手遅れで中止できない
東京都に4度目の緊急事態宣言が発令される中で、東京五輪が2週間後に開催される予定です。まるで東京大空襲の空襲警報が鳴っている最中に、大運動会を強行開催する光景です。
蔓延防止措置をとっていれば、新型コロナ感染が東京五輪を直撃することは防げるという菅政権の思惑が外れました。東京が緊急事態宣言下ということは、新型コロナの東京大空襲を連想します。
新型コロナは抑えたと思ったらぶり返し、人類の予想が何度も裏切られています。不確かでしかあり得ない予想のもとに、五輪開催の時期を設定したことは危機管理上の大きな失策になります。
予想不能のコロナが敵ですから、早期に五輪の開催を断念しておくべきでした。そうすれば、これほど慌てふためくことはなかった。
政府の対応でよく分からないのは、新型コロナ感染による死者は8日、全国で17人と減少しているのに、そのことに全く触れていないことです。東京は新規感染者は896人と急増しているのに死者は2人でした。
感染のピークを越えた米国の死者はそれでも313人、英国33人、フランス28人、ドイツ30人です。国際比較するには、人口10万人あたりのデータに換算する必要があります。その必要がないくらい日本の死者は少ない。
菅首相は昨夜の記者会見でもそうしたことを全く説明しない。ひたすら感染者数の増大ばかりに目を奪われ、コロナ対策は迷走してきました。
都議選で自公が過半数を取れませんでした。秋の衆院選への影響を憂慮して、4度目の宣言を出し、「これほどまで政府は頑張っている」という姿勢を印象づけたかったのでしょう。
コロナ対策はウイルス対策の枠を遙かに超えて、多くの要素を抱え込んでいます。東京五輪対策、総選挙対策、菅政権の維持対策、世論対策、雇用対策などに及ぶ複合汚染対策なのです。
まん延防止重点措置の継続にとどめ、五輪開催に向かうならまだ分かる。コロナ感染の国際比較が明瞭にできる死者数(日本は少ない)にも注目せず、東京を4度目の非常事態宣言下に置く必要があったのでしょうか。
宣言に格上げしてしまった以上、「東京大空襲の警報下での大運動会」という光景になります。またもや飲食店での酒類提供の中止です。居酒屋で1人で酒を飲むことまで禁止する必要はあるのかどうか。
本質的な問題は、そうまでして東京五輪を開催すべきなのか。人間が決める五輪はいつでも開ける。コロナウイルスの感染拡大は、コロナに聞いても分からない。分かることはやり、分からないことには深入りしない。
開催を必要としているのは、バッハIOC会長、菅首相、小池都知事、テレビ放映をしたい北米テレビ局、広告収入がほしい日本の新聞・テレビ局、与党の応援が仕事になっている識者らでしょう。
新型コロナ対策を強化し、「安全・安心な五輪を開催し、歴史に残る大会にしたい」と、菅首相や小池知事は語っています。結果は逆で「コロナ危機下で強行した無茶な五輪」という意味で歴史に残るでしょう。
「感染症拡大の懸念がある際は、早期に五輪開催の断念を決めるという教訓がレガシー(遺産)となった」と、言い換えることもできます。五輪開催のあり方について、新しい考え方が芽生えてくるとはこのことです。
五輪の協賛企業の日本の新聞、テレビは、右往左往しています。日経の大きなコラムに「ニュース・エディター」と称する記者が菅首相のやり方を「菅モデル」と、持ち上げていました。菅政権のやり方は、とにかく何でもやってみる竹やり戦術で「モデル」というには程遠い。
朝日新聞の社説は「五輪の開催自体が矛盾をはらんでいる」です。以前書いた「五輪中止を首相に要望する」は、どこへ行ってしまったのか。
読売は「無観客を含め、安全な開催に万全を尽くすことが重要だ」と、当然すぎることを言っています。日経は「五輪をまじかに控え、政府が対策を強化するのはやむない」と、これまた意味がありません。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2021年7月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。