私たちは理解しあえるのか?多様性とは、差別とは何か。

朝井リョウの挑戦作「正欲」から考える

こんにちは、音喜多駿(参議院議員 / 東京都選出)です。

「種の保存にあらがう」 自民議員のLGBT差別相次ぐ

性的マイノリティへの理解増進や差別禁止をうたう理念法、いわゆる「LGBT法案」が成立手前まできています。

最後は自民党内の了承が壁となっており、党内会合で差別的な発言が相次いだことが大きな議論を呼んでいます。

今、LGBTや「多様性」にかかる社会課題は、最大の政治的争点の1つ言っても良いと思います。

性的少数者や「多様性」に理解を。「差別」がない世の中を。

この方向性に反対する人はほとんどいないと思います。でも、多様性とは何なのだろうか。

私たちは本当に、学び考え、価値観をすり合わせることで「理解し合える」のでしょうか。

そんな壮大なテーマに挑んだ、朝井リョウさんの挑戦作が「正欲」です。

正欲 / 朝井リョウ(Amazonページ)

こればっかりは読んでもらうしかないという作品なのですが、私は読んだ後にしばらく立ち上がれないほどの衝撃を受けました。

ゲイやレズビアンといった、一昔前ならば眉をひそめられていた性的少数者・性的指向に対して認知がようやく広がり、わかり合おうとする人たちも増えています。

でもその性的志向が、LGBTよりもっともっと希少な、そしてとても現在の価値観では「許されない・許容できない」ものだったとしたら?

(以下、ややネタバレを含みます)

本作では、LGBTを主題にしたドラマが社会現象を起こし、ある大学では「多様性」をテーマにした文化祭企画が大いに盛り上がる。そんな中で、さらに苦悩する「超性的少数者」たちの姿を描きます。

-「多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突き付けられる言葉のはずだ。時に吐き気を催し、時に目を瞑りたくなるほど、自分にとって都合の悪いものがすぐ傍で呼吸していることを思い知らされる言葉のはずだ。-夏月

-こっちはそんな、一緒に乗り越えよう、みたいな殊勝な態度でどうにかなる世界にいない。マイノリティを利用するだけ利用したいドラマでこれが多様性だとか令和だとか盛り上がれるようなおめでたい人生じゃない。お前が安易に寄り添おうとしているのは、お前が想像もしていない輪郭だ。自分の想像力の及ばなさを自覚していない狭い狭い視野による公式で、誰かの苦しみを解き明かそうとするな。-大也

どんな価値観も認め合おう、寛容で多様性ある社会を作ろう!なんでも打ち明けて!

と呼びかけた相手が「実は私、小児性愛者なんだ。それでも貴方は、社会は、私を受け入れてくれる?」と告白した時、私たちは対応できるのでしょうか。あるいは、どこまでするべきなのでしょうか。

私たちが考える「多様性」は、どこまで行っても、自分たちの理解と価値観の範囲内にある「多様性」に過ぎないのではないか。

LGBT当事者(ゲイ)だと誤解を受けるが、実は「さらなるマイノリティ」である主人公の一人・大也。

「多様性・繋がり」をテーマに文化祭を企画した、自分に善意と好意を寄せてくる女性に対して彼が終盤にぶちまける台詞の数々は、圧巻としか形容できません。

「自分が想像できる”多様性”だけ礼賛して、秩序を整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな」

「お前らが大好きな”多様性”って、使えばそれっぽくなる魔法のコトバじゃねえんだよ」

「自分にはわからない、想像もできないようなことがこの世界にはいっぱいある。そう思い知らされる言葉のはずだろ」

「多様性って言いながら1つの方向に俺らを導こうとするなよ。自分は偏った考え方の人とは違って色んな立場の人をバランス良く理解してますみたいな顔をしてるけど、お前はあくまで”色々理解してます”に偏ったたった一人の人間なんだよ」

「自分はあくまで理解する側だって思っている奴らが一番嫌いだ」

「お前らが上機嫌でやっているのは、こういうことだよ。どんな人間だって自由に生きられる世界を!ただしマジでヤバい奴は除く。差別はダメ!でも小児性愛者や凶悪犯は隔離されてほしいし倫理的にアウトな言動をした人も社会的に消えるべき」

「お前らみたいな奴らほど、優しいと見せかけて強く線を引く言葉を使う。私は差別しませんとか、マイノリティに理解がありますとか、理解がないと判断した人には謝罪しろとかしっかり学べとか時代遅れだとか老害だとか」

「お前らみたいな奴らが、俺たちにとって最後の砦さえ時代のアップデートだっつって奪っていくんだ」

大也たちが何に・どんな性欲に直面しているのか、それはこちらの作品をぜひ読んで欲しいのですが、

「俺は自分のこと、気持ち悪いって思う人がいて当然だって思っている(中略)せめて自分の欲求を現実に持ち込まないようにして生きてきた」

という彼の、

「お前らみたいな奴らが、俺たちにとって最後の砦さえ時代のアップデートだっつって奪っていくんだ」

この台詞には、二次元の創作物が一部の人々により激しく糾弾されている昨今の実態が頭に浮かび、深く考え込まざるを得ませんでした。

理解しあいたい。誰も不愉快な思いをしない、「寛容で多様性ある社会」を創りたい。

でもそれは理想論に過ぎなくて、本当に多様性のある社会というのは「誰もがちょっとずつ不愉快な・理解できないことを許容しあう社会」なんだろうと。

「わかっている」「私は理解者」「私の価値観はきちんとアップデートされている」そんな思い上がりがどこかにないか。

私たちの「理解」には限界があって、これが正しいと一般に確信されていることすら、実は不確定なもの過ぎない…。

この自覚こそが本当の「理解」なのではないか。

そんなことをグルグル考えさせられる世紀の一作です。ぜひお手にとって、多くの方に一読いただければ幸いです。5時間くらいでたぶん読めます。

正欲 / 朝井リョウ(Amazonページ)

それでは、また明日。

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