五輪があぶり出した日本問題の検証が重要

閉幕しても五輪問題は終わらない

東京五輪では、競技場内の選手たちの躍動美の素晴らしさに酔いました。一方、競技場外の運営では、多くの問題が浮上し、多くの論点が浮き彫りになりました。五輪史上に残る大会となるでしょう。

オリンピック閉会式 首相官邸HPより

運営側の不祥事の多発、コロナ危機、猛暑、政治的な思惑、経済的収支、開催都市の負担軽減、IOCの絶対的な権限への批判など、論点は拡散しています。それらを総合的に検証し、日本自身への教訓としてもらいたい。

朝日新聞の社説は「政府、都、組織員会は問題を整理してこれまでの対応を検証し、国民に報告する責務がある。国会も目を光らせ、行政監視の使命を果たせ」(7日)と書きました。

この指摘に決定的な誤りがあります。「政府、都、組織委員会」は東京五輪の当事者であり、自らに不利な検証結果を出すはずはありません。

本来なら新聞が検証報道をすべきところです。今回の五輪では、新聞は協賛企業であり、協賛金の見返りとして広告収入を得るという立場でした。利害関係者にあたり、公正で中立的な検証は望めません。

公認会計士、弁護士、スポーツビジネスの学者や関係者、政治、経済、経営学者、五輪に詳しい専門家などが有資格者でしょうか。

とにかく第三者委員会に検証を委ねることです。国会でも設置を議論し、調査権限も与え、厳格な調査ができるようにすべきでしょう。秋に総選挙がありますから、五輪検証を公約にする政党があってほしい。

社会的問題を起こした企業がしばしば内部調査をし、責任の所在を説明することがあります。お手盛り的な調査が少なくなく、結局、社内の人物を外した第三者委員会の調査に追い込まれるのです。

毎日新聞も「酷暑の問題を含め、主催者と日本政府はきちんと検証しなければならない」(9日)と主張しました。これも同類です。少なくとも当事者による検証は必要であっても、十分ではありません。

積極的な五輪開催派であった読売新聞は「直面した課題を記録に残し、今後の五輪改革につなげるようIOCに提案することが必要だ」(同)です。社説のほどんどが競技場内での評価(女性の活躍、混合種目の増加など)に割かれ、事後検証には関心は薄いようです。

「今後の五輪改革につなげる提案」を読売はどう考えているのかが知りたいところなのです。日本自身の意思決定やガバナンス(組織統治)の問題も多く、「IOCに提案」したところで解決しません。

日経新聞は「視聴率やスポンサーとの関係で、選手や観客の健康を犠牲にするのは本末転倒で、改める時期に来ている」(同)です。秋とか春に開催すべきです。その通りにしても、日本問題には触れていません。

検証すべきはまず、IOCが開催都市に対し、圧倒的に強い権限を持っている開催都市契約をどこまでチェックし、招致に臨んだかです。中止の権限はIOCが持ち、中止の際に賠償責任を負わない「不平等条約」です。

政治的な動機から五輪招致の誘惑にはまり、事前チェックをしなかったのでしょう。真夏という開催時期も適切ではなかった。「この時期の東京は温暖で理想的な気候」と、虚をアピールした責任は誰にあるのか。

さらに「原発事故からの復興宣言」「コロナ人類が勝利した証としての五輪」など、無責任な思い付きのスローガンも酷かった。

安倍前首相の独断らしい「一年延期」は、今回の混乱の招いた最大の誤算です。「一年延期なら自分の任期中に開催できる」という政治的な計算が優先したのでしょう。それなのに、本人は知らんぷりです。メディアも本気で責任を追及していません。

「日本問題」とは、国家的な論点がいくつもあるのに、関係者ははぐらかし、国として事後検証をしないことです。今回の五輪に限ったことではありません。政権、政府は事後検証を嫌い、同じ過ち繰り返す。

「五輪開催とコロナの感染拡大は無関係」という首相らの説明も無責任です。専門家会議の尾身会長が「いや関係はある」と国会で述べています。緊急事態宣言をしながら五輪を開催すれば、国民の危機感も薄らぎ、行動自粛がお座なりになるのは当然です。

主要国で最悪の財政状態なのに、予算管理はずさんです。初めは「簡素な五輪だから」といって安心させ、そのうち当初予算の7300億円が1兆6000億円に膨らみ、関連経費を含め3兆円に達する。IOCは「我関せず」。

第三者委員会などによる事後検証は不可避です。「競技そのものは成功したので、五輪は成功した」式の短絡した議論は封印しましょう。恐らく菅政権や応援団の識者らはそうした論法ではぐらかすつもりでしょうか。


編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2021年8月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。