分断され続けてきたアメリカ史:バイデン大統領が目指すべき「団結」とは

団結とは何を意味するのか?

バイデン新大統領が自身の就任式で行ったスピーチを聴いて、気になる点があった。ひとつは「団結」という意味を表すunityやunitingという単語がスピーチにおいて10回以上も使用されたことである。2009年のオバマ大統領の就任式では1回しかunityという言葉への言及が無かったことを考えると、いかに国家の団結を実現させたいかというバイデン氏の意志が伺える。

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以前書いた記事でも述べたように、アメリカは政治、社会、人種といった様々な側面で分断されている。そのため、バイデン氏の意図としては、自分に投票せずにトランプ氏に一票を投じた人たちのための大統領になることを示すために、平穏な言葉を通じて親しみやすさを醸しだそうと苦心したと筆者は解釈した。

しかし、いくら「団結」を訴えてアメリカに存在する分断を是正するといっても、バイデン氏が意味する「団結」というものがどのようなものであるかが、スピーチだけでははっきりしない。

そのため、筆者なりに、バイデン大統領が目指すべき「団結」がどのようなものであるかについて提示したい。

 アメリカの歴史は分断の歴史

まず前提として、アメリカの歴史は分断の歴史であることを知っておく必要がある。そして、それはアメリカという国が建国された時からそうである。

建国当初は強い中央政府を求めるフェデラリスト(連邦派)と州の自立性を重視するリパブリカン(共和派)の間で党派の対立があり、アメリカという国がどういう国柄を帯びた国になるかどうかで意見の相違があった。

当初の対立がある程度鎮まった19世紀に入ると、アメリカは南と北に分かれ、連邦制の維持、奴隷制の廃止を巡って、60万人の死者を出す、血で血を争う分断を経験した。

1960年代に入ってからは公民権運動の活発化に伴い、人種問題においてもまたもや人種隔離政策を維持したい南部と、アメリカ憲法が掲げる全ての人間は平等に作られているという理想に社会を近づけたい北部との衝突が再燃した。また、同時期にスタートしたベトナム戦争の是非を巡り、社会は大きく分断された。

そして、1980、90年代に入って冷戦が鎮静化し、終結を迎えると、中絶、銃規制、移民、地球温暖化などいった各個人の価値観に関わる問題における対立、いわゆる「カルチャーウォー(文化戦争)」が勃発。私たちは今まさに文化戦争という嵐に巻き込まれているアメリカを日々目にしている。

アメリカは歴史的に広義において分断され続けた国であり、現在アメリカを分断している価値観の対立が到底克服できないものであると考えると、これからも分断された国であり続けるであろう。

フェアプレーの精神を取っ払ったトランプ氏

しかし、分断され続けてきたアメリカだが、その分断は南北戦争の時代、荒れた1960年、1970年代と比べると、トランプ氏が大統領に就任するまでは許容できるものになっていたと筆者は考える。

そう考える一つ目の理由は、フェアプレーの精神が大統領、それを目指すものの間で共有されていたからだ。価値観の対立が激化したことで、大統領選挙中に放映されるテレビCMを通じて候補者同士がお互いを誹謗中傷することが慣例化した。その一方で、いざ選挙が終わると、敗者は潔く負けを認め、自らの支持者に勝者を応援するように要請する敗北宣言が伝統として根付き、ここ数十年は語り継がれる敗北宣言が幾度となく誕生した。

その中でも最高裁で決着が着いた2000年の選挙で敗北したゴア氏のものが特に有名である。彼は対抗馬であった子ブッシュ氏の勝利を決定した、最高裁の判決に納得していなかったものの、国の結束を強めるために、その判決を承認すると自らの敗北宣言で述べた。

去り行く大統領が最後に示す器の大きさも一種の風物詩として根付いていた。子ブッシュ氏はオバマ氏への権力移行プロセスの際、自分の実績を否定して大統領になった人物に対して「彼に成功してもらいたい」と述べ器の大きさを垣間見せた。また、オバマ氏も同様に自分が大統領になる資格が無いと宣伝していたことがあるトランプ氏に対して退任直前に寛大な態度を取り、大統領としての威厳を見せた。

近年、党派の対立が激しくなりながらも、いざ戦いがひと段落すれば、お互いの検討を讃えるフェアプレーの精神は間違いなく定着したものになっていた。

また、二つ目の理由は、政治家たちに超えてはいけない一線が共有されていたからである。暴力によって政敵を攻撃しない、露骨に人種差別的な言動をしないなどといった政治家間の了解がそれにあたる。

しかし、トランプ大統領は在任中の4年間で上記の規範を完全に取っ払った。自分の支持基盤を広げることを一切しようとせず、ひたすらに民主党を敵視し続け、党派間の対立を煽ることしかしなかった。

それだけではなく、彼は自らの大統領選後の敗北を認めず、議会が彼の支持者に襲われるまで、それを認めなかった。そして、自らの主張が認められなかった腹いせにバイデン氏の就任式を欠席し、152年ぶりに後継者の就任式に参加しなかった大統領になった。

また、暴徒が議会内に乱入した際に奴隷制の象徴である南軍旗を掲げていた光景は、タブーであるはずの人種差別的な言動が許容されるという空気を作り上げたトランプ大統領の過激なレトリックの論理的帰結だったと筆者は考える。

「団結」はフェアプレーへの回帰

アメリカの分断は完全には修復しないことは、バイデン氏自身も分かっているはずである。また、その分断は最近生まれたものではなく、アメリカの歴史から分かるように過去からの産物である。

しかし、トランプ氏が規範という規範をことごとく取っ払ったことによって、最近まで定着していたフェアプレーの精神が失われていたことは事実であり、それが無くなったことで分断が暴力的な側面を帯びるようになったとも言えなくはない。

バイデン大統領が「団結」を目指すのならば、自らフェアプレーを徹底し、彼の姿勢に賛同する共和党の政治家が民主党から奨励される環境づくりをする必要がある。