作品の質を高めるためにも、クリエイターは貧乏になってはいけない

黒坂岳央(くろさか たけを)です。

庵野秀明監督 Wikipediaより

新世紀エヴァンゲリオンの制作を手掛けた、庵野秀明監督が雑誌・BRUTUSのインタビューで興味深いことを語っている。「不動産投資の収入があるので、アニメ制作をする余裕が生まれた」という話だ。

このインタビューを見て感じたことは、「クリエイターが良い作品を生み出すためには、貧乏になってはいけない」ということだ。

多作で天才・音楽家のモーツァルトは天才的な作品を数を多く生み出していたが、経済的に恵まれない生活を送っていたことはよく知られている話だ。このエピソードを聞くと、「クリエイティビティと経済的余裕は無関係では?」と誤解してしまう可能性もある。だが、モーツァルトはまさしく天才クリエイターであり、例外的な事例といえる。多くのクリエイターは、貧しい生活をしていては良い作品を作ることはできない。

盤石な生活基盤なき、作品への意識的コミットメントは生まれないからだ。

余裕がなければ、挑戦はできない

ゲーム業界で知らない人は誰もいない、天下の任天堂は「お金持ち企業」で知られている。

リスクモンスターが2021年2月1日に発表した調査結果によると、キャッシュを潤沢に持っているお金持ち企業ランキングで1位に輝いたのは、NetCash 9,926億円を持つ任天堂だ。任天堂がキャッシュを溜め込んでいる理由は、世界的なヒット作品を作ることができている点も大きい。だが、ゲーム業界特有の事情もあるとされる。ゲーム業界はひとたび、ヒット作品が生まれれば莫大なキャッシュが入ってくる。その一方で、外れると大きな開発費のロスを出してしまう。任天堂がキャッシュリッチ企業なのは、こうした事情もあるだろう。

そんなお金持ち企業・任天堂は伝説的な多数の「神対応エピソード」を持っており、フォーブス誌にも取り上げられるほどだ。95歳の母親が愛用していたゲームボーイが壊れてしまった。任天堂に手紙を書いたところ、倉庫に残っていた一台を送ってもらったという仰天のエピソードである。件のツイートは大きく拡散され、任天堂の神対応エピソードを世間に知らしめることとなった。

“A story in the Japanese national newspaper Asahi Shimbun last week regarding a 95-year-old grandmother’s broken Game Boy and Nintendo’s customer service trended heavily on Twitter, racking up nearly 198,000 likes and 67,000 retweets.

引用元:Forbes”95-Year-Old Grandmother’s Beloved Game Boy Broke, So Nintendo Found A Replacement For Free”

また、社員にも「給料をこの先、数十年分支払い続けられるだけの資金があるります。安心して任天堂で働いてください」と伝えたというエピソードもあるようだ(あいにく、この話は出典が確認できなかった)。任天堂が長い歴史の中で見せてきた、冒険的・挑戦的なビジネススタンスは、このキャッシュリッチさに裏打ちされているのだろう。

別業態だが、アメリカのGAFAM企業も似たような冒険的体制で知られている。次々と新たなビジネスやサービスを立ち上げ、その中でヒットしたものだけを残して、支持されなかったものを廃止するやりかただ。これも潤沢な資金が味方している点で同じだと感じる。

「余裕がなければ、挑戦などできぬ」、これはクリエイターに限らず、ビジネスでも同じではないだろうか。

作品が先か? お金が先か?

「クリエイターは良い作品を作るのが先だ。まずは採算度外視でも、良い作品を作るべきだ」という意見も聞こえてきそうだ。しかし、そうは思わない。良い作品を生み出すには、精神的な余裕が絶対的に必要だからだ。明日、食べるものがない生活を送る中で、良い作品に没頭できる人はほとんどいない。そして精神的な余裕とは、経済的余裕がもたらす結果なのである。

庵野秀明監督は同誌の中で「作品が売れなければ制作スタッフの給料が払えず、生活ができない。だから売れなければいけない」といっている。また「不動産投資はアニメ制作とは別の収入源になっており、アニメ制作に対する余裕が生まれている」と述べた。アニメ制作はクリエイターの創作意欲の表現方法であると同時に、ビジネスでもあるとハッキリいっている。つまり、先立つものはお金であり、それがあるからこそまた良い作品を生み出す原動力になっているということだ。

時折、会社員が働きながら自作ゲームや小説でヒットを出し、資金的な余裕を得たことで専業クリエイターに転身する話を見かける。これも会社員として働くという、安定収入に支えられて生み出しているという事例だろう。「経済的に苦心惨憺してようやく当てました」という話もなくはないが、よく話を聞いてみると実家生活を送っていたという生活基盤あってのものだ。

筆者も起業し、ビジネスを軌道に乗せるまで粘り強く挑戦した経験がある。今では専業の経営者だが、会社員をやめず、週末起業的に取り組んだことが幸いした。「まず会社をやめて、収入がゼロの立場に自分を追い込んで起業しよう」などとは恐ろしくて凡庸な自分にはとてもできなかった。自身のこの経験からも、先立つものはお金と感じるのだ。

余裕があるから収入より質を高められる

筆者はビジネス記事を執筆している。原稿料は得られるがそれが主たる目的として活動はしていない。半分は自分の書籍やビジネスを伝えるシグナルのためであるが、後の半分は趣味としての活動だ。つまり、楽しくて書いているのである。また、年に数回ほど自主開催や呼ばれたりしてビジネス講演をするのも、大金を稼ぎたいからというより、自分が伝えたいメッセージを発信したいという自己実現欲求的な意図が大きい。セミナーで大きく稼ぐつもりはないので、価格はかなりお手頃にさせてもらっているし、バックエンド商品などは用意せず、情報商材の勧誘などもしない(セミナーでバックエンド商品や情報商材の勧誘をする人を、非難する意図はない)。

これができるのは、本業や投資の収入があるおかげだ。もしも極端に生活に困窮していたら、自己実現欲求を満たすための記事の執筆や講演活動など、とてもしていられない。すぐさま日雇いの仕事を探したり、本業の収入を即増やすための活動に全時間を投下するだろう。気持ちの余裕があるからこそ、楽しみながら創作活動はできるものだし、その質を努力して高めようという気持ちが生まれるのだ。

クリエイターが提供する価値とは、良い作品を生み出すことで視聴者を楽しませることにある。だが、それをするためには、絶対に貧乏になってはいけないのだ。