龍馬の幕末日記㊻ 木戸孝允がついに長州から京都に向う

2021年02月17日 06:00

※編集部より:本稿は、八幡和郎さんの『坂本龍馬の「私の履歴書」』(SB新書・電子版が入手可能)をもとに、幕末という時代を坂本龍馬が書く「私の履歴書」として振り返る連載です。(過去記事リンクは文末にあります)

慶応元年の秋になると、西郷隆盛が島津久光公の上京を願うために鹿児島に帰国することになり、私も胡蝶丸に便乗して長州へ向かうことにした。9月24日、西郷と京から大坂へ向かい、29日には上関に上陸した。

この長州行きの目的のひとつは、征長についての幕府方の動静を知らせることだが、それと同時に幕府軍を牽制するために薩摩が大坂へ兵を出すことを計画し、それに長州が兵糧を提供することを約束させることも話をまとめたかった。

木戸孝允(国立歴史民俗博物館/Wikipedia)

私は宮市、山口を経て下関で木戸や高杉と会ったのち、大坂へ帰った。

このころ、長崎では近藤長次郎が中心になって、グラバーからユニオン号を薩摩の名義で買い、それを長州に転売する話が進み、船籍は薩摩のまま、運航は亀山社中が行うということで話がまとまった。

これが桜島丸、さらに長州では乙丑丸と呼ばれる。ただ、井上聞多(馨)が近藤長次郎とまとめた条件に長州藩内で異論が出て、すったもんだをしたが、亀山社中としてかなりの譲歩を長州にしてやっと話がついた。

最初の条件では、この船を長州御用以外にも使える余地があったのだが、それが無理になり、これがのちに近藤を追い詰めて気の毒な最後につながる。

私は11月24日に大坂から長州へ向かった。薩長同盟へ向けての最終調整である。薩摩はのちに北海道開拓使長官や首相になった黒田清隆を長州に派遣し話し合いに参加した。いろいろ細かい行き違いはあったが、木戸孝允はついに立ち上がった。

12月27日に三田尻を出発したのである。

この秋から冬にかけて、一橋慶喜らは征長を早くしたいと焦るが、諸藩の動きはにぶかった。おまけに、条約勅許、兵庫開港問題をめぐって各国が艦隊を大坂湾に派遣して緊張が高まった。

西郷らがこの混乱を機に、対外交渉を当事者能力のない幕府から朝廷のもとに設けられた諸侯会議のようなものの管轄に移そうとしたことも話をややこしくした。

これには、幕府が貿易を独占するか、諸侯の港も開港できるかといった問題も絡んでいたのである。長州との和平条件でも、領地の大幅削減、とくに下関の幕府領化をねらう強硬派とそれを行き過ぎと考える雄藩との対立が解けなかったのだ。

*10月13日に下関にいた龍馬の動静は11月24日に大坂を発って長崎に向かうまで不明で推測も難しいが、長崎に行ったともいう

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評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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