スペインでのビジネスをどうやって見定めたか

MARCO OKADA CO., LTDの設立

陶板家具の輸出が軌道に乗る前に筆者と家内の弟の二人が株主となってマルコ・オカダ有限会社を1984年に設立した。それまでは筆者の家内の個人商店という形で営業していた。

マルコは家内と弟の母方の苗字で、オカダ(岡田)というのは筆者の曽祖父の苗字である。この社名はスペイン人にも発音し易く覚えやすい社名でもあった。その後、スペインの家具業界では弊社は信頼できる会社だとして結構知られるようになった。

陶板家具の輸出が軌道に乗る

陶板家具の輸出は軌道に乗った。また、1988年だったと思うが、それを生産しているルスティック社のビダル社長をHAG社に連れて行った。

Eloi_Omella/iStock

ところが、輸出が始まってから4-5年が経過した時点で、ビダル社長が日本での輸出に進展がないと不満を筆者に言うようになった。日本市場のことを考えれば筆者には順調な進展をしていると思えた。ところが、彼はマデス社と比較したがるのであった。当時のマデスは陶板家具の生産量の7割を日本市場に輸出していた。その相手先は著名なチェーン店AC社だった。当時からAC社は販売力のある小売業者で、HAG社は輸入して卸として小売業者に販売して行くということだったから、販売量においてはAC社とは比較にならなかった。

ところが、ビダル社長はAC社のような販売量をHAG社に期待したのであった。HAG社がビダルの陶板家具を輸入していなければ、彼の商品は日本市場に輸出されていなかったかもしれないはずだ。だから、HAG社に感謝すべきであるはずであるのに、逆に不満の方が先行していた。これはスペイン人によくある打算的で物質主義的な面があるということを考えれば当然のようにも思えた。しかし、その不満を強く言ってきて感謝されないのであれば別のメーカーで作らせた方が良いと筆者は考えるようになっていた。その数年後に筆者はそれを実現させた。

その一方で、マデス社の社内とAC社との間でそれぞれ内紛が起きたようで、マデス社で働いていた従業員数名がマデス社を出て会社を設立し、陶板家具をつくるようになったのである。それをAC社が輸入するということになった。AC社の社内でも何か問題が起きたようであった。ということで、マデス社は一挙に赤字に転落。何しろ、同社の生産量の7割が日本向けに輸出されていたのが一挙にゼロとなったからである。

その時、マデス社の社長ヘルマン氏は筆者の存在を誰からか聞いていたようで、筆者が日本人で家具業界に関与しているということから、筆者がこの内紛に絡んでいるとヘルマン氏は推察するようになったのである。それである日、突然彼から電話がかかって来た。筆者と会いたいという希望であった。それで早速同社を訪問してヘルマン氏と面談した。その席で彼から事情を聞かされた。それで筆者はヘルマン氏が訪日してAC社のトップに会って今後のことなどを明確にすることを勧めた。

筆者が彼に語った内容からこの内紛に筆者は全くかかわっていないことが分かったようで、彼の方から「てっきり、この事件にあなたが関与していると思っていた」と彼の内心を筆者に打ち明かした。彼との面談はそれが最初で最後だった。それから時が経過して、マデス社は倒産した。ヘルマン氏はその後、住宅建設ブームを利用してその方面に従事するようになったと人から聞いた。

70年代後半から80年代の日本向け家具のトップメーカーはマデス社だった、当時、日本との取引を発展させるための会合があると、ヘルマン氏は必ず主人公の一人になっていたのを筆者は今も記憶している。

なお、陶板家具についてはマデス社とㇽスティック社以外にもう1社あった。それは日本で通販を専門に販売されていた。他にもこの家具の生産メーカーはあったが、それは単発的に日本市場に輸出されたもので継続した販売には繋がっていなかった。

多色彩家具

陶板家具に続いてHAG社と一緒に成長させたのが多色彩家具だった。家具に彫刻が入っていて、それを色々な色彩で装飾した家具のことだ。また、この家具にはハムガと呼ばれる椅子もあって、これは座が革製だ。一連のこれらの家具はスペインの中世にヒットした家具を捩ったものである。当時は象嵌細工が市場にはまだ存在していなかった。それで装飾に彫刻が入ってその下地としてゴールドが塗られ、その上から色彩豊かな装飾を施していったのである。

これを一つのシリーズとしてHAG社が販売して行った。これを生産していたのは当時バレンシアでは2社しかなかった。その1社バラチナ兄弟社から弊社は購入を開始した。バレンシア空港のすぐ傍にある工場団地の中にこの兄弟アンヘル氏とガスパル氏は小さな工房をもっていた。それまで彼らはイタリア向けに生産していた。

ということで、陶板家具と多色彩家具が弊社の輸出の2本柱になった。それをHAG社が独占的に輸入していた。

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