世界史を変えた真珠湾攻撃

魚雷攻撃を受けるアメリカ戦艦群、日本軍機から撮影
出典:Wikipedia

リメンバー・パールハーバー

高名な歴史学者であるカーは著書「歴史とは何か」で、「歴史的事実とは、何らかの解釈を前提するもの」と述べた。すなわち、歴史的解釈があって初めて歴史的事実というものが現れるのである。カーの指摘は歴史が絶対的なものではなく、解釈次第ではいくらでも変化する柔軟性の高いものであることを示唆する。

事実、日本とアメリカは同じ体験を共有しているにもかかわらずに、真珠湾攻撃とは何か、そこから得た教訓については認識が違っている。

アメリカの目から見た真珠湾攻撃とは屈辱的な事件であった。ルーズベルト大統領は日本への宣戦布告を求めるための議会でのスピーチで冒頭部分から「この日は汚名とともに記憶される」であろうと述べた。アメリカ人はリメンバー・パールハーバーの掛け声のもと、激しい憎悪を以て日本に対する報復に身を投じた。

そして、その憎悪は部分的ではありながらも現代アメリカにまで残っている。バイデン大統領は真珠湾攻撃から80周年を記念して発表した談話で、「この日は80年たった今でも悪名高い日になっている」と述べた。

犠牲者を追悼するバイデン大統領
NHKより

一方の日本は加害者でもあり、奇襲という卑怯と批判されても仕方のない攻撃をしたことへの反省なのか、政府関係者の声明を見る限りでは言葉少なめな印象を受ける。さらに、日本では敗戦必須の戦いに挑戦した序章として真珠湾攻撃が取り上げられることも多々ある。

このように、真珠湾攻撃という事件を振り返るにあたっての解釈は日米双方を見ても違う。

しかし、真珠湾攻撃という事件は単に日米間で起こった一事件として結論づけていいものなのかというのが、筆者の本稿での問題提起だ。真珠湾攻撃というものは太平洋のど真ん中で生じたただの戦闘ではなく、世界史的に見て重要性の高いものである。

孤立主義こそがアメリカの伝統

真珠湾攻撃の世界史的意義とは、孤立主義が国是だったアメリカを超大国に変貌させたことである。

アメリカが孤立主義、よく言えば非介入主義を採用したのは初代大統領のジョージ・ワシントンである。大統領から退いたワシントンは離任の挨拶で、「永久的な同盟」を他国と結ばず、「中立的な立場」を保つことを米国民に問いかけた。

実際、ワシントンの要望にアメリカはいくつかの例外を覗いては一貫して答えている。例えば、1823年にアメリカはモンロードクトリンを発表し、孤立主義が国家としての基本姿勢だということを鮮明にした。さらに、建国から1941年までの間に棍棒外交のセオドア・ルーズベルト(TR)、宣教師外交のウッドロー・ウィルソン大統領などのような「例外的な」な指導者が登場した。だが、彼らが掲げた外交姿勢は一過性のもので終わった。ウィルソンが提案した国連への参加を議会が拒否しことはアメリカ孤立主義は根強さを証明した。

トランプ並みの孤立主義者だったルーズベルト

特定の同盟に属さず、国際情勢から距離を置くというアメリカの姿勢は1920年代後半、世界恐慌を機にさらに強固なものであった。その中で大統領になったのがフランクリン・D・ローズベルト(FDR)である。FDRは英国との関係の深い上流階級という生い立ち、ウィルソン政権の高官だったということもあり、国際情勢に明るく、アメリカが国際的なリーダーシップを発揮するべきだという考えを持っていた。また、親戚であるTRを深く尊敬しており、そのことからTR、ウィルソンと同じようなアメリカの伝統にそぐわない大統領になってもおかしくなかった。

しかし、不況の影響から内向き姿勢を強める世論の空気を読み取り、彼は孤立主義者を演じることになった。就任早々の1933年7月、FDRは恐慌対策という名目で各国が集まったロンドン経済会議で無理難題を突きつけ、会議を破綻させ国際社会から大ひんしゅくを買った。英国首相であったラムゼイ・マクドナルド氏はFDRが会議前の合意を反故にしたとして激しく憤った。トランプ大統領並みのお騒がせぶりである。

それでだけではなく、アメリカの内向き化を促進させた一次大戦が武器商人の私腹を肥やしたと結論したナイ報告書を後押ししたり、アメリカの対外関与を著しく限定する中立法などの法律を作った。さらに、1934年にフィリンピン独立法を可決させ、植民地を放棄し、アジアから手を引く方針を固めた。

日本が超大国を生み出した

このように、FDRの元でもアメリカは孤立主義を貫き、伝統を維持するかのように思えた。だが、皮肉にも孤立主義者であったルーズベルトをアメリカ随一の国際主義者という評価に押し上げるきっかけとしたのが日本の脅威であった。

1937年に中国における日本の侵略行為が明白になるにつれて、アメリカは申し訳程度に制裁措置に打って出た。しかし、世論は制裁を求めていたものの日本と戦争をすることを望のでおらず、FDRもそれを理解していた。しかし、事態はエスカレートしていき、日本は最終的には真珠湾攻撃という荒業に打って出た。

それはアメリカが孤立主義という鎖から影響に解放されることを意味した。真珠湾攻撃をきっかけに世論は一夜にして開戦気運が高まり、アメリカは日本と戦った。だが、アメリカは終戦以降も、孤立主義に完璧に戻ることはなかった。それだけではなく、戦後アメリカは同盟国であったイギリス、フランスだけではなく、敵だった日本とも同盟を結び、世界中に基地を建設した。ある意味では日本がアメリカを超大国に押し上げたのである。

そのような歴史の皮肉とも思える結末を引き起こした真珠湾攻撃を80年という節目に思い起こしたい。

<参考文献>
・「歴史とは何か」E.カー、岩波新書
Freedom from fear: the American people in depression and war, 1929-1945. New York:Kennedy, David M. 2005. Oxford University Press.