河野大臣に見る、平和ボケが生んだ日本のワクチン敗戦

新型コロナウイルスのワクチン接種が遅れている日本。海外ワクチンの確保や国産ワクチンの開発をめぐる舞台裏を探った

こう1面トップで書いた5月30日付「朝日新聞」朝刊の大型記事は、続く2面の記事「ワクチン確保、焦った政権 供給も遅れ、駐米大使に交渉指示」でこう指摘した。

いま日本は、国産ワクチンを一つも手にできていない。「日本はワクチン後進国」。医療界からは、そんな自虐的な声も漏れる。(中略)一方、海外では重症急性呼吸器症候群(SARS)やエボラ出血熱、中東呼吸器症候群(MERS)など、致死率の高い感染症が次々と流行。ワクチン開発が大きな課題となった。生物兵器テロ対策として研究が進んだ経緯もあり、欧米のワクチン政策には安全保障の側面がある

悔しいかな、日本には、それがない。いまだに平時の感覚でワクチン政策を進めている。これこそ「日本滅ぼす平和ボケ」ではないだろうか。

河野太郎ワクチン担当大臣 内閣府HPより

先日、「日本滅ぼす平和ボケ」と題した月刊「正論」7月号の「大特集」に寄稿した(「軍事忌避続けば安全保障は破綻」)。特集の役割分担上、日本学術会議に矛先を向けたが、本来なら「日本滅ぼす平和ボケ」との非難は、日本政府(と、ほぼ全国の自治体)に向けられるべきであろう。

上記拙稿で詳論したとおり、米バイオテクノロジー会社「モデルナ」のワクチンを生み出したのはアメリカ軍である。なかでも米国防総省の研究機関「国防高等研究計画局」(DARPA)が果たした役割が大きい。

DARPAがワクチン開発を目標にし始めたのは、冷戦後の安全保障環境の変化が背景にあった。冷戦期は核兵器が最も重大な脅威であったが、冷戦後はより安価で簡単に製造できる化学兵器や生物兵器の方が深刻な脅威とみなされるようになった。(中略)こうしてDARPAは通常では考えられない短期間でのワクチンの開発を目指した。(中略)モデルナがコロナウイルスのワクチン開発で先行する企業の一つになるという成果を生んだ。

(塚本勝也・防衛研究所室長「ワクチン開発に貢献した米軍事研究機関」)

悔しいが、日本では考えられない。米軍が果たした役割は、単なる資金提供だけではない。米国防総省はモデルナに加え、ファイザーのワクチンについても、国内外の輸送作戦を主導している。

米軍の最高指揮官たるバイデン大統領自身が、「モデルナとファイザーの両社が予定より速いペースでワクチンを米国に追加供給することに同意したのは、米国防生産法(DPA)の発動を受けたものだ」と明かしている。

この米国防生産法は、民間企業の生産活動を大統領権限で命令できる法律で、1950年の朝鮮戦争下に成立した。元々は軍需物資調達を目的とした同法律を活用して、米ジョンソン・エンド・ジョンソン(J&J)のワクチン生産を加速するため、米製薬大手メルクと協力させ、メルクの工場をJ&Jのワクチン生産に転用させた。こうした一連の措置により、J&Jは24時間態勢でワクチンを生産できるようになったという。

驚異的なスピードでワクチン接種に成功したのも、米軍が「ワープ・スピード作戦」(OWS)を主導した成果である。先のモデルナやJ&Jに加えて、アストラゼネカも、この作戦の恩恵を受けた。

国防総省の公式サイトが明記するとおり、「ワープ・スピード作戦は、連邦政府と民間のリソース(資源)を活用して、安全で効果的なワクチンや治療薬などの治験や供給、開発、配布を促進する」。米陸軍のギュスターブ・ペルナ大将が作戦の責任者として、疾病対策センター(CDC)や保健福祉省(HHS)などの関連省庁を束ねる。

まさに、連邦政府と軍産学が一体となった作戦である。なんとも羨ましい。

さて日本はどうか。その責めを負うべき河野太郎ワクチン担当大臣について、最新号の「週刊新潮」(2021年6月10日号)が大トップ記事『これが「次代の総理」か  “ワクチン敗軍の将”「河野太郎」大臣が「闇のバス旅行」でデタラメ政治資金』を掲載した。

発売日(6月3日)の参議院内閣委員会で、河野大臣は「収支報告は法律にのっとり適切に行っている」と答弁したが、これで済むなら、安倍前首相(の略式起訴された公設秘書)も、議員辞職した菅原一秀元経産大臣も〝無罪放免〞となろう。河野大臣は相変わらず連日、大量のツイートを投稿しているが、この件にはダンマリを決め込む。

まるで危機管理がなっていない。前防衛大臣にして、この有り様。後は推して知るべし。いや、それ以前に、外務大臣として専用機を所望し、総スカン。防衛大臣として、陸上配備型イージス・アショアを、ちゃぶ台返し。後者の重大な問題点は以前アゴラで詳論した。前者の問題は、その運行や整備が(外務省ではなく)どうせ航空自衛隊の負担となることへの配慮に欠けていた点である。どちらも「平和ボケ」が過ぎる。

これが「次代の総理」か。視点は、週刊新潮と異なるが、いまや私も同じ疑問を抱く。