日本共産党提唱の「野党連合政権」
日本共産党は、かねてより立憲民主党などの野党に対して、来るべき衆議院解散総選挙の勝利による政権交代後の政権構想として「野党連合政権」を提唱している。これは「安保関連法廃止」や「立憲主義回復」など、野党間で一致できる政策に基づき選挙協力を行ない、政権交代を実現した場合における日本共産党としての政権のあるべき姿を示したものと言えよう。これに対して、立憲民主党などの野党は、小選挙区における野党候補の一本化については、一定の基礎票を持つ共産党との選挙協力に前向きであるが、政権交代後の共産党との「野党連合政権」については否定的である。
立憲民主党が共産党の「野党連合政権」に否定的な理由
立憲民主党が共産党との「野党連合政権」に否定的な理由は、支持母体である「連合」の神津会長が共産党との連立政権に強く反対していることがある。神津会長の反対理由は、アゴラ掲載拙稿「日本共産党は全体主義政党か?」を参照されたい。のみならず、立憲民主党の枝野幸男代表自身も、6月17日、総選挙後に政権を担った場合の枠組みについて、「共産党とは理念が違う部分があるので連立政権は考えていない」(6月17日付け「朝日新聞デジタル」参照)と述べた。さらに、枝野代表は6月18日のTBSラジオ番組で「共産党と連立した場合は、安全保障や天皇制などをめぐる共産党の綱領と政権の政策との不一致を野党から突かれ、国会は全部機能が止まり、その政権はすぐに倒れる。」(6月18日付け「日本経済新聞」参照)とも述べた。このように、枝野代表は「理念の違い」を共産党との連立政権否定の理由に挙げているのである。
立憲民主党と日本共産党の「理念の違い」
確かに、立憲民主党は理念的には議会制民主主義に立脚し、日本型福祉社会の実現を目指す「社会民主主義政党」であり、日本共産党のような共産主義イデオロギーであるマルクス・レーニン主義(「科学的社会主義」)に立脚し、社会主義・共産主義社会の実現を目指す「社会主義・共産主義政党」ではない。また、基本政策においても、立憲民主党は共産党のような自衛隊違憲、日米安保廃棄、天皇制廃止ではない。これらの理念及び基本政策の相違点は根源的であり、連立政権においても容易に妥協し得るものではないであろう。その意味で、枝野代表の前記発言は首肯できる。
日本共産党は党規約2条でマルクス・レーニン主義(「科学的社会主義」)を党の理論的基礎とし、改定党綱領の五で「社会主義をめざす権力をつくり、生産手段を社会化して、社会主義・共産主義社会へ進む」としているから、社会主義・共産主義革命を目指す「社会主義・共産主義政党」であることは明らかである。
「プロレタリアート独裁」を容認する日本共産党
そのうえ、日本共産党が立脚するマルクス・レーニン主義(「科学的社会主義」)の核心は、レーニンによれば、暴力革命とプロレタリアート独裁であり(レーニン著「国家と革命」レーニン全集25巻432頁。445頁参照)、前記改定党綱領五の「社会主義をめざす権力」とはプロレタリアート独裁のことである。共産党は党綱領でプロレタリアート独裁を容認しているのである。プロレタリアート独裁とは、レーニンによれば、「共産主義革命を実現するため、革命に反対する抑圧者、搾取者、資本家の反抗を暴力で抑圧する労働者階級の権力であり、暴力のあるところに自由も民主主義もない。」(レーニン著「前掲書」499頁参照)とされ、その実態は共産党の一党独裁である。
日本共産党の理論面での最高指導者である不破哲三同党付属社会科学研究所所長も、「社会主義日本では労働者階級の権力、すなわちプロレタリアート独裁が樹立されなければならない。」(不破哲三著「人民的議会主義」241頁参照)と述べている。プロレタリアート独裁の実態が前記の通り共産党の一党独裁である限り、社会主義日本では、反対党の存在も、個人による政府批判も許されないであろう。もし個人が政府を批判すれば、現在の香港と同様に「国家安全法違反」等の罪で逮捕されるであろう。
政権を取ったら怖い?日本共産党
著名作家の松本清張氏は日本共産党宮本顕治委員長との対談で、「しかし宮本さん、まだまだ共産党は怖いという意識が理屈を超えて世間一般にあるわけですね。それを払拭しないと票は増えないですよ。」と述べたが、これに対し宮本委員長は、「この前の参議院選挙では260万票取りましたし、選挙ごとに増える傾向がありますけども、なんとなし、怖いという気持ちは強いですね。」(「週刊朝日」1966年12月23日号参照)と答えている。また、著名タレントの前田武彦氏は宮本委員長との対談で「共産党が恐ろしいという印象がなんでそんなにいつまでも根を引いて、誤解があるんでしょうね。」と述べたのに対し、宮本委員長は「戦後一時的に党が分裂したり、混乱したときに一部で火炎瓶を投げるというようなことが起こった。そういうものが非常に大きな印象を与えて、共産党自身が非常に何か物騒なものだという印象をまだ残している。」(「赤旗日曜版」1969年12月28日参照)と答えている。
周知のとおり、日本共産党は1950年に勃発した朝鮮戦争を契機に、その後方攪乱として、以後数年間、火炎瓶闘争、交番襲撃、山村工作隊、中核自衛隊など暴力革命路線をとった(兵本達吉著「共産党の黒い履歴書」月刊WILL2016年5月号36頁参照)。また、日本共産党は、「革命が平和的か暴力的かは敵の出方による」という、いわゆる「敵の出方論」を放棄していない(不破哲三著「前掲書」244頁参照)。即ち、「暴力革命」の可能性を否定していないのである。共産党が今も公安調査庁の調査対象であるのはこのためであり、調査対象は共産党に対する一種の抑止力になっていると言えよう。さらに、共産主義イデオロギーであるマルクス・レーニン主義に立脚する旧ソ連、中国、北朝鮮などの共産党一党独裁の社会主義国家における、人権侵害、言論弾圧、強制収容所、粛清などの恐怖政治の実態が、「共産党は怖い」という共産党への恐怖心を日本国民に植え付けたことも否定できない。
著名な文藝評論家の臼井吉見氏は、宮本委員長との対談で、「共産党は怖くなければ共産党ではない。」(「文藝春秋」1957年1月号参照)と述べているが、一面の真理をついている。なぜなら、日本共産党が目指す社会主義革命の核心である「生産手段の社会化」すなわち、「金融機関と重要産業の国有化」(宮本顕治著「日本革命の展望」203頁参照)を断行するためには、共産党一党独裁のプロレタリアート独裁に基づく「怖い共産党」でなければ実行が極めて困難だからである。その意味では、どの国でも一旦政権を取った共産党は怖いのであり、怖くなければ「反動勢力による反革命」で政権はたちまち崩壊し、社会主義革命の実現自体が不可能になるからである。以上により、日本共産党は、「政権を取ったら怖い」と言えよう。