口に出してはっきり言わないだけです。口にすると、世論の集中砲火を浴びるからです。メディアは集中砲火に荷担することでしょう。

政府は「経済と感染拡大の抑制を両立させる」といいながらも、「GoToトラベル」をなかなか停止しなかったり、緊急事態宣言の復活に乗り気でなかったところをみると、優先順位を現役世代に置いてきたのでしょう。

「人命は重い」に逆らって、「現役世代を優先する」とは誰も言いださない。言い出せない。新聞・テレビはどうかというと、事態を悲劇的に報道する習性に染ったままで、核心に触れる議論には参加しません。

ネット論壇では、「経済死(失業や倒産などによる自殺者など)とコロナ感染死の総和の最小化」「感染ゼロを目指すのではなく、感染拡大による社会的コスト、社会的犠牲の最小化」を唱える論者が少なくないのです。言外に「現役世代を優先する」という主張です。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2021年1月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。