日本はどうなってしまうのだろう。まるで中世ヨーロッパにいる様な気分だ。それでも地球は回っていると叫び続けたいし、いつかは冷静な判断の世論が形成できる民主主義国家になりたいと切望する。
本当に必要な措置は
極めて重要な対策が、医療資源の再配分である。最近、ようやく専門家と呼ばれるテレビ出演の医師が、資源再配分、ベッド数増が思うように出来ない理由、簡単ではない事を説明し始めているが、どれも筆者には言い訳にしか聞こえない。
医療だけでなく、緊急事態で対応する措置として簡単な事は何一つ無い。それでも、1年もあれば相当の事は出来るはずで、多くの事業者は工夫を重ねてきた。医療も同様、1年あれば言い訳出来ないはずだ。イギリスなど、政府の指示で大幅にコロナ対応ベッド数を増強している。日本の医師は、国民の恐怖を煽り、政治発言を繰り返す暇があったら、自身の責任領域の対策を進めるべきではないのか。
実は、東日本大震災以降に、事業継続性の必要性を鑑み、内閣官房は国家強靭化計画を推進し、民間企業の多くは、事業継続計画に取り組んでいる。事業継続の対象には当然ながらパンデミックも含まれるのだ。これは、医療機関も絶対に必要だとして、レジリエンス認証を医療機関に広めようとキャラバンまで行っているが、殆ど医療機関は見向きもせず、対応出来ていない。(レジリエンス認証取得を怠ってきた医療福祉業界の怠慢が招く医療崩壊)
世界各国のワクチン接種優先順位を見ると、日本の様に医療従事者を最優先している国家は、筆者の知る限り存在しない。ほぼ、高齢者と高齢者施設関係者、つまりリスクの高い層が最優先なのだ。日本は、高齢者は2番目で、高齢者施設関係者は全く優先されていない。年末に医師会長が発言した、医療が全ての職業の中で最も尊いという趣旨の発言をしたと記憶しているが、職業に貴賤を付け、選別する思考なのだろうか。
中世的措置に物申す
東京都小池知事の次のターゲットは、路上飲酒者の様だ。確かに、モラルやマナー面では、ほめられたものではないが、感染拡大面は室内飲酒よりも遥かにリスクは低い。富岳が屋外でも飛沫飛散する事を示していると言う人がいるかもしれない。確かに飛散はするが、空間の広さ、気流などを考えると室内よりも間違いなく飛沫を浴びる確率は下がり、ウイルス暴露の量は減少し、到底感染に必要なウイルス量に届かないだろう。
要は、路上飲酒者は単なるターゲットで、見せしめの対象でしかない。思えば、パチンコ屋、新宿(and池袋)夜の街、若者など、票にはなり難い、弱い立場をターゲットに選んで、集中攻撃、晒し者にされる政策が繰り返されている。思えば、安全性が科学的に立証されていた豊洲市場を安心という概念で振り出しに戻そうとした手法と同様のパフォーマンスに過ぎない。
本来、国家が緊急事態宣言を発出する事態では、政権与党は一旦下野するべきだが、後を担う現野党が余りにもあり得なさすぎるのが日本の国家としての脆弱性かもしれない。立憲民主のゼロコロナという非科学的ファンタジー思想では医療崩壊どころか国家破綻を招くだろうし、唯一期待出来そうだった、維新+国民民主+α連合は、リーダー格の吉村知事が今回の正常とは思えぬ判断で全く期待外れになった。確かに、孤軍奮闘、攻撃に晒され、精神的に追い詰められているのだろうが、それでも国家運営は同等のプレッシャーを乗り越える必要があると考えると、極めて厳しいと言わざるを得ないだろう。
日本が国家として破綻に向かわない為には、最後の砦、一人でも多くの国民が目を覚まし、冷静に科学的、論理的思考を働かせられる様になるしかない。