「無敵の人」森喜朗氏がそれでも辞められない・辞めさせられない日本社会の根深い構造問題

こんにちは、音喜多駿(参議院議員 / 東京都選出)です。

国会では衆院で予算審議がスタートしていますが、3日から森喜朗・組織委会長の女性蔑視発言とその後の「逆ギレ記者会見」が大きな話題になっています。予算委の質問でも野党が取り上げていました。

「面白おかしくしたいから聞いてるんだろ?」森喜朗氏、謝罪会見で“逆ギレ”も(会見全文)

見ないで意見を言うのもアレかと思い、私も動画でほぼ全編拝見しましたが、不貞腐れる・質問を遮る・突っぱねる・暴言を吐くと見事な「逆ギレ」記者会見でした。

謝罪十段と言われている(?!)私から見ればパーフェクトに0点の謝罪会見で、普通の政治家であれば(民間企業の社長などでも)絶対に「持たない」はずの内容です。

しかし今回の流れを見ていて、たとえオリパラが中止になることはあっても、森喜朗氏が「辞任する・させられる」ということは最後までないのだろうなあという諦念を感じます。

というのも、これは森喜朗氏個人だけの問題ではなく、日本社会と政界の構造的問題だからです。

もちろん前提として、私は森喜朗氏の貢献には一定の敬意を払いつつも、今回の件は大問題で森さんが圧倒的に悪いし、早く勇退するべきだと思っています。

しかし結局、日本社会が「森喜朗さん的存在」をずっと必要としてきて、今もしている

オリパラのように複雑な利害が絡み合う重大な物事では、議論を重ねてロジカルで合理的な解決を試みるよりも、権威をもった重鎮の一言で話をまとめる手法に頼り切ってきた。

この日本社会に根強く残る「権威」「重し」にすがりつくある種の「甘え」を断ち切らない限り、リーダーの若返りや世界の潮流へのキャッチアップは到底不可能ではないかと思います。

能力主義でリーダーを選び、議論を重ねつつも最後は合理的な解を求めるというのは、実は非常に難しいことです。その過程で多くのハレーションも生まれます。

しかし、そこに挑まなければ組織や社会の成長はありません。

森喜朗氏の失言や存在は、こうした根源的な問題を改めて我々に突きつけているような気がしてなりません。

…なんだか暗い話になりましたが、もちろん私としてはこうした構造を打ち破るために政治家になったわけですから、世代交代を含めたチャレンジを続けてまいります。

それでは、また明日。


編集部より:この記事は、参議院議員、音喜多駿氏(東京選挙区、日本維新の会)のブログ2021年2月4日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。