「古き良き時代」のアメリカと私〜全米自動車旅行の思い出(金子 熊夫)

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外交評論家 エネルギー戦略研究会会長 金子 熊夫

前回に続き昔話で恐縮ですが、老人の「センチメンタル・ジャーニー」として気楽にお読みくだされば幸いです。

私の最初の在米生活(1964~66年)の中で、今でも強く印象に残っているのはやはり全米各地を愛車のフォルクスワーゲンで自動車旅行したことです。なにせ学生の身分なので、カネはともかく、時間とエネルギー(体力)はたっぷりありました。

カリフォルニアで愛車のVWと

大学の夏休み丸2カ月半を使って全米各地を駆け回りましたが、最も楽しかったのは、中西部からロッキー山脈地方への旅行でした。大使館の先輩たちから、東海岸や西海岸の大都市はいつでも行けるから、学生時代はできるだけワシントンから遠い辺ぴな地方を見物した方がよいと助言されていましたし、私自身も昔からハリウッドの西部劇でなじんでいた地方をじっくり体験してみたいと考えていました。

そこで、まず全米自動車協会(AAA)に会員登録をした後、自動車旅行の必需品として「ランド・マクナリー」の自動車用地図帳、小型テント、料理用のコールマン・ストーブ(圧縮空気型コンロ)、食器類一式を買い込み、勇んで一路西部を目指しました。

独り運転中の睡魔との戦い

米国の幹線道路(ハイウェー)は、当時の日本の道路と比べものにならないほど立派に整備されていて、運転は常に快適でしたが、何分にも国土が日本の約25倍、あまりにも広大で、見渡す限り無人の大平原。丸一日ドライブしても行き交う自動車は僅か数台ということも。当然ガソリンスタンドやパーキング・エアリアもまばら。ある時は、次のガソリンスタンドまで約50キロというところで突然ガス欠。運よくたまたま通りかかった車に乗せてもらい、最寄りのスタンドでガソリンを買ってきて事なきを得たことも。

ただ、一人で運転していると単調なので、どうしても睡魔に襲われますが、その時は潔く路肩に停車してひと眠り。当時はアメリカでも治安は比較的よく、暴漢に襲われる心配はないと言われていましたが、時々ハイウェーパトロールが通りかかって、窓を叩き、運転免許証を見せろと。眠い目をこすりながら、外交官旅券を提示すると、さすがに「イエス・サー。しかし十分注意して運転してくださいよ」と言ってあっさり放免してくれました。今思うと、大らかな時代でした。

いざロッキー山脈を目指して

最初の目的地はロッキー山脈の入り口のコロラド州デンバー。真夏でも高地なので涼しく快適で、開放感満点。ところが、誰が宣伝したか分かりませんが、ワシントンから若手の日本外交官がやって来るというので、近隣在住の日系アメリカ人の方々が大勢集まってくれたので、急きょ講演をしたり率直な意見交換をしました。

当時は、まだ戦争中に無理やり強制収容所に入れられて苦労した人が多く、生々しい体験談を聞かせてもらいました。1980年代半ば、レーガン政権によって、日系米国人の強制収容の誤りを認め、正式に謝罪と損害賠償が行われましたが、それまでは長年つらい思いをされたようで、図らずも日米間の厳しい過去と直面させられました。

イエローストンは愛知県より広い

デンバーで数日を過ごした後、いよいよロッキー山脈沿いに北上し、ワイオミング州のシャイアン、ララミーなど西部劇でなじみの町で、ロデオ体験をしたりして、すっかりカウボーイ気分に。そのあと、最初のお目当てのイエローストーンに入りました。ここは、いわずと知れた全米で最古、最大の国立公園で、その規模は愛知県の1.5倍。園内を一周するだけで丸1日以上かかる大きさ。

大半が火山地帯で大小さまざまな沸騰した温泉や熱沼が散在し、危うく飛び込みそうになって、ヒヤリの連続。中でも最も有名な「古く忠実な」(Old Faithful)の愛称で知られる巨大な間欠泉は圧巻で、一定間隔で忠実に噴出し、熱湯の柱は40~50メートルの高さに達する豪快さ。時間のたつのも忘れて見とれました。ここでテントを張って3泊。

グランド・ティートンの魅力

次に向かったのは、同じワイオミング州にあるグランド・ティートン国立公園。ここは、4000メートル級の高峰が三つ並び、いずれも急峻で真夏でも白雪に覆われていて、実に神々しい感じ。麓にスネークリバーが蛇行していて、どこから見ても絶景。

グランド・ティートン

山好きの私が長年グランド・ティートンに憧れてきたのは、往年の西部劇の名作「シェーン」(1953年公開)の記憶があったから。この映画のストーリーは改めてご紹介するまでもありませんが、映画の最後のシーンで、アラン・ラッドふんする主人公のシェーン(早打ちのガンマン)が馬に乗って卒然と去っていく時、彼を尊敬し慕っていた少年ジョーイが後を追っかけて「シェーン、カムバック!シェーン」と必死に叫ぶ。あの有名なクライマックス場面の背景にそびえ立つのがこのグランドティートンの山並みで、主題歌「遥かなる山の呼び声」の哀切なメロディーと少年の叫び声がいつまでもこだまして…と、いうわけで、すっかりグランド・ティートンの魅力に取りつかれて、山麓にテントを張って連日トレッキングを楽しみました。その結果、最初の予定を大幅に越えて1週間以上滞在してしまいました。山小屋の食堂でアルバイトしている、ハーバード大学の友人(アメリカ人)に偶然出会ったのもうれしい驚きでした。

世界一美しい花畑の町バンフ

次にモンタナ州のいろいろな山岳地帯を北上し、さらにカナダ国境を越え、カナディアン・ロッキーと言われる地方にまで足を延ばしました。

世界一美しい花の町バンフで

最初に訪れたのは、ブリティッシュ・コロンビア州のバンフという小さな町。まるで町全体がお花畑のようで、世界一美しい町といううたい文句にも納得。文字通り深山幽谷に囲まれ、神秘的なルイーズ湖とその湖畔に佇む中世ヨーロッパ風の古城という絶妙な組み合わせは、思わず息をのむ美しさ。聞けば、IOCが何度も冬季オリンピックを開催させてほしいと申し入れてきたが、町が俗化するからという理由で断ったとか。さもありなん。ここで撮った写真の私の満足げな表情をご覧ください。

カナディアン・ロッキーでは、さらにジャスパーまで足を延ばしましたが、途中、巨大なコロンビア氷河で、20~30メートルの厚い氷河の中をくりぬいたトンネルに入って震えたのも珍しい体験でした。

グランドキャニオンでまた感動

これ以上北上するとキリがないので、諦めて、ロッキー山脈を後に、太平洋岸のバンクーバーまで出て、そこから一挙に西海岸沿いに南下。シアトル、サンフランシスコ、ロサンジェルス、サンディエゴを経て、メキシコ国境を越え、ティフアナで闘牛を見物。再び米国に戻り、ネバダ州のラスベガスからようやく(ついに!)グランドキャニオンに到着。

グランドキャニオンでもその聞きしに勝る巨大さに圧倒されて、3泊してあちこちを探索しましたが、気が付くと、もう夏休みも終わりに近づいており、仕方なく帰途に就くことにしました。

グランドキャニオンにて(左は交代で運転した友人)

ハーバードの秋学期の開始まで後1週間を切っていたので、グランドキャニオンからは、そこで偶然知り合った米国人の友人と交代で運転して、東海岸を目指して出発。なにせ時間的余裕が全くないので、ガソリンを補充するとき以外は、完全にノンストップ。途中ミズーリ、ケンタッキー州あたりで大雨や雷雨に見舞われましたが、昼も夜もなく交代で運転して、北米大陸約4000キロ(北海道ー九州間を往復する距離)を4日4晩で走り切りました。

ボストンの近くの知人宅に転がり込んで、丸1昼夜爆睡。彼の母親が、死んだのではないかと心配したそうな。それもこれも若気の至りで、今では考えられないような無茶なことをしたものです。

無名時代のレーガン氏に会う

なお、西海岸のサンフランシスコやロサンゼルスでは、日本での学生時代に内職で観光ガイドをしていてお世話したアメリカ人夫妻などに再会し、歓待を受けました。特にロサンゼルスでは、ハリウッドの近くのビバリーヒルズという超高級住宅地に住む知人が、私のために歓迎パーティーを開いて、地元の名士などを紹介してくれました。その中には、まだカリフォルニア州知事になる前のロナルド・レーガン氏がいましたが、後年大統領にまで出世するとは思わず、ハリウッドの元二流俳優(いつも脇役で、ゲリー・クーパーやクラーク・ゲイブルなど名優の引き立て役)くらいにしか思っていませんでした。先見の明が無かったと言わざるを得ません。

もう一つの新発見は、旅費節約のため、全米各地で毎日食べたホットドッグとコカコーラの味が州や町ごとに微妙に違っていてどれもおいしかったこと。お陰で、日本にいた頃は馬鹿にして全く飲んだことがなかったコカコーラが大好きになりました。

いずれにせよ、二十代の若い日本人が、こうして無事に、自由自在に全米を旅行できたのも、やはり「古き良き時代」だったのだと思います。

(2021年12月6日付東愛知新聞令和つれづれ草より転載)

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編集部より:この記事はエネルギー戦略研究会(EEE会議)の記事を転載させていただきました。オリジナル記事をご希望の方はエネルギー戦略研究会(EEE会議)代表:金子熊夫ウェブサイトをご覧ください。