森喜朗氏の女性蔑視発言を深読みしてみた:ポリコレは不可欠である

衛藤 幹子

2月3日のJOC臨時評議会での森氏の女性理事の登用をめぐる発言は、ご本人の歯切れの悪い、というかあまり反省してなさそうな釈明に、国内外からの非難が相俟って、辞任に追い込まれる結果になった。その内容といえば、苦笑を禁じ得ないほどお粗末なものだ。同席した女性理事がなぜ反論しなかったのかと批判する声もあったが、まるで茶飲み話のような程度の低さに呆れ、彼女たちは言葉を失ったのではなかろうか。

辞意を表明した森会長(NHKニュースより)

男性優位の会議は、女性にとって決して居心地の良い場ではない。私は、仕事の話の合間に男性が発する女性を軽視するような喩えや際どい冗談が苦手だ。女性をバカにするな、と怒るのも大人気ないし、かといって、見過ごすのも癪に障る。どう反応しようかと考えあぐね、引き攣った表情を返すのが落ちだ。

さて、氏の発言については、女性をバカにしたくだりばかりが取り沙汰されているが、発言の全文(スポニチのウエブ版)を読んでみると、他にもツッコミ所があることに気づく。私の妄想癖を刺激する内容だ。

まず、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります」の後ろの部分の「時間がかかる」という箇所に注目してみたい。この時間がかかるという表現はラグビー協会の理事会の話につながる。女性が増えた同理事会は「今までの倍時間がかかる」と述べる。

二度にわたって強調された「時間がかかる」という表現に込められた森氏の言外の意図は何か。想像を膨らませてみると、会議に時間がかかるのは困るという森氏の考えが浮んでくる。森さんにとって望ましい会議とは、おそらく主に会長が発言し、ヒラの理事たちは発言を控え、会長の意見に従う上位下達型であろう。少なくとも全員が自由闊達に議論する参加型ではないようだ。

次に注目したいのが、「私どもの組織委員会にも女性は….7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます」というくだりだ。「わきまえている」とは、森会長が望む上意下達型の会議を受け入れて、森氏のやり方に忠実、加えて会長の意図を汲んで忖度すること解釈できないだろうか。

もっとも、実際には女性委員たちは積極的に発言し、さらにやたら口を挟む委員もいて、森氏を困らせているかもしれない(あくまで妄想である)。すると、この言葉は、会議ではボスの言うことに従い、発言は控えめにして、忖度せよという、委員への警告だと受け取れる。森氏は、女性に託けて、自分の組織運営の理想像を語ったのかもしれない(もちろん、私の妄想である)。

ラグビー協会の5人の女性理事たちは、これまで培われてきた協会の文化や慣習に囚われない、新鮮な考え方や意見を述べて、会議を活気づけ、協会の風通しをよくしたに違いない。改革者は大抵外からやってくる。彼女たちの存在はラグビーの発展に貢献することはあっても、阻害要因にはなり得ない。この点こそが、女性など多様な背景を持った人材を理事会に加えることの意義というものだ。スポーツ振興には、時間がかかる、わきまえない会議が必要だ。

森氏の辞任表明の後、娘さんがインタビュー(News ポストセブン)に応じ、森氏には「今のそういうジェンダーレスの話を100%理解するのは年齢的にも難しい」と述べた。私は、娘さんの立場に同情を禁じ得ない。また、確かに年齢的にジェンダー平等の考えを受容するのは難しいだろう。

しかし、私人ならいざ知らず、公人が「ジェンダー平等」を知らないでは済まされない。世界のメディアはジェンダー差別や特定のジェンダーを蔑視する発言に極めて敏感だ。森氏にはほんの軽口にすぎなかったかもしれない言葉が、由々しきニュースとなって瞬く間に世界中を駆け巡ったことを考えれば、不用意な発言は国益の損傷にもつながる重大問題だ。危機管理の問題である。たとえジェンダー平等を理解したり、受け入れたりできなくとも、ジェンダー平等に反する発言が問題視されるいう認識を持つことは十分に可能だ。

それにしても、森氏に限らず政治家には、差別的発言はもとより、失言、暴言などなど、表現や言葉の危機管理の甘い方々が少なくないようにみえる。衆人環視の中にある政治家の発言にポリティカル・コレクトは不可欠だ。発言の危機管理に取り組んでもらいたい。