昨年の春に出した『日本人のための英仏独三国志 ―世界史の「複雑怪奇なり」が氷解!』 の姉妹編として『日本人のための日中韓興亡史』が、来週の4月8日に発売になる。
前著は日本人になじみの無い英仏独の複雑な関係をマニアックに解明するものだったが、今度は日本人はよく知っているはずの日中韓の関係を、何と何がどうつながっているかを解き明かしながら明らかにしていくものだ。
とくに、日中・日韓の関係は日本人はよく知っているが、中国とコリアン国家の関係について余り正確に知らない。この点について、中韓両方の言い分を丁寧に拾っているようにこころがけた。
ともかく、東アジアというまとまった地域において三つの国家がほぼ安定して千数百年も鼎立してきたというのは、世界でもほかに類例を見ない。
中国はほとんどの時代において世界最大の大国であったし、日本は19世紀終わりから20世紀前半において世界列強のひとつとなり、1967年から2010年までアメリカに次ぐ世界第二の経済大国としていずれも中国を凌駕し、朝鮮半島の二つの国もそれぞれぞれ意味は違うが世界の重要国の一角を占めるようになった。
私は、日本史・中国史・韓国史それぞれの通史を何冊も書いてきた。あまりそういう人はいないはずだ。しかし、三国の歴史を並列して書くのは初めてである。三つの国家の神話に始まり、できるだけ客観的に眺められるようにした。
政治外交を主として論じているが、その根底にある民族性、文化などを重視しているところが、狭義の歴史学者や小説家とはひと味違うところだ。私としては自信作である。
主に扱っているのは、基本的には、明治維新・日韓併合・辛亥革命までだが、エピローグとして現代とのつながりを扱っている。現代についての詳細は続編でと思っている。
ここでのテーマは、日・中・韓という三つの民族の物語ではなく、日本・中国・韓国朝鮮という三つの国家と国民の物語である。政治や外交を語ろうとすれば、そうあるべきだ。
日本は四世紀頃とみられる大和朝廷による統一から独立と統一を維持している。中国では紀元前三世紀の始皇帝による統一帝国樹立、朝鮮半島でも8世紀に新羅王国が半島の大半を支配下に収めてから、それぞれ短い分裂期間を除いて歴代王朝による継承が行われてきた。
こうした統一国家成立に先行して、その母体となる小国家であるクニが出現していた。日本では紀元前八世紀に大和朝廷に後に発展する小国家が神武天皇によって橿原で建国されたと『日本書紀』はしている。ただし、歴代天皇の寿命を極端に長くしているので、それを補正すれば紀元前後になって、現実的な妥当性が高い年代になる。
仲哀天皇と神功皇后によると『日本書紀』がする統一国家成立時期も、同様の手法に加え、中国の史書や好太王碑の記述で補正すれば四世紀なかばと推定され、仲哀天皇の高祖父にあたる崇神天皇による畿内統一は三世紀の半ばということになって辻褄は合う。
中国の正史である『史記』は、4千数百年前に世襲による夏王朝が黄河の流域に現れたのが漢民族国家の淵源だとする。
半島では高麗時代に編纂された正史『三国史記』によると、新羅は紀元前後に建国された小国が発展したものであり、朝鮮語も新羅語の系譜を引く。
さらに、それにそれぞれの建国神話が先立つ。日本神話では『古事記』や『日本書紀』で神々による国産みが語られている。
中国神話では三皇五帝による歴史の始まりが先行しているが、これらはあくまでも神話であって歴史をなにがしかでも反映しているかどうかは不明だ。ただ、五帝のうち最初の黄帝は中国人の意識としては天照大神と神武天皇の中間くらいに位置づけられて、辛亥革命の頃には黄帝紀元という暦が使われたことすらある。
朝鮮半島では19世紀に、日中に対抗して、四千年前の壇君による建国という正史に載っていない民間伝承が注目されはじめ、教科書にも取り上げられている。
また、高麗の建国者の王建が高句麗の故地から出たことからその歴史が韓国史の一部のようになったので、新羅がルーツという意識が曖昧である。こんな背景もあって、現代の韓国では、統一朝鮮の成立は新羅でなく10世紀の高麗王国による全土統一をもって語るべきだというのが公式見解になるなど、国家イメージは混乱を続けこれからもどうなるか分からない。
イギリス、フランス、ドイツがヨーロッパの主要国としての地位を固めたのは10~11世紀のことで、日本で言えば『源氏物語』が書かれた平安時代の中期、いわゆる藤原時代になってからのことだ。
東アジアは21世紀において、世界経済の中心のひとつとなるとみられる。そんなときに、この三国の歴史をどう理解するかは世界的な関心になる。ところが日本人はこの三国の歴史と相互の関係をきちんと理解しているとはいえないし、中国人や半島の人々のように政治的な主張としての観点からこの問題を考えているわけではない。
これでは、世界に向かってアピールして外交戦争を戦うどころではない。そこで、欧米など世界の人々の理解を得られる客観性を確保しつつ、日本人として日中韓の歴史をこう考えたいというものを提供してみたいというのが本書の狙いである。
アゴラでも、これから時々、そのエッセンスを紹介したい。
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