公衆電話は使命を終えたのか?

山田 肇

総務省に設置された情報通信審議会に「社会経済環境の変化に対応した公衆電話の在り方」が諮問され、ユニバーサルサービス政策委員会で議論が始まった。

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これを捉えて、読売新聞に3月2日と6日に日本の記事が掲載された。2本目の記事は無料で途中まで閲覧可能だが、その中に僕のコメントが掲載されている。

情報通信政策に詳しい東洋大名誉教授の山田肇さんは「公衆電話の利用者数と経済効率のバランスを考えると、必要最低限の台数まで減らさざるを得ない。災害時の備えも、公衆無線LANを拡充していくのが現実的だろう」と指摘する。

このコメントをした背景には、「だれも電話番号を覚えていない」という現状がある。

1990年代までは、家族や親せきの電話番号は暗記しているのが当たり前だった。それどころではない。よく出前を取る蕎麦屋の電話番号さえも覚えていたのだ。

今、家族の電話番号を空で言える人がどのくらいいるだろうか。

スマートフォンの電話帳から選んで電話をかけている人々は、電話帳に表示される電話番号を確認すらしない。それどころではない。LINEで通話する際には電話番号は使わない。

市街地では概ね500m四方に1台以上、その他の地域では1km四方に1台以上、公衆電話が設置され、運用費用にユニバーサルサービス基金が充てられている。ユニバーサルサービス基金は毎月の電話料金に加算されているので、携帯電話加入者も例外なく負担している。

しかし、公衆電話にたどり着いても電話番号がわからなければ使えない。

それは、災害時に避難所に行っても同様。1995年の阪神大震災では避難所に仮設された公衆電話に行列ができたが、今は避難所でも無線LANが使われている。総務省も避難所への無線LAN設置に補助金を出しているのである。

災害時用公衆電話は利用が拡大しているのでユニバーサルサービス基金の対象としたい、と諮問は読み取れる。しかし、2月26日の委員会では、NTTが「施設管理者の方の運営上の負担やユニバーサルサービスとしての国民負担」に懸念を表明している。事業者も及び腰なのである。

だから、必要最低限まで公衆電話は減らし、その先では廃止を視野に入れるべきだ。