独立宣言の真意とは
「全ての人間は生まれながらにして平等である」
これはアメリカ独立宣言からよく引用される有名な一節である。オバマ氏もブレイクのきっかけとなった2004年の民主党党大会の基調演説で上記の一文に言及しながら、アメリカの例外性を訴えた。
しかし、この一文を書いた人物の意図と全く違う文脈で、このあまりにも有名な文は使用されている。
まず、「人間」と和訳される部分は、英語では男(men)と表記される。この時点で、人口の半分を占める女性が「全ての人間」の内に入らなくなる。また、この文を書いた人物は奴隷主であり、黒人奴隷の労働のおかげで、富と権力を手にしている。加えて、強烈な人種差別的な考えを持っていた。そのため、当然女性のみならず、黒人たちも、独立宣言の筆者が考える「平等」の範疇には入っていない。独立宣言はイギリスの決別を宣言した文書であることが実態であり、それが公布された当時はそれ以上でもそれ以下でも無かった。さらに、それの筆者の世界観を考慮すると極めて排他的な性質も同時に兼ね備えていた。
この独立宣言を書いた人物とは第三代アメリカ大統領のトーマス・ジェファーソンである。一昔前はアメリカ建国の父の一人と目され、アメリカをアメリカたらしめている独立宣言の起草者であることから、アメリカ人の尊敬を集め、聖人に近い扱いを受けていた。首都ワシントンDCに彼を顕彰する記念堂があり、彼がラシュモア山に顔をデカデカと彫られていることがその証左である。
しかし、アフリカ系アメリカ人が一方的に警察官に殺害されるという事件が立て続けに発生したことを受けて、近年のアメリカでは人種にまつわる問題が注目されている。ブラックライブズマター運動が勢いを増しているのも、そのよう時代背景が要因としてある。
その延長線上で、全米各地では奴隷制維持という非人道的な大義のために戦った南軍軍人の銅像を撤去する動きが続いている。その過程で、矛先が向かれたのがジェファーソン像である。
覚醒したアメリカ
15日にニューヨーク市の公共デザイン委員会は正式にジェファーソン像を同市役所から撤去することに決めた。これは同委員会のメンバーたちが差別主義者であるジェファーソンを称える銅像が市のシンボルである施設にあることに疑問を呈したことが発端であった。撤去される銅像は博物館に移動され、アメリカの負の遺産を象徴する人物として展示される予定である。
もちろん、ジェファーソンが聖人であることに拘泥している人々はご立腹である。上記の委員会がジェファーソン像の撤去を勧告した直後、CNNの保守派論客のジェニングス氏は, 「人類を進歩させた独立宣言の起草者」を断罪することを許せば、「国の根幹が破壊される」として痛烈な批判を繰り広げた。
従来であれば、南軍軍人の銅像はまだしも、建国の父たちの銅像が撤去される事態はあり得なかった。2017年の段階ではアトランティック紙などの比較的リベラルな媒体でも、建国の父たちの銅像が除去されることには懐疑的だった。
しかし、4年前がまるで大昔のごとく、建国の父であっても、差別主義者、奴隷主あったら言語道断であるという空気を社会は許容しつつある。保守派がリベラル派に使用する蔑称で表現するならアメリカは「覚醒」を始めているのである。
過去の歴史は無かったことにするのか?
ジェファーソンのような人物を聖人として敬うことに筆者自身は抵抗感を覚える。結果的に彼の掲げた普遍的な価値観は、アフリカ系アメリカ人、女性、その他のマイノリティたちの社会地位の向上に寄与した。公民権運動の指導者であったキング牧師は有名な「私には夢がある」スピーチで、冒頭部分に述べた「全ての人間は平等」という一節を引用し、黒人の権利獲得を主張する根拠とした。しかし、だからといってそれはジェファーソンの功績にはならないし、ただの結果オーライである。
それ以上に黒人を「身体的、精神的に白人より劣っている」というナチスを思わせる言葉を残しているという人物を敬うこと自体に後ろめたさを感じてしまう。
一方、そのような背徳感を感じても、一定数の米国民は建国の父たちを支持し続けなければならないという脅迫観念に迫られているではないかと筆者は考える。
なぜなら、ジェニングス氏が述べるように、建国の父たちが残した遺産はアメリカという社会を結合させている接着剤のようなものだとアメリカ人は認識しているからである。それゆえ、過去の歴史を否定するように見える運動に時には恐怖感を覚える。
だが、建国の父たちの功績のみがアメリカの根幹を形成してるとは筆者は思わないし、アメリカは誇れるものが別にある。奴隷主たちが建国した国が数百年でアフリカ系アメリカ人の大統領を誕生させたというアメリカの自己修正能力は目を見張るものがある。また、独立宣言で書かれていた普遍的価値観を本当の意味での普遍的なものにするために命をかけた人々が実在したという過去は十分に胸を張れる歴史である。
しかし、そのような歴史認識が普及されるまでは、建国の父たちをめぐる歴史のバトルはアメリカを分断していくであろう。