韓国の親日一掃に協力しよう~朝鮮焼肉は浪速焼肉に

Barks_japan/iStock

韓国の旭日旗への誹謗の声の大きさは、馬鹿げているが、声が大きく繰り返されるとそれなりに浸透してしまう。それに限らず、韓国の反日行為には、しっかり反撃していく必要があるが、国際親善は大事だから、友好的に賢く対処したい。

そこで提案したいのが先回りだ。積極的に親日分子摘発や親日残滓の排除に協力して上げてはどうか。

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韓国と日本の文化交流の歴史については、「日本人のための日中韓興亡史」(さくら社)に詳しく追いかけているが、日本が古代韓国から教えてもらったというものは、ほとんどが王仁博士、止利仏師、秦氏など百済在住の中国人が伝えたものであって日中交流史である。在日朝鮮人がアメリカでキムチの作り方教えても日米文化交流とは普通云わない。

日本から韓国に伝わった文化や技術はよく分からない。日本人も韓国人も誰も研究しないからだ。ただ、キムチに使う唐辛子は秀吉の半島遠征のころに日本から伝わったらしいが、韓国の料理文化を何でもピリ辛の単調なものにしたのは申し訳ない。

明治以降についていえば、太極旗は、李氏朝鮮時代の1883年1月27日に朝鮮国の国旗として初めて公布され、1949年10月15日に大韓民国の国旗としてデザインが確定した。

しかし、国旗は日章旗に似てるのは明らかで、ベトナム戦争のときは日章旗を掲げると韓国軍に間違われるというので、日の丸も封印することにした日本人も多かった。

国歌「愛國歌」は1948年の李承晩大統領による大統領令により、安益泰が1935年に作曲した管弦楽曲「韓国幻想曲」の終曲のメロディーからとった。しかし、これは、「満洲国建国10周年記念音楽会」で披露された「満洲国祝典音楽」そっくりな部分があるとされる。

安益泰は平壌生まれで、1921年に渡日し正則中学校や東京高等音楽学院で学び、1936年渡欧してウィーンへ留学し、リヒャルト・シュトラウスに学んだ。その後、ナチス支配下のドイツで活躍し、戦後はフランコ政権のスペインへ移住して現地の女性と結婚、スペイン国籍を取得しており、どうみても親日派であろう。

さらに、李氏朝鮮では、韓国語の書き言葉はなかったといっても過言ではない。ハングルはあったが女性や子供が使ったりしていただけで、公文書や学問・高尚な文化は文明国の言語である中国語を発音だけ韓国語風にして読んでいた。だから、江戸時代に朝鮮通信使が来日すると、日本の知識人は競って彼らに教えを請うた。

漢語をアルタイ語系に似た文法の話し言葉のなかに挟み込む「書き下し文スタイル」は日本語からの転用でしかも日本人・井上角五郎が韓国語への応用を考え出したものだから、非常に似ていて、漢語部分はそのままに、仮名をハングルに置き換えただけに近いのはそのためだ。あまり似すぎて申し訳ないから、日本語色を一掃するお手伝いをしたらどうか。

韓国の寺院などを巡ると、朝鮮総督府の文化事業で再建された仏教遺跡が多い。

儒教を弾圧して仏教を後押ししたのは信仰の自由への介入だったし、日本的な復元は申し訳ないから李氏朝鮮末期の姿に戻すのをお手伝いしたい。

李氏朝鮮の人々は高尚な趣味をもっていたのに、日本人が庶民的な素朴な日常に美を見出すなどといって日常の道具を韓国を代表する美術品だとかいって美術館などに飾っているのは馬鹿にした話だから、これも展示しないようにしないと失礼だ。

朝鮮焼肉は、大阪で照り焼きソースに唐辛子を加えたホルモン焼が元祖だ。それを韓国焼肉だ朝鮮焼肉だというのは、いわば産地偽装で申し訳ない。やはり、大阪焼肉、浪速焼肉と言い換えて、大阪料理として世界に間違った知識が広まったものをもとに戻すように、お手伝いしないと申し訳ない。

新時代の日韓友好は、半島における親日残滓を一掃して、また、日本側でも産地偽装を解消して、嫌な過去と決別した上で、真の善隣友好の関係を築いていきたいものだ。