誰も知らない防衛白書

潮 匡人

7月13日、令和3年版の「防衛白書」が閣議で報告(了承)された。北朝鮮の核ミサイル能力について、最新白書はこう書いた。

北朝鮮は、わが国を射程に収めるノドンやスカッドERといった弾道ミサイルについては、実用化に必要な大気圏再突入技術を獲得しており、これらの弾道ミサイルに核兵器を搭載してわが国を攻撃する能力を既に保有しているとみられる

昨年の令和2年版は、こう書いていた。

北朝鮮は核兵器の小型化・弾頭化を実現し、これを弾道ミサイルに搭載してわが国を攻撃する能力を既に保有しているとみられます

令和元年版も「弾道ミサイルに搭載するための核兵器の小型化・弾頭化を既に実現しているとみられる」と明記していた。

令和3年版防衛白書表紙

このときマスメディアは《北朝鮮の核兵器開発では、「小型化・弾頭化をすでに実現しているとみられる」と初めて記載》(朝日新聞)など大騒ぎしたが、その前年末に閣議決定された「防衛計画の大綱」を踏襲したに過ぎない。そこで、こう書いていた。

弾道ミサイルに搭載するための核兵器の小型化・弾頭化を既に実現しているとみられる

ご覧のとおり一言一句、同じ。改めて白書の記述に騒ぐほうが、おかしい。

じつは、2015年まで、こう白書は記述していた。

北朝鮮が核兵器の小型化・弾頭化の実現に至っている可能性も排除できない

それが2016年に、こう変わる。

北朝鮮が核兵器の小型化・弾頭化の実現に至っている可能性も考えられる

私は2017年春出版の拙著『安全保障は感情で動く』(文春新書)で、右の違いを指摘しつつ「二〇一七年度版の『防衛白書』は再び記述の修正を迫られよう」と書いた。さて、2017年夏の白書はどうしたか。

北朝鮮が核兵器の小型化・弾頭化の実現に至っている可能性が考えられる

上記のとおり「も」→「が」と、一字だけ修正した。このときも全マスコミが見落としたが、この一字違いが大違い。2016年の核実験、2017年の相次ぐ新型弾道ミサイル発射など「小型化・弾頭化」が進展した経緯を踏まえた修正である。

その後2018年版まで同じ表現を踏襲してきたが、さらに前記「防衛計画の大綱」で前述のとおり「小型化・弾頭化を既に実現している」と踏み込んだ。

だが、この重大な記述に着目した番組も記事もなく、全マスコミが《事実上の「空母」導入》(朝日新聞)、《事実上「空母化」する》(NHK)などと空騒ぎした。

案の定、今年も「実用化に必要な大気圏再突入技術を獲得しており」との記述に着目したマスメディアはない。これまで私が「核兵器の小型化・弾頭化の実現に至っている」と指摘しても、主要メディアが重用する「識者」は一様に否定してきた。「大綱」や白書が、私の主張を追認するや、今度は「実用化に必要な大気圏再突入技術を獲得」していないと言い始めた(NHKも元海将らを起用し、そう報じた)。メディアはこれから、どう言い訳するのであろうか。

それにしても、なぜ毎年、こんな報道が繰り返されるのか。

考えられる理由の一つは、白書のボリュームであろう。今年は全部で680ページ。昨年の598ページから、また増えた。それを閣議後、数時間で報道する。どうせ、防衛省からレクチャーを受けて流しているのであろう。そうでなければ、読みこなせるはずがない。これでは官製報道ではないか。

たとえば今年、NHKがこう報じた。

防衛白書では、各国の最新の軍事動向や国防政策を分析していて、このうち中国については31ページを割いて記述しました。この中で「透明性を欠いたまま、継続的に高い水準で国防費を増加させ、軍事力の質・量を広範かつ急速に強化している」と指摘し、日本と、国際社会の安全保障上の強い懸念となっていると警戒感を示しています

だが昨年も、こう明記していた。

こうした中国の軍事動向などは、国防政策や軍事に関する不透明性とあいまって、わが国を含む地域と国際社会の安全保障上の強い懸念となっており、今後も強い関心を持って注視していく必要がある

中身にさしたる違いはない。昨年も中国について30ページを割いて記述していた。全体のページ数が増えたぶん、中国関連も1ページ増えた。それだけのことであろう。限られたニュース番組で改めて指摘すべきこととは思えない。

そんな些事を報じるくらいなら、岸信夫大臣が寄せた巻頭言を紹介すべきだった。

わが国は平和国家としての歩みを一歩一歩重ねる中で、自由や民主主義、法の支配、基本的人権の尊重といった普遍的価値の旗を堂々と翻す国となりました。我々は、志を同じくする仲間と手を携え、インド太平洋地域における普遍的価値の旗手として、自由を愛し、民主主義を信望し、人権が守られないことに深く憤り、強権をもって秩序を変えようとする者があれば断固としてこれに反対していかなければなりません。国民の心の奥底まで根付いたこうした価値観まで含めて、日本という国を守っていく、そういう決意でもって、自衛隊員は日々厳しい任務に就いています

昨年版のスカスカな巻頭言(河野太郎大臣)とは大違い。いや、この半世紀、ここまではっきり「価値」を掲げた巻頭言を、私は知らない。長く私が主張してきた(価値観外交ならぬ)価値観防衛が、はじめて白書で明記された。万感の思いである。

ただ、上記を実現するためには、いざというとき、武力を行使することが必要不可欠となる。だが今年、白書の表紙に墨絵で描かれた騎馬武者は、刀や弓でなく、手綱を握りしめている。聞けば、「刀を振りかざしていると専守防衛に反する」という防衛省側の意向が理由というから呆れる(朝日新聞7月13日付)。

「若年層を含め幅広い年齢層の方に手に取っていただくため」、「スタイリッシュさ」を追求したのはよいが(防衛省)、これでは、せっかくの巻頭言が台無しではないか。