大口病院事件に見る盲目的延命医療の闇 --- 五十嵐 直敬

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Techa Tungateja/iStock

はじめに

次々に入院中の高齢者が死亡する。寝たきり末期の人たちだから仕方ないことだが急変が増えた気がする。実は看護師が点滴に消毒薬を注入していた、というのが大口病院事件である。当初は迷宮入りかと思われたが、2年後に看護師が自白し、何と20人以上に消毒薬を注入したという。しかし確実な証拠があったのは3名に留まり、それらについての立件となった。

許し難い犯罪、というのが普通の感覚であろう。しかし取材記事をいくつも読み解くと、我が国老人医療制度の闇ゆえの事件、という「裏の顔」が見えるように思えてならない。であれば彼女一人を罰しても、これまでの数々の安楽死事件のように同様の事件は繰り返される。問題の根源を探ってみたい。

大口病院事件の経緯

大口病院(現在は改称)は神奈川県横浜市の80床ほどの、小規模ないわゆる老人病院である。文春記事によれば「廊下の照明は薄暗くホラー映画の撮影現場のような雰囲気、終末期の患者を最期まで面倒見るのがウリ」と言う。

時事通信によれば「同年7〜9月に48人の患者が相次いで死亡した。容体が悪く回復の見込めない患者が多く入院」地元住民のコメントとして「あまり地元の人が使う病院ではなかった。受け入れる所がなくて来たという人が多かった」東京新聞記事も「終末期みとり病院で転院が多い」としており、寝たきり高齢者を受け入れる終末期ケア施設だったと分かる。

事件では2016年(平成28年)7月以降、同じ病棟内で48人の入院患者が死亡している。不審が発覚したのは文春によれば2016年9月に入院して間もない患者が急変し、点滴バッグが異様に泡立っていることに看護師が不審を持ったからだった。分析の結果、遺体と点滴から消毒薬塩化ベンザルコニウムが検出され事件化した。2年後、当初は関与を否定していた被告が自白したことで事件は解決し公判となった。既に横浜地裁での審理は結審し、検察は死刑を求刑した。

被告の行為と死因の因果関係そして殺意は

「被告の自白通りなら」本来体内に投与禁忌である薬品を投与することは違法である。しかし東京新聞記事のように消毒薬を注入した場合の致死量は定かではなく、死因との関与は推測となる。明確な殺意があれば、病棟内で日常的に使用されている薬品で痕跡や症状無く死に至らしめることができるものもある。被告は動機として「以前患者が死亡した時、遺族にお前が殺した訴えてやると言われたのが辛かった、それが嫌で自分の勤務帯以外で亡くなって欲しかった」というような供述をしている。被告は明確な殺意を持っていたと言えるのだろうか。

医薬品医療機器総合機構に登録されている情報にも塩化ベンザルコニウムの毒性については明確な表記は無い、すなわち毒性は不明である。従って「看取りが近い終末期患者」に「体内投与が認められていないが毒性も不明な薬品」を投与したことが、直接の死因と断定し殺人とすることは「疑わしきは罰せず」という原則から逸脱しないだろうか。これは新型コロナワクチン投与後に死亡した人の死因がワクチンなのか? という問題と同義である。

さらに大口病院ではパワハラやイジメ、ユニフォームが切り裂かれる等のハラスメントが横行していたと複数記事が伝えている。若い女性が夜勤交代勤務の激務でそのような場で心休まることすらできず、寝たきり老人かそれに近い天寿が近い人が亡くなると家族になじられる、そのようなことに耐えられるだろうか、平常心を保ち続けられるだろうか。また被告の精神鑑定中に統合失調症のような症状が見られたという。強大なストレスが統合失調症発症の引き金になることも言われている。

盲目的延命医療の実態と問題

前述の通り大口病院は終末期の老人病院だったようである。亡くなった方は東京新聞によれば何度も誤嚥性肺炎を繰り返しての入院、裁判官も「今回は高齢で、AさんBさん(仮名)は終末期」と述べており、典型的な終末期つまり天寿を前にした状態と言える。

筆者はおよそあらゆる医療や介護の場を経験しているが、老人病院や特別養護老人ホーム等の介護施設や寝たきり高齢者施設では、薄暗く便尿臭が漂い認知症の人などが発する奇声が聞こえ、スタッフはオムツ交換と食事介助で汚物と食べこぼしに塗れ汗を流し働き続ける、明るい笑顔も弾む声も無く家族の面会もほとんど無く労ってくれる人も居ない、そんな場も存在する。

また事件前後の被告に「お前が殺した、訴えてやる」等の心無い言葉を投げつけた人達が居たようである。「カリフォルニアの親戚」という言葉が終末期医療や介護の世界で言われるが、普段手も金も出さない面倒見ない面会にも来ない人が何かあると口だけ出す、責め立て訴えると脅したりすることを言う。まさに被告は「カリフォルニアの親戚」に責め立てられ、あるいはそれに脅えて心身疲弊していたのではとうかがえる。実に同情すべきことではないだろうか。

さらに近年の医療訴訟では、医療側に「過失はないが賠償せよ」という意味不明な判決が散見される。「病院や医者は金持ってるだろう、可哀そうな人に金出してやれ」と言わんばかり、ヤクザも青ざめる無法な不条理が起きている。さらには昨年2020年3月31日大津地裁判決で再審無罪となった「滋賀呼吸器事件」のような冤罪も起きている。

不自然に相次いで末期患者が亡くなった。被告の行為が無ければ「もう少し長く」生きられたかもしれない。しかしそれは希望的想像であり、検査や胃ろう造設直後に亡くなる例もある。問題は管や点滴で「生かされているだけ」自分の好きなこともできない好きなものも食べられない動けない、それで本当に幸せなのか? 回復を望めないQOLが阻害された「不幸」な状態を盲目的延命治療で延々と引き延ばすそれはどうなのか。

その原因は老人医療制度が過去の無料化以来自己負担が格安であり、延命することで医療者は「救命しました」と大義が成立し収入を得て、家族は死を忌避しフタできる。死生観無き双方の共依存的なその場逃れの「三だけ主義、今だけ金だけ自分だけ良ければイイ」。そこに管につながれ面会も無い患者のQOLと幸せは、あるのだろうか。そんな人たちに尽くし汗流す人の想いや幸せはいかに。

本稿脱稿に前後し無期懲役の判決が下された。異例の主文後回しであったが、報道からは裁判官も「死刑を躊躇する」と一個人の犯罪として断罪すれば済むのかという憂慮が感じられる。彼女を葬っても魔女狩りでしかない。「魔界」老人医療制度と盲目的延命医療が存在する限り、このような事件は繰り返されるだろう。裁判所は法の下の正義により、人ではなく罪を裁いて欲しい。

五十嵐 直敬
新西横浜街の医療ケア研究室代表。平成7年北里大学看護学部卒。保健師、看護師。大学病院から外来、訪問看護・在宅医療から介護サービスまで幅広い場で緩和ケアを実践、所長、施設長等を歴任。臨床の傍ら教育とコンサルに携わる。

【参考】
事件から5年、休診続く 再開めど立たず—旧大口病院・患者連続殺害事件
《不審死48人「大口病院点滴殺人事件」》「20人くらい殺った」“白衣の堕天使”久保木被告が女性取調官に“完落ち”して語った凶行
続き
久保木被告の3人中毒死事件 泡立つ点滴「もう半分くらい体に…」看護師が泣き出した:東京新聞 TOKYO Web
【速報】旧大口病院“点滴殺人” 元看護師に無期懲役判決(TBS系(JNN))
【横浜・旧大口病院点滴殺人】元看護師に無期懲役判決 完全責任能力認定も「死刑に躊躇」(カナロコ by 神奈川新聞)
主文後回し「静粛な環境で聞いて」点滴混入(日本テレビ系(NNN))
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