人事の季節/就活の季節

早いもので、2021年も半分が過ぎようとしている。

昨日から後半戦、つまり7月となったわけだが、官を辞して10年が過ぎてもなお、何となくこの時期はそわそわする。役所の“大”人事異動の季節だからだ。通常国会の終わりを横目に見つつ、幹部から(上から)玉突き的に大掛かりに新たな人事を発令するのが、霞が関の恒例行事となっている。

そんな中、今年は特に、私がかつて勤務していた経産省のトップクラスの人事にやや驚いた。

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元々次官待望論の大きかった59年入省組の糟谷氏や新原氏は、次官待機ポストとも言われる筆頭局長の経済産業局長を務めながらも、様々な事情の中で次官にはならなかった。そのすぐ下の60年入省組(コロナ対応で注目を集める西村経済財政担当大臣の同期)も優秀な方の多い期で知られていたが、結局次官は出ずに、61年入省組の氏が次官になった。

この次官人事も、粒ぞろいと言われた期が2年次も飛んでしまったということで、中長期的な視点から見れば驚きではあるが、まあ、最近の動きだけ見ていれば、多田次官のこのタイミングでの誕生は順当とも言える。

個人的に驚いたのは、平成3年入省組の荒井氏の商務情報政策局長抜擢だ。今回の目玉人事の一つと言えよう。

官邸で当時の今井補佐官や長谷川補佐官、佐伯秘書官などの経産省出身者が活躍し、経産省政権とも言われた安倍政権時も、荒井氏は異例の長さで大臣官房総務課長を務め、彼のために設けられたポストにも見える政策立案総括審議官も務めるなど、中核的役割を担っていた。驚きなのは、彼らが去った後、即ち経産省の影響力が削がれたとされる菅官邸においても、総理の覚えめでたく、総括審議官として官邸に日参し、中核的役割を担い続けたことだ。

そして今回、同期はおろか、一つ上の期と比べても早いペースで局長に就任した。東大閥が強い経産省において、早大出身で異例の出世を遂げているのは、実力主義を徹底したいとの最近の経産省の傾向が出ているようにも見える。

個人的にも、荒井氏には、在職中も近い部署で、そして、辞めてからも何かとお世話になっているが、いつもかなり多忙なはずであるのに、あの余裕がどこからくるのか、というくらいに爽やかに色々なことを受け止めてくださる姿勢には頭が下がる。

荒井氏がトップとなる商務情報政策局は、内閣府のIT総合戦略室(デジタル改革関連法案準備室)との併任者も多く、政府や日本のDX推進上、とても大事な部署である。サイバーセキュリティも担っている。また、荒井氏は、情報通信機器課長も経験していて、シャープをはじめ、日本の家電メーカーの海外勢の買収に関する局面には、当時から官房時代も含めて、ことごとく中枢で関与していたと言って良い。本質的な国益の源泉(外為法の実質的な対象)は、もはや単純な家電メーカーとしての製品というより量子コンピューター技術やキオクシアの半導体などになっている最近の東芝だが、その東芝を巡る騒動(経産省の関与も問題とされている)も意識した人事であろう。益々のご活躍を期待したい。

そのほかにも、新原氏の内閣審議官(成長戦略会議事務局長代理)や国際博覧会推進本部事務局長への抜擢、あるいは、アイディアマンで行動派だけに、逆にいわゆる前田ハウス問題などでメディアに散々叩かれてしまった中小企業庁長官の前田氏の日本国際博覧会協会副事務総長への就任など、経産省が2025年の大阪・関西万博に本腰を入れつつある感じも見受けられる。コロナ下でのオリンピックが青息吐息なだけに、以下にオワコン(終わったコンテンツ)と言われようと、せっかく誘致に成功した万博でコケるわけにはいかない。そんな気合を感じる人事だ。

また、かつて上記の今井氏も務めた資源エネルギー庁次長(資源エネルギー庁のNo2)を、前任の飯田氏に引き続いて、産業技術環境局長を経験した山下氏が務めるなど、同ポストが、局長経験者が務める重要ポストとして定着してきているのも、興味深い傾向だ。カーボンニュートラル政策統括調整官という局長級ポストも新設された。

おりしも、国会の女子トイレでの盗撮事件や、若手キャリア職員の共謀による補助金不正受給問題(これまでも、贈収賄やインサイダー取引など、官僚の不祥事は多々あったが、今回の悪質さは、ちょっとレベルが違う強さを感じる)などで、対外的にも内部的にも揺れている経産省だが、7月からの人事一新の下での反転攻勢を期待したい。

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新しい人事の話は、基本的には、刷新後の新しい動きへの期待から、前向きな感じが出ることが多い。実際、ここ1~2週間は、当時の同僚などとのやり取りの中で、「今度は〇〇課長になる」とか、「自分はもう一年ステイ(留任)だ」などの文言を目にすることが多いが、心なしか、前後の文面に新たな気合を感じる。

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ただ、今年48歳になった私の同期近辺(入省して約四半世紀(約25年))の仲間からの声を聞いていると、「役人人生もアッという間だなぁ。定年が延びつつあるとはいえ、あと3~4ポストで卒業か。早いなぁ。一体、何か成し得たのだろうか。」と言った、悪く言うとやや後ろ向きな、慨嘆の声もないわけではない。大半の幹部が、若かりし頃からの激務を駆け抜けて来ているので、生き様に後悔はないだろうが、日本の低落傾向を見るに、結果としては惰眠を貪って来たかのような悔悟の念が出てくるのを禁じ得ない人は少なくない。

そんな中、もちろん、民間企業でも同じと言えば同じだが、役所にいると特に、想像もしなかったようなまさかの対応に関して、中核的に仕事をして責任を取らなければならないことも多い。コロナ対応や自然災害対応の局面では、特にその悲哀というか覚悟というか、大きな意気込みをもって仕事に臨んでいる者も見受けられる。

「百年兵を養うは一日これを用いんがためである」という言葉もあるが、そういう時の生き様や仕事ぶりが、自分の今後にも後進の若手にも大きく影響することが多い。霞が関にて頑張っている元同僚の諸氏におかれては、禍機こそ好機と思って、また、いつ何時大ピンチ≒大チャンスが巡ってくるとも限らないと感じて、是非頑張って頂きたいと思う。

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兵には、兵員という意味のほかに「武器」の意味もあるが、いざという時(一日)のために、自らの素養、すなわち「武器」を整えておくために、日頃(百年)どのようなことに心がけるべきであろうか。私は人事に関して言うと、「誰と働くか」が実は死活的に大事だと思う。

私の同期で、かつて、「自分は人事異動の希望調書で、希望部署を明示して書いたことがない。〇〇さんと働きたいとか、××さんの下に付きたい、といつも書く」と嘯く、変わり者と言うか強者がいた。最初にこの話を聞いた時は意味がよく分からなかったが、今にして思うと正論だと思う。

よほど担当したい分野や学びたい分野があれば別だが、多くの場合、敢えて希望を聞かれれば、こういう分野かなぁ、というのはあるが、その実、当該分野についてさほど詳しいわけでもなく、何が何でもある特定分野を担当したいと考えている若手は実はあまり多くないと思われる。

であれば、「何」より「誰」であり、当該人物にくっついて「見取稽古」的に、その人の挙措から判断軸、マネジメントスタイルまで、時に反面教師的にという部分も含んで、しっかりと学ぶのが良いと思う。そうした人間としての社会人としての基礎力が、いざという時にとても役に立つ。

最近は、大学3年生の就活が活発化する時期でもあり、また、ちょうど、霞が関で言うと官庁訪問が始まったところでもある(間もなく各省から内定が出る頃である)。

主宰する青山社中リーダー塾生や弊社インターンの学生などから、就職や官庁訪問について相談を受けることも多いが、実は、「“何”より“誰”」というのは、就職においても大事な要素だ。私は、「何が何でもアパレルに行きたい」とか「元祖商社希望なんです」とかでない限り、「極力色々な人に会って(OB訪問などをして)、特に人的な意味で組織カルチャーがフィットするところを希望するようにしなさい。分野は実はさほど大事ではない」とアドバイスするようにしている。

実際、役所時代に各社の方々と色々と付き合わせていただいた実感からは、例えば、同じ商社同士の三菱商事-伊藤忠の組み合わせや、同じ自動車メーカー同士のトヨタ-ホンダの組み合わせより、三菱商事-トヨタ、伊藤忠-ホンダの方が、構成員が紡ぎ出す組織カルチャーは近い気がする。社会のことがあまり分かっていない新卒の就職などは、本来、無理にひねり出した分野別(職種別)希望より、人的なカルチャー別希望を中心に据えて行った方が良いと思えてくる。

学生当時の私は、治安や国防こそが国家第一の役割と感じており、演繹的に考えて、分野別アプローチに従って、第一志望を警察庁に、第二志望を防衛庁(当時)に見定めていた。結論としては、最初は、ほとんど意識しておらず、当然のように第二クールから訪問しはじめた通産省(当時)にお世話になることになるのだが、官庁訪問時に、会う人会う人が面白かった通産省に入って、気づいたら14年近くも所属して、後悔は全くなく、感謝の念しかない。

今月のエッセイも気が付けば4000字の論考となってしまったが、勘違い的に熱くて(暑くて?)、話が長い人が多いのもまた、(一部の?しかし少なくない?)経産省の人たちの特徴である。官を辞して既に10年が経っているが、染みついたカルチャーというのは、そう簡単に変わらないものである。読者諸賢には、最後に寛容なるお心を期待しつつ、筆をおくことにする。