こんにちは、広島市議会議員(安佐南区、自由民主党)・むくぎ太一(椋木太一)です。
広島県による「大規模PCR検査」は、2月19日から3日間の日程で広島市中区の一部地域住民らを対象に「試行」することになりました。この件に関して、対象地域を選んだ基準など様々なご質問やご意見をいただきました。広島県からの聞き取りを「Q&A方式」でまとめ、先日、アゴラに掲載いただいておりますのでご参照ください(広島大規模PCR検査「試行」の目的は?今こそ勇気ある撤退を!)
今回は「試行」ですので、「無症状者をPCR検査によって早期に補足し感染拡大を防ぐ」という「大規模PCR検査」をいつか実施するというスタンスは崩していません。このたび、県当局と長時間お話したわけですが、正直なところ、「大規模PCR検査」へのこだわりはどこから生じるのか、その時は分かりませんでした。
こうしたモヤモヤは私だけではありません。実施対象となっている広島市民の皆様をはじめとした多くの方々は大規模PCR検査について批判の声を上げています。大規模PCR検査で感染拡大を抑える手法・発想は、時代の潮流にないということが認識されている証左であり、「こんな時になにやっているんだ」という怒りに似た感情の表れだとも感じています。
そして、ついにそのモヤモヤが晴れようとしています。新聞紙面で「立民 『ゼロコロナ』訴え」という見出しを見たことをふと思い出したのです。これは、立憲民主党が独自の新型コロナウイルス対策として、市中感染ゼロを目指すとしているが、具体策に乏しく実現可能性に疑問の声が上がっているという内容の記事です。同党は、「ゼロコロナ」に向けた新型コロナウイルスの封じ込め策として、「大規模なPCR検査で無症状者を発見して隔離する」としていると紹介されています。
また、医師らが「ゼロコロナ プロジェクト」と銘打ち、無症状者への戦略スクリーニングにより感染者を削減すべきだと政府や地方自治体に提言しています。
広島県、立憲民主党、の提言に共通するのは、無症状者への積極的なPCR検査です。
パッと霧が消えたような感覚になりました。多くの皆様がなぜ、この局面で大規模PCR検査をするのか?なぜそこまでPCR検査にこだわるのか?無症状者をターゲットにする根拠が分からない、と首をかしげるのはそのはずです。つまり、野党が主張する「ゼロコロナ」類似のものなので、多くの方が腑に落ちないのです。
広島県にこうした状況でもなお、大規模PCR検査を実施するスタンスを崩さない理由を聞いても、「PCR検査によって感染拡大を防ぐ」の一点張りです。
これはまさに、「ドグマティズム(教条主義)」に陥っている状態と言えます。教義や学説等に固執してしまい、柔軟に状況に対応ができなくなっているのです。「ゼロコロナ」への傾倒が進み、大規模PCR検査しか見えなくなっているのであれば、広島県民や広島市民の思いを置き去りにした”独断”でしかありません。
広島県による「ゼロコロナ」運動、ドグマティズムによる負担は、広島市、広島市民が負うことになります。「患者」(陽性判明者)の健康観察や濃厚接触者の追跡などは、広島市が行うことになるからです。広島県は検査にこぎつければ、「新型コロナウイルス対策をした」ということになるかもしれませんが、広島市の立場としてはそうはいきません。検査が実施されてから任務が開始するのです。立憲民主党の「ゼロコロナ」もそうですが、広島県は大規模PCR検査を実施したその先は宿泊療養、積極的疫学調査とするだけで、そこに重きを置いていないことが大きな問題なのです。
出口策を具体的にクリアできない限り、広島市や広島市民の多くが大規模PCR検査に納得するはずはありません。上述のように、陽性判明者は否応なしに「患者」に位置づけられます。いくら試行的だろうが、一定数の検査を仕掛ける以上、新たな「患者」が発生してしまうことは明らかです。この試行をもって、「患者」が増えたから大規模PCR検査を実施するという目論見であるなら、それは、広島県の“自作自演”、“マッチポンプ”と言わざるを得ないのです。
最後に、医療従事者へのワクチンの優先接種が控えています。春には一般接種も始まります。一般接種の事務は、政令市を含む市町村が担います。つまり、ワクチン接種体制を万全にするため、あらゆる資源を集中させなくてはならないのです。つまり、「試行」などと問題を先送りにせず、きっぱりと方向転換すべきなのです。大規模PCR検査を広島市で実施することによる負担は広島市や広島市民が負うことが、この問題に言及している出発点ですので、あえて繰り返し強調しておきます。